初めての対面
「参ったなぁ……真面目に仕事はしてくれるんだけど」
「例の稀人? またお客さんと何かあったの?」
初出勤の日に休憩時間に入ったところで、早くもそんな声が耳に入ってきた。
ここは大通りに面していながら、住宅街からも近いホームセンターである。
入口あたりから並ぶ商品の大半は日用品で、品出しが仕事とはいえザグルの姿はそれなりに客の目に入っているようだった。
「なるべく丁寧に応対するように言ったんだけど、商品の運搬中に『ちょっとどいてくれ』って言ったらしくてね」
「あー、またかぁ」
廊下で腕を組みながら話しているのは、ザグルの指導役を受け持っている先輩とその仕事仲間のようだ。
店長によれば、女性の多い仕事場で力仕事の得意な彼は歓迎だったのだが、言葉遣いや態度にはかなり難があるらしい。
初日には客を「おっさん」呼ばわりして派手に怒られ、しばらくきょとんとしていたと言うから、本人に悪気は全く無いのだろう。
「イズワス・エピック」の中でのオークは村や集落を形成して、各集落にリーダーとなるオサがおり、家族でそれぞれに生計を立てつつ集落の仕事を分担するという、人間に近い社会を作っているという設定だった。
ザグルはその中でも人間の国の境界に近い地域に住んでいたため、種族的には交流が無いものの、境界を侵す他種族を頻繁に目にする生活だったようだ。
人間であるエリスを偶然から助けた彼は、彼女との交流を深めることでより人間の習慣や性質を理解し、むやみと敵対する意志はなくなっていく。
後に人間の村を助けようとしたことで死んでしまうのだが、稀人として現世に現れたのも、この社会性と人間に友好的な性格が大きいようだ。
だが本人は友好的なつもりでも、あまりにも距離感のない話し方をすれば相手によっては侮辱と受け取られる。
ましてやかなりの大男で強面なのだ。
遠慮のない物言いでは威圧的に見える人も多いだろう。
まずは本人と話をしてみよう、と思ってザグルの姿を探すと、ちょうど作業着を脱いでロッカールームから出てくるところだった。
見れば弁当箱を2つも提げて休憩室に向かうので、私はまず昼食を一緒にしようと近くの弁当屋にひとっ走りして、野菜カレーを買ってきた。
だがいざ休憩室のドアを開けた瞬間、妙な既視感を覚える光景に出くわした。
窓際の大きなテーブルで、こちらに背を向けて座る逆光の中の背中。
眩しい午後の光が真っすぐに差してくる部屋の中に、ぽつんと浮かび上がるような黒い影は、記憶の中のそれよりずっと大きいはずなのに、不思議と半分くらいに縮んで見えた。
他にも同じタイミングで休憩に入った従業員が何人かいるのだが、皆部屋の隅の方に固まってモソモソとお喋りもせず食事をしている。
不自然なほどに静かな部屋の中は、ドアの開け閉めさえ躊躇われるような張り詰めた空気に包まれていた。
新人として歓迎されるどころか、皆が彼の一挙手一投足を窺いながらも、一言も声を掛けようとしない。
彼が来たのはまだ昨日の事だと言うが、既にその背中には宙を舞うチリさえ見えるような眩しい光が落ちていた。
「ここいいかな?」
買って来たカレーをテーブルの上に出しながら隣に立つと、ザグルはくるりと顔をこちらに向けた。
大きく見開かれた金色の目と目が合った。
声を掛けられると思っていなかったのか、彼は驚いたように私の顔を見た後、ちらりと視線を部屋の中に泳がせた。
部屋に漂う緊張感を気にしていないわけではなかったようだ。
「んん、ん」
何やら口いっぱいに頬張っていた彼は、口を押えて咀嚼しながら、視線をこちらに戻して頷いた。
喋るどころではなさそうだが、拒否する様子ではないのでそのままカレーを置くと、彼は片手で椅子を引いてくれた。
あれっ、思ったより気を回す奴だな。
既に避けられている様子からとっつきにくい性格なのかと思っていたが、むしろ親切なくらいだ。
そう思いながら腰を下ろして隣の弁当箱を見ると、2つのうちの一方には山ほど豚の焼肉らしきものが詰まっていて、もう一方はこちらも弁当箱一杯のご飯である。
保護者の心遣いなのだろうか、焼肉にはタマネギとゴマが、ご飯には雑穀が混ぜてあるのが微妙に微笑ましい。
だが合わせて弁当箱2つ分だ。食費が馬鹿にならない気がする。
むぐむぐと口を動かしながらこちらを見ていたザグルは、ステンレスボトルに口をつけて一気に飲み込むと、私のカレーを指さした。
「おめぇ、それで大丈夫か?」
「え?」
「肉がいっこも入ってねぇじゃねぇか。そんなんじゃ倒れるぞ、ほれ」
ザグルはそう言うと、いきなり手元の焼肉を私のカレーの上に乗せはじめた。
咄嗟に両手を振って断ろうとしたが、彼はお構いなしに腕を伸ばして次々と肉を乗せて来る。
しかもさっきまでは不器用ながら箸を使っていたのに、面倒になったのか素手でぽいぽい肉を摘まんで放り込んでくるのだ。
「ちょっ、ちょっと待って!待ってって!」
「いろんな意味でやめてくれ!」という心の声は通じる様子がない。
悪ふざけのつもりは全くないのか、その目は静かで真面目そのものだ。
「遠慮すんな、途中でへばったら仕事になんねぇだろ」
「してないしてない!これでもちゃんと満腹になる量だから」
「そうか?まぁそれくらいは食っとけよ」
ようやく気が済んだのか手を止めると、ザグルは油のついた右手の指を口に突っ込みながら、左手で器を指さした。
カレーの上にはどっさり豚肉が盛られていた。
もはや野菜カレーではなく、豚肉たっぷりポークカレーだ。
食欲がないから野菜カレーにしたんだ、と言うにはもう遅かった。
しかも本当に気遣いのつもりのようで、彼は私の顔とカレーを交互に見ながら、ちゃんと食べるか窺っている。
私から見れば年下の若い男のはずが、その姿はまるで学生時代に世話になった食堂のおばちゃんのような風情だ。
確かに私は身長の割に細いと言われるが、子供を心配するような目で見られると反応に困る。
「あ、ありがとう……」
「おう」
返すと言っても聞いてくれそうにない気配に呆然としながら、私は引きつった愛想笑いを返すしかなかった。
悪戦苦闘する私を尻目に、弁当箱2つ分をあっという間に平らげたザグルは、一旦休憩室を出て行ったかと思うと今度は何かの冊子を持って戻ってきた。
机の上にでんと広げたのは、よくある学習帳と教材らしきものだ。
覗き込むとカタカナの練習中らしく、書き順の書かれた教材とにらめっこしながら鉛筆を動かしている。
大きめのマスの4分の1の大きさに文字を詰め、びっしりと書かれた字でノートは半分が黒くなっていた。
鉛筆を持ったことがないのか、ほとんど殴り書きのような字だが、書き順を守って丁寧に書かれていてそれなりに形にはなっている。
「字を覚えてるのかい?」
「ああ。ユキが覚えろってな」
「ユキ?」
「俺を拾ってくれたやつだ」
そう言って私の方を見ると、ふっとザグルの表情が変わった。
眉間の力が抜けて眉が下がり、同時に口の端の牙が迫り出してくる。
笑ったのだ、と気が付いてどきりとした。
一瞬で元に戻ったが、初めて彼の感情らしいものが露になったのだ。
しかもその顔は、無表情の時の厳つい印象とはまるで正反対の、柔和で知性的な顔だった。
拾った人という事は例の保護者の狭間雪江のことだろうか。
「雪江」を愛称で「ユキ」と呼び、思い浮かべるだけでこんな顔をするほど、彼らは既に親密な間柄になっているという事なのか。
「どんな人なんだい?」
「ユキか?どんなってなぁ……すげーちっこいぞ。俺より年は上なんだが」
鉛筆の尻でコリコリと顎の下をこすり、ザグルは窓の外を見ながら少し考え込む顔になった。
「危なっかしい奴なんだが、えらく世話焼きでな。面倒見てやらねぇとまずい気がすんのに、何だかんだで助けられてて妙な感じだ」
「ああ、それは……なんというか、頭が上がりそうにないね」
「だろ、分かんだろ!?」
いきなり鉛筆の尻をこちらに向けると、ザグルは理解を得られたのが嬉しいのか、にいっと口角を上げた。
確かに資料で読んだ狭間の状況は、色々な意味で心もとない。
両親はすでに他界し、親戚との付き合いもほぼなく、進学してこの町に引っ越してきてからずっと一人暮らしだ。
人に嫌われるような性格ではないらしいが、交友関係は広く浅く、真面目に心配してくれる者もいない。
そのお陰で結衣との付き合いが長い稀有な友人でもあるのだが、当の狭間は彼女が稀人ユウイである事すら知らないという。
にも関わらず、結衣と近しい存在だったためにある男に目をつけられ、長い間見せかけの恋人関係に縛られた末に別れたのだ。
以来、結衣は何かと彼女のことで気を揉んでいる。
「ゆっきーが居なくなったら寂しいけどさ、帰って親戚とちゃんと話した方がいいのにって思うのよ。若いったって体は強くない方だし、急病で倒れないとも限らないしさ」
あくまで一友人の立場では、彼女の身にもしもがあってもできる事は限られる。
孤独に強く一人で生きていきたい、という人なら他人が口を出すまでもないのだが、狭間はむしろ寂しがりの方だと結衣は言う。
その寂しがりの性格ゆえだろうか。
家の前に倒れていたザグルを、狭間は即座に自分の部屋に上げ、世話をしながら結衣に連絡してきたという。
探すまでもなく出現直後に連絡が入り、周囲との関係は悪くなりがちなタイプの稀人でありながら、その場で保護者が決まったというかなり幸運なケースだ。
ただしザグルにとっての幸運が、狭間にとってもそうとは限らない。
狭間の事情のどの辺りまでをザグルが察しているのか、そして知った場合に彼女との関係をどうしようとするかは不明だ。
だが今の言いようならば、彼は少なからず狭間を心配し、助けになろうという気があるように聞こえる。
さっきの弁当のような調子だと、余計なお節介で困らせる可能性の方が高いが、その気がないよりはだいぶマシだろう。
少し手伝いをしてみようか。彼がその加減を覚えられるように。
これは確かに私がいつもやっている事だ。
結衣の言うように得意かどうかは分からないが、揉め事が起きやすい環境や人間の居るところで、当たり障りのないようにうまく調整するのは、私にとってはちょっとした楽しみでもある。
幸い彼にはもう強い味方がいる。その味方を大事にすれば、この緊張した空気もいずれ解消できるかも知れない。
「なんだ、気持ちわりぃ顔して」
ふと視線を戻すと、ザグルが怪訝そうな顔でこちらをじっと見ていた。
「えっ、そんな変な顔してたかい?」
「妙な笑い方したぞ、よくねぇことを考える奴の顔だ。そういう顔は隠した方がいいぜ」
言葉と同時に私の顔の前に、大きな手のひらが突き出された。
ああ、人間と同じように皺や指紋がある手なのか。ぼんやりそんなことを考えてしまうほど、私の頭は言われた言葉を咄嗟に飲み込めていなかった。
「そろそろ時間か、またな」
「あ、ああ」
そのままひらひら手を振りながら立ち上がると、ザグルは机の上をさっさと片づけて部屋を出て行った。
思わず口をぽかんと開けたまま見送って、ドアの向こうに彼の背中が消えてから、私はハッと我に返った。
初めて言われた台詞だ。「よくねぇことを考える奴の顔」。
他人とうまくやっていくのに、自分の考えや我を抑えて中立を保つのは、もう私にとっては本能に近い。
だからそれがうまくいかない場面を見つけると、ついどうにかできないかと考えてしまう。
だがそういう時、自分がどんな顔をしているのかなど意識したことがなかった。
しかも良からぬことを考えている顔だと言いながら、ザグルはそれを隠せと言ったのだ。
何を考えているのか問い質すでもなく、気味が悪いと避けるでもなく、口にしたのは「隠した方がいい」というアドバイスだ。
そんな事を言う人間には会ったことがない。
これきり関わる気がないというならまだ分かるが、彼は「またな」と言ったのだ。
案外楽かもしれない、などと油断しなくて正解だった。
これは絶対、一筋縄ではいかない相手だ。
そう認識を改めると、私は食べきれなかったカレーに蓋をして、急いで自分も仕事に戻って行った。
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