番外編:「正岡の務め」

突然の依頼

 その任務の資料を見せられた時、私―正岡孝規まさおかたかのりは正直なところ後ろを向いて逃げ出したくなった。


「監視が決まったのはこちらの稀人です。架空生命体に属するオークの男性、名前はザグル、年齢20歳です。使用言語は日本語ですが文字はあまり読めません。彼の『生前』の詳細は新川社のライトノベル『イズワス・エピック』4巻にあります。こちらはそれを時系列にまとめた資料ですが、書籍は春野結衣さんが個人で所有しているので詳しくはそちらを訪ねてください」


 書類を持って来た事務担当者の女性の声はあくまで平坦だった。だがその表情が固まっているのは私にも分かった。


 聞いて驚け、とあからさまな顔でもしてくれた方がよほど気が楽なんだが、と思いながらも資料を受け取り眼鏡を直して目を通す。

 スマホで撮ったらしいその稀人の顔は、赤ら顔で下顎の両端から上に伸びた牙、金色の瞳に猫のような縦に細い瞳孔を持つ異形のそれだ。


 いきなり写真を撮られて驚いたのかも知れないが、カッと目を見開き口を半開きにして牙を剥いていて、ほとんど鬼瓦にしか見えないご面相である。

 なるほど、監視が必須になる稀人だ。ユウイの出現前であれば大騒動になっていただろう。

 それが最初の感想だった。



 ユウイの登場から11年、稀人と呼ばれる創作の物語から現れるキャラクターは各地でその存在が認定され、国民としての権利もある程度保証されるようになった。


 その流れは稀人の存在を確信させたユウイの、「世界を救った乙女」というイメージが強く影響している。

 それまでは単なる身元不明者として、生活の困難な立場に置かれていた彼らにとっては、この変化は確かに救済になったのかも知れない。


 だがその代償も小さくはなく、稀人には本人の意思によらず作品を読んだ人間のイメージが強く付きまとう。

 加えて熱狂的なファンなどがいた場合、彼らは平穏な生活や身の安全も危うくなってしまうというかなりマイナスの要素もあった。


 これを解消するために稀人の所在は世間に公表されない法律も定められ、直接的に彼らの生活を守る保護機関も設立された。

 私が保護機関に所属する道を選んだのも、ユウイの出現とその時期に身近で起きた騒動がきっかけである。



 保護機関は稀人の保護に関するあらゆる実務を分担して行っているが、私は主に緊急時の出動と監視役になる待機組だ。


 稀人というのは名前の通り稀にしか出現しないため、機関員のほとんどは本職を別に持っている。

 常に機関員として活動しているのは、新たに出現する稀人を発見する情報収集組だが、これは人によってやり方がいろいろあるらしい。

 また当然、一般人から直接連絡が来る場合もある。


 いずれにせよその発見後が待機組の仕事だ。


 存在を確認された稀人には住居の提供、周囲との関係が悪い場合は保護や教育、主に就業先での監視・見守りなどが始まる。


 ただこれらに関しては、ある程度発見者によって行われている場合が多い。

 そもそも稀人として出現するキャラクターは、現世の人間と友好的な関係を築きやすい価値観や性格をしているのだ。

 加えて大抵の稀人は、何がしかの摂理によるものか、彼らを発見すると率先して保護しようとする人間の前に出現する。


 しかしもちろん例外はある。

 そして保護する人間がいなかった稀人は、トラブルを起こして孤立する事態に陥りやすいため、保護の担当者が付くことになる。


「これは例外ですかね……保護の担当者は誰ですか?」

「いえ、担当者はいません。彼は一般人女性の保護下にあり、本人の希望により過度の接触は禁じられています」

「そうですか、一般人女性……はい? 女性?」


 淡々と書類をめくって、該当項目を示す事務員の声には相変わらず淀みがない。

 それは彼女の性格なのか、それとも現代社会の人間とは常識を異にする稀人への慣れのせいかと思ったが、どうやらどちらも違っていたようだ。


 彼女の目はほとんど動いていない。

 私の顔を見ることもなく、生気を失ったかのように書類の文字だけを追っている。


 この人、もう思考停止してないか?


 用件を伝えるためだけに機械のように喋るその姿に、嫌な予感が湧き上がってきた。

「会社員で狭間雪江さん、以前は一人暮らしだった30歳の女性です。稀人の住居は彼女の自宅アパートとなっています。春野結衣さんが保護下にあった頃からの友人ですが、稀人の知識は皆無ということで、現在は彼女が監視役の一人としてサポートについています」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!機関員でもない一般人の、何の知識もない女性とすでに同居していると!?」


 一体どれだけの爆弾を抱えた案件なのか、開示される情報は私の頭までショートさせかねないものだった。



「詳細は本部か春野さんに訊ねてください」と無情に言い残して事務担当者が去った後、資料に目を通す暇も惜しく、私はすぐ結衣に電話をかけた。


「ああ正岡君。そろそろかかって来ると思ってたわ。資料は届いた?」

 電話の向こうの結衣の声は軽い。すでに私に依頼が来たことを知っていた様子だ。

 という事は、この件は彼女からのご指名ということか。


「何なんですかこの稀人!? よりによってオークですよ、オーク! いくら友好的だからって、いきなり年頃の独身女性と2人っきりなんて正気じゃないですよ!」

「うんうん、分かるわー。でもまぁちょっと落ち着いて。確かに心配なんだけど、あたしたちの仕事は本人と保護者の意志が優先でしょ?」


 分かるわ、と言いながらも結衣の声は落ち着いている。

 保護しているのが友人となれば気が気ではないと思うのだが、確かに保護機関の立場上、無理やりに彼らの意志を曲げる行動はできないのだ。

 既に稀人が出現してから1週間が経過しているらしく、結衣は保護者である狭間雪江と電話でやり取りをしてサポートしているらしい。


「本人と『保護者』の意志……? これ保護者側の要望でこうなってるんですか?」

「そこなんだよねぇ、ゆっきーはちょっとのんびりしてる子なのよ。あとファンタジーにはものすごく疎くて、オークって種族の一般的なイメージが無いみたい。ちょっと変わった外人みたいなものだって言ってるわ」

「この顔でその認識ですか……!? どういう思考回路なんですか、その方」


 件の稀人、ザグルは既に街を出歩いたりもしているそうだが、体格は外国人と呼ぶにも大きすぎるし、顔を見れば明らかに異形のそれなのだ。


 稀人という存在がいる、という事は世間でも知られているとは言え、彼の姿を見た人間は驚いて逃げ出すか警察を呼ぶか、という反応になりやすい。

 資料によると通報された回数は既に10回。

 保護者が小柄な女性のため、同行していて誘拐を疑われたのがそのうち3回。


 だが今のところ保護者の狭間には、危害を加えることも、精神的に大きく負担をかける様子もなく、2人の関係は良好だという。



「昨日は頼まなくてもお風呂の掃除をしておいてくれた、って喜んでたわ」

「どこぞの息子自慢ですか?」

「その程度の感覚みたいよ。あたしからするとどっちもお年頃なんだけど、ゆっきーには『10歳も離れてる若い男の子』って認識で、常識が通じなかったり口が悪かったりするのも許容範囲らしいわ」

「はぁ、それで稀人側も手を出せない感じですか」

「たぶんそうね、今のところは」


 そこで「ハァ」と結衣が溜息をつくのが聞こえた。


「ゆっきーって元彼が例のあいつなのよ」

 急に声のトーンが落ちて、結衣の口調は真剣なものに変わった。

 例のあいつというのは誰の事だろうか、と少し考えて、かつて同じように彼女が暗い声を出した事があるのを思い出した。


「多野夫妻の息子さんだっていう彼ですか。私はその辺りの事情は知らないんですが、詳しく聞いても?」

「あー……長くなるから当時の資料を送るわ。とにかくさ、ゆっきーにこれ以上男関係で傷ついてほしくないの。今は大丈夫だけど、正直このまんまの関係が続くとは思えないし」


 一般的にイメージされるオークとは少し違い、人間に友好的かつ情に厚い性格のザグルは、狭間に危害を加える心配はないそうだ。

 だが長い間、消極的に独身だった狭間にとっては、彼を単なる同居人として全く意識しない方が難しいだろう、と結衣は言う。


 そしてそれはザグルの方も同じだ。

 保護を断ってくるという事は、人間社会に馴染むための諸々を狭間一人に頼っている状況だ。しかも自分を異分子とも思わず容易に受け入れている相手である。

 そんな彼女を慕う気持ちが全く起こらないとは思えない。


 双方ともいつどこでお互いへの感情が切り替わるか分からないのだ。

 だがそのタイミングが合わなければ、少なくとも狭間にとっては良くない結果になりかねない。


「つまり彼の動向と心境の変化をそれとなく探って欲しい、ってことですか?」

「正岡はそういうの得意でしょ?」

「確かに遠目で見張るよりはやりやすいですね」


 私に任されたのはザグルの就業先での監視任務だ。

 同じ仕事をし、適度に会話することで仕事ぶりと近況を窺うのである。


 先方には連絡済みで出勤日と就業時間も合わせてある。

 しばらくは私自身が仕事に慣れる必要があるが、そういう事にも慣れているたちだ。


「分かりました。明日から任務に入ります」

 思えばその任務によって、私は保護機関に入ってから初めて、結衣以外の稀人と本格的に関わる事になったのだ。


 そうしてザグルと出会った私は、ほどなくして、結衣がどれだけ付き合いやすい稀人だったのかを思い知ることになった。

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