重なる姿

 翌日からもザグルは、2日に1回はトラブルを起こして先輩を呆れさせていた。


 そもそもレジにいる私と、品出しに専念している彼とでは持ち場が違うので、トラブルの現場を直に目にすることは少ないのだが、何か起きると周囲がざわつくのですぐに分かる。


 おっさん呼ばわりは1度注意されてやめたが、今度は40代くらいの女性に

「おばさん荷物重いだろ、これ使いな」

とカートを持って行って怒らせ、客に声を掛ける時は「お客様」と呼べ、余計な手出しはなるべくするなと注意されていた。


 建物の外へ段ボールを運び出す最中、戸口の前に手押し車を置いて座っていた老婦人がいたのを見た時は、いきなり

「ああ、慌てなくていい。少しじっとしててくれ」

と言うと、手押し車ごと抱え上げて移動してしまった。

幸い怪我はなかったが、老婦人は座った格好のまま腰を抜かしてしまい、別の従業員が車で送っていく事になった。


 胸の前に抱っこひもで赤ん坊を抱え、右手に上の兄弟を連れた婦人が来た時は、棚の上の方にある物を取ってあげたまではいいが、

「あんた、旦那はいねぇのか?」

といきなり問いかけて、婦人をドン引きさせていた。


 本人にとっては悪気がないどころか、親切のつもりだったり気遣ったりしての行動なのだが、ことごとく裏目に出ている。

「頼むから面倒を起こすのは控えてくれ」と指導役から叱られてばかりで、いっそ可哀想なくらいだ。


 だが周囲の視線は日に日に冷たくなっていく。

 自分たちが常識的に弁えている事が分からない者に対して、きちんと教えられるのは親切で心身ともに余裕がある人間だけなのだ。


 そうでなければ無視するしかない。下手に関わって疲労するわけにはいかない。


 ああ、この光景を何度思い出すんだろう。

 あれから一週間、休憩室のドアを開ける度、窓際に一人で座るザグルの背中を見ることになった。

 その背中を寂しげだと思うのは、私の感傷のせいかも知れない。

 彼もあの時の彼女のように、同情など求めてはいないのだろうか。




 高3の冬の記憶だ。

 些細なことでよく怒り、クラスメートと揉めては避けられて一人佇むTさんという少女がいた。


 彼女が怒る理由は、大抵周囲のちょっとした言葉遣いのミスによるものだった。


 「Tちゃんって、根は優しいんだね」

 ―根は優しいって何?つまり私は冷たいと思ってるのね。


 「具合が悪いって聞いたけど、いつも同じ先生の時だから仮病じゃないかって言われてるよ」

 「待ちなよ、Tちゃんはそんなつもりは無いんだよ」

 ―そう、つまりあなたはやっぱり仮病だと思ってるわけね。


 「へぇ、手作りのペンケースなんだ。こういう凝ったのって買うと高いもんね」

 ―なにその言い方?売ってたって買わないわ。自分が作りたいから作るんだもの。


 そんなやり取りが度々起こり、1学期が終わる頃には彼女はクラスの中で完全に孤立していた。

 いつも窓際の後ろの席で、窓から差し込む眩しい光を浴びながらぽつんと弁当を食べる少女。

 周囲はなるべく彼女に関わりたくなくて、授業の時以外は近くの席に座ろうとしなかった。


 そんなTさんに、更にある噂が立ったのは、進路相談でやって来た彼女の保護者を見たという生徒の言葉が原因だった。



 やって来たのは父親だったらしい。

 その父親の姿が、とある古いアニメ作品に出てくるキャラクターとそっくりだった、という話になったのだ。

 丁度その前の年度末、ユウイが出現したことで、稀人がその存在を認められて大騒ぎになったばかりだった。


「あの子、稀人の子供なんじゃないの?」

 クラスメートの間でそんな話が持ち上がり、いつの間にか大きな噂になった。


 ユウイが出現する前までは、稀人というのは本当に都市伝説として語られるのみの存在だった。

 だが「稀人は実在する」と分かったことで、それ以前にも稀人は現れていたのだろう、それらしい人間は実は稀人かも知れない、という話になっていた。


 しかも一体どこにどれだけ存在するか分からない。

 これまでに出現した稀人は、稀人とは知られずに普通に社会に溶け込んで生活している。

 そんな話がテレビや新聞でも盛んに報道された事は、まだ記憶に新しい頃だ。



 Tさんはますます孤立した。

 元から嫌な事を言われると、適当に流して穏便に済ませるという事が出来ない性格だった彼女は、激怒して周囲の人間を全く寄せ付けなくなった。


 そんな彼女の態度が、かえって噂に真実味を持たせているのだと気付く様子もない。

 彼女は噂を耳にして揶揄いにきた男子を、とうとう思い切り引っ叩いた。


 流石に手を上げるに至って、教師が割って入って「Tさん、落ち着きなさい」と注意した。

 だが彼女にしてみれば、根も葉もない噂を立てられ面白半分に騒がれる自分の方が被害者だ。

 その騒ぎには止めに入らないのに、我慢の限界で手を上げたとたんに自分が悪いと言われるのは、いかにも理不尽だ。


「先生、注意する相手が違うと思います。困っているのはTさんの方です」

 見ていてたまらなくなった私が声を上げると、教室中の視線が集中した。


 よほど痛い思いをしたのか、引っ叩かれて涙目になった男子は、「こいつは何を言ってるんだ」という顔で私を見た。

 周囲のクラスメートも、何だかんだと親切のつもりで声を掛けては、言葉遣い一つでTさんに撥ねつけられてきた者ばかりだ。

 同情の余地はない、という目だった。


 そんな視線の中、Tさんは黙って俯くと、絞り出すような声を出した。


「私に関わるのはやめて。もうたくさんだから」


 それは、本当に素直な彼女の思いだった。

 おそらく騒ぎに巻き込まれる私への気遣いでもあったのだろう。


 だがそれを理解できないクラスメートたちにとって、その言葉は「最後の優しささえ拒んだ」という冷たい態度にしか見えなかったようだ。



 Tさんの言葉通り、周囲は彼女を無視するようになり、そのまま進学の時期がやってきた。

 私が少しでも助けになればと掛けた言葉は、結果的に駄目押しの一打となってしまった。


 ただほんの少し、周囲の理解が足りていなかっただけだ。

 意味をよく考えずに発せられる言葉の、その裏にある気持ちを読めてしまう繊細な人だっただけで、嫌な人ではなかったのに。

 分かっていたのに何もできなかった、どころか事態を悪化させた自分が悔しかった。


 それに加えて、稀人という存在のあやふやさもこの騒動の原因の一つだった。

 彼らは物語世界から現れた特殊な存在でありながら、出現してもほぼ人間で、容易に社会に溶け込み、存在を誇示しようともしない。

 だから長年、都市伝説のような扱いだったのだ。


 もしTさんのように孤立した誰かが「あの人は稀人だ」と他人に言われたとして、家族や幼い頃を知る人以外がそれを否定するのは難しい。


 進学先を決める時には全く意識していなかったが、後に隣の大学にいる春馬教授を訪ねたのは、そういう稀人に対する知識を得たいと思ったからだった。

 いつか同じようなトラブルが起きた時、少しでも本当の助けになれるように。

 そして、稀人という存在がどんなものかを、もっと詳しく知って人に伝えられるように。


 今も私を動かすのは、陽の当たる窓辺に一人で佇む姿を悲しいと思った、あの頃の記憶なのだ。




 だがもちろん、そんな私の感傷はザグルには関わりのないことだ。

 彼は一人で弁当を食べながら、しかしどこか幸せそうな顔をしている事がある。

 隣に座るとすぐに私の方へ顔を戻すが、直前まで何を考えていたのか、目を細めて笑っていることがあるのだ。


 理由を訊くと真顔に戻ってしまうが、どうもその理由は保護者にあるらしい、と気が付いた。

 彼がそういう顔をしているのは、いつも狭間が作ったという弁当を広げている時だからだ。


「ユキさんには怒られたりしないのかい?」

 こうも問題を起こすなら保護者の狭間も困ってるんじゃないか、と思ってそう訊くと、ザグルは首を傾げた。


「いや、あいつは全然怒んねぇな。文句はたまに言われるが」

「それ実は怒ってるとかじゃなくて?」

「いや、ここで会う奴みてぇにケンケン怒鳴ったり目ぇ吊り上げたりはしねぇんだ。だいたい意味が分かるまで説明してくれるしな」


 よほど心が広いのか、余裕がある人なのか。狭間は稀人については詳しくないと聞くが、想像力のある人なのかも知れない。


 そう考えながら隣で自分の弁当を広げると、ザグルは窓の外に視線を戻して宙を睨んだ。

「だいたい話が分かりにくいんだよ。あぶねぇことしてる客には声かけろっつうのに、客に余計な手出しすんなって言うんだぜ。ユキに訊いたら『たぶん年寄り扱いは嫌がられるから』ってよ」


「ああ、そういう話でいいのかい?」

「ユキはそう言ってたぞ。違うのか?」

「いや、確かにそれで合ってるよ。おじさんおばさん呼ばわりとか、荷物が重そうだからって手を貸されるのを嫌がる人がいるのはそのせいだね」

「ならそう言ってくれりゃいいんだ。何がまずいのか言ってくれねぇと直しようがねぇだろ」


 ふん、と鼻から息を吐くと、ザグルはだるそうにテーブルに体を投げ出した。

 どうも指導役の指示があまり的確ではないらしい。

 忙しくて説明に時間を割けないのか、どう説明すれば理解できるかが分からないのか。


 おそらく指導役も困っているのだろうが、ザグルの方も意味が通らない指示に困っているのだろう。


「もしかしてあの、おばあちゃんを運んだのもそういう指示があったから?」

「ああ。体を動かせねぇ年寄りの客は無理に歩かすな、ってな。うっかりすると転んで骨折るからってよ。だから安全に移動してやったんだが」

「ぶはっ」

 思わず飲みかけたお茶を軽く吹いてしまった。


 「無理に歩かせるな」を「運んでどかせ」と解釈する脳筋は普通居ないが、彼の筋力を基準にすれば確かに合理的だ。

「ユキにも笑われたな。『それは急かさずに移動するのを待てって意味』だとさ。合ってるか?」

「そう、そっちが正解。それは確かに指示の意味が分からないね」


 どうも指導役の指示が行き届かないところは、予想通りというか予想以上に狭間のフォローが入っていたらしい。

 それに気にしていないように見えて、帰宅してから狭間に説明を求めるほどに、ザグルは周囲との関係やミスを気にしているようだ。


 丁寧に答えてくれる狭間のフォローは有り難いが、このまま放っておくといずれ大きな問題になる気がする。

 その前に状況を改善できるよう、指導役と一度話をしてみよう。


 だがそう決めた翌日の昼前、店中に響き渡る怒鳴り声で、私はそれが手遅れだった事を知った。

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