春を待つ花の下で(2)
そのまま桜をじっと見つめていたザグルは、思い直したようにこちらへ体を向けると、しゃがんで私の両手を握った。
「なぁユキ、お前があいつの助けになりたかったのは分かる。けどな、救えねぇもんを救おうとすんのはよせ」
朋也の言葉をちゃんと覚えてるなら分かるだろ、とザグルは真剣に私の目を見ていた。
「俺はそれをやろうとして、結局なんも出来ずに死んじまったんだ。それでも誰か救えたんならいい。けど俺のやったことは、大事な奴を2人も泣かせだけだ」
いつになく強い力で両手を握り締められ、ふと暗がりに目を凝らしてその顔を見ると、逆光の中で大きな瞳が揺らいでいた。
「ずっとそれを後悔してたの、ザグ?」
熱を持った両手を握り返しながら顔を覗き込むと、ザグルは静かに頷いた。
「俺は大事な奴の願いを叶えてやりたかったんだ。エリスは村を守りたがってたし、おふくろも戦が広がるのを嫌がってた。だから何とかしようって考えちまったが、俺の力じゃどうにもならねぇ事だったし、そんなことは2人とも望んでなかったんだ。無茶して捕まって、刑場でおふくろが泣いてんの見て、それが分かった時にはもう手遅れだったんだよ」
一息にそこまで言うと、ザグルはひゅっと息を吸って奥歯を噛んだ。
今にも泣き出しそうなのを堪えているのか、苦しそうに顔を歪めながら、それでもその目は私に訴えかけるように強い光を宿していた。
「ごめんなさい、ザグ。ほんとにごめん。そんなに心配かけてたのね」
朋也を助けたいと思う私が過去のザグルなら、それを隣で見ていたザグルは、きっとエリスやお母さんと同じ気持ちだったのだ。
彼のように死に至ることはなくても、あのまま朋也に引きずられていれば、いつか私は自分の幸せすら捨ててしまう事になっていた。
そんなことを彼が望むはずがない。
それは分かっていたのに、私はその意味をちゃんと理解していなかった。
傷つくのは大事な人だけじゃない。大事な人を傷つけたのだと後悔することになるのは自分自身だ。
ザグルはそれを誰より知っていたのだ。
「エリス……ごめんな」
最初に私をエリスと間違えて詫びたあの言葉を、私は「村を救えなくてごめん」と謝ったのだとばかり思っていた。
けれどそれは大きな勘違いだったのだ。
彼は約束を果たせなかったことを、力不足だったことを後悔していたわけじゃない。
自分を大切に思ってくれる人が、本当は自分にどうして欲しいのか、それを気付かず悲しませてしまった。それを何より後悔していたのだ。
ザグルは何のためにこの世界に来たのか、何か理由があるんじゃないかとは考えていたけれど、その答えはずっと分からなかった。
彼はエリスにもう一度会う事も、元の世界に戻る事も望もうとしなかった。
最初のうちこそ仲間がいないことに驚き、いずれ出て行きそうな顔をしていたけれど、そのうち腰を据えて私の家に居付いてしまった。
そうするより仕方がなかった、という事情もあるのかも知れない。
けれど何より、彼の望みを叶えるには、まず自分が大切に思える誰かを見つけることが必要だったのだ。
「なぁユキ、俺にして欲しいことはないか?お前の願いを聞きてぇんだ。お前を泣かせる事以外なら何でもしてやるから」
もう何度目になるか分からない質問を、改めてザグルは口にした。
私はその意味も分からずに、いつも家事ばかり頼んでいた。
文句一つ言わずにきちんと仕事をしてくれる姿には感謝していたけれど、彼はそれをどう思っていたんだろう。
いつか他の誰にも頼めないような、彼にしか叶えられないことを私が望むまで、ずっと待つつもりで居てくれたんだろうか。
桜の甘い香りが鼻をくすぐる。足元を、頭上を照らす花弁は白く淡く、柔らかな光を仄かに放っている。
こんな夜にこんな場所でこんな言葉を言われるなんて、まるでプロポーズみたいだ。傅くようにして両手を取られ、月明りに照らされた手にふわりと花弁が一枚舞い降り、指を飾る。
彼がどこまで考えてこんな事を言っているのかは分からない。
けれど、それなら私からの答えも決まっている。
「分かった、ザグ。なら1つだけお願いしたいことがあるの」
「何だ?何でもいいぞ、1つじゃなくてもいいぞ」
急に嬉しそうな顔になったザグルは、握った両手を私の顔の前に掲げると、いきなり地面に膝をついた。
私は首を横に振り、
「ううん、1つだけ」
と答えてから、しっかりとザグルの目を見返した。
「できる限りでいいから長く、私の側にいて欲しいの。私はあなたと一緒に生きていきたいから。叶えてくれる、ザグ?」
「ああ、ああ!もちろんだ!!」
叫ぶように言いながら、腕を広げたザグルは立ち上がると、覆いかぶさるように私に抱き着いて来た。
そのまま彼は何度も「ユキ、ユキ!」と名前を呼びながら、私をぎゅうぎゅう抱きしめてしばらく離さなかった。
あれからもう1週間になる。
ザグルと本格的に一緒になることを考えた私は、仕事の後に保護機関を訪ねて色々と相談しに行った。
その時すぐに話に上ったのは、私の家族や権利関係の話だった。
相手が稀人というだけでもハードルはあるけれど、まず私自身の事がはっきりしていないと、その後の生活に支障が出かねない。
しかも今まで叔父に任せきりで両親のお墓の管理すらしていないのだ。
まずは帰郷して叔父や家の管理をしている従妹夫婦と話をしなければならない。
という話をすると、ザグルは「なら俺も付いていく」と言い出した。
「ユキと結婚すんだからお前の家族も俺の家族になんだろ?なら早いとこ挨拶しとかねぇとな」
そう言うなり彼はバイト先にスケジュールの調整を頼む電話をかけ始め、いつ行こうかと迷う暇もなく今日の予定が決まってしまった。
いつもの事ながら彼の決断力と行動力には舌を巻く。
幸いにも叔父に電話をすると、娘夫婦にも連絡をしておくよ、と2つ返事で了承してくれた。
「まだ寒いから気を付けておいで。彼氏にも会えるのを楽しみにしているよ」
と電話口で話す叔父は、彼が稀人だと知っているらしいのにむしろ嬉しそうで、私は少し驚いたものの心が軽くなった。
長いようで短い桜並木を抜けると、実家はもうすぐそこだ。
道路に出る前にもう一度振り返ると、不意に強い風が背中からどっと吹いて来て、よろけそうになった私をザグルが抱き留めてくれた。
ふと顔を上げると、舞い上げられた花びらが並木道いっぱいにひらひらと降り注いでいた。
あまりの美しさに思わず声も出なくなる。
花の盛りには逆に見ることのないそれは、私も始めて見る光景だった。
「雪みてぇだな」
ぽつんとザグルが呟いた。
私を半ば抱えた格好のまま、彼は並木道のずっと向こうを眺めている。
「ああ、この光景って本当に雪に例えるんだよ。桜吹雪って言うんだけどね」
「サクラフブキ?これも雪なのか?」
こちらに視線を戻すと、彼は首を傾げてひょいと片眉を上げた。
「うん、冬に降る雪とは違うんだけど、遠目に見ると白い
説明するとザグルは「ほぉ」と感心したように頷き、腰をかがめて私の顔を覗き込んできた。
「ならこれも同じだな」
「うん? 何が同じ?」
問い返すと、急に脇の下を大きな手ですくいあげられた。
ぐいっと頭上まで持ち上げられ、まるで小さな子供のようにくるりと一回転される。
びっくりしているとそのまま肩の上に抱かれ、ザグルは私の顔を見上げてにこっと笑った。
「お前の名前と同じだな、ユキ」
目を細めて牙をむき出しにしたその顔は、屈託なく嬉しそうで、満開の花にも負けない笑顔だ。
ああ、彼だったからだ。
その笑顔を見て私は納得する。
私がずっと苦手だった雪は、自分の名前の一部でもあった雪は、彼によってこんな大好きな花の名前に変わってしまった。
出会った時にはそんな事、少しも予想していなかったけれど、彼はいつかそうして私の世界を変えてくれると、知らず知らずに気付いていたのだろう。
結衣の言葉で言えば、それは一目惚れと言うのかも知れない。
けれどきっとそれより深い縁で、私は彼と出会い、彼もまた私の前に現れたのだ。
ささやかなようで困難な、けれど何より切実な望みを叶えるために、稀人は現れ、私達と出会う。
私がそうであったように、彼等と出会う人々は、きっとその奥底の望みに気付き、或いは自身の願いのために、迷いなく彼等に手を伸ばすのだろう。
そして彼がそうであったように、どんな野望より大切な望みを抱き、彼等はこれからも、私達の前に現れ、求め、時に手を差し伸べて来るのだ。
春を謳う花の下で、ザグルの頬に手を添えながら、私も思いを込めて微笑み返した。
(おわり)
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