長い長い夜の話(3)

 色々なことが一気に頭を駆け巡って考え込んでいると、ザグルに落ち着けというように頭をポンポンされた。


「なんにしろ気味わりぃ奴だな。表にゃ名前書いてねぇから大丈夫だと思ってたが、引っ越すか?」

「いや引っ越すって……確かに狭いし考えた方がいいとは思ってたけど。それより表の名前って何?」


「ほれ、1階の入り口に部屋の番号がついてる箱あるだろ?あそこに名前書いてる奴多いじゃねぇか」

「ああ、郵便受けのことね。確かにそのまんまにしてたけど」


 本来なら誤配を防ぐために書く必要があるのだけど、女の一人暮らしと知られるのはどうにも怖くて、書くのを渋っているうちに忘れてしまったのだ。

 ザグルがそれを気にしていたのは意外だけど、さっきの寝室でのやり取りでも、似たようなことを言っていた気がする。


「ねぇザグ、ひょっとして名前を知られるのに抵抗があったりするの?」

 大きな声で本名を呼んだだけで周囲を気にしていたくらいだ。

 何か理由があるのかと思って訊ねると、ザグルは大きく頷いた。


「もちろんだ、こっちじゃあんま気にしねぇのか?」

「うん、道行く人全員に名乗るなんて事はしないけど、知られたくない人の方が少ないし」

「けどよ、大抵のやつはお前の事『ハザマ』って呼ぶだろ?ユイも『ユッキー』って呼ぶし、他のやつらだって名前が2つあんだろ?」

「あー、なるほどね。そう言えばちゃんと説明したことないけど、名前が2つあるって言うより2つの部分に分かれてるの」


 私達は日常的に家名である「姓」と自分の名前である「名」を使い分けている。

 相手によって名乗り方は違うし、呼び方は人間関係によって変わってくる。

 かいつまんで説明しつつ、ザグルの話を聞いてみると、彼に限らずオーク族は「姓」を持たず、名前と言えば「名」のみらしい。


 ただそれを直接呼ぶのはごく親しい相手か、名の通る有名人くらいで、大抵は名前の一部を取って呼ぶという。

 「イズワス・エピック」の世界では家名を持つキャラクターも登場したけれど、家柄を重要視する一部の者に限られるようで、異種族との交流が殆ど無かった彼には遠い世界の話のようだ。


 少なくともこの国は、初対面の人に即座に「名」で名乗ることはないので、ザグルはそれを名前を明かさないための仮の名前だと思っていたらしい。


「じゃあ『ハザマユキエ』がお前の名前なのか」

「そういうこと。ザグには雪江って名乗っちゃったけど、普通は狭間って名乗るしね」

「なら俺もハザマって呼んだ方がいいんじゃねぇのか?」

「ううん、親しい仲ならユキエでいいのよ」


 心配そうな顔をするザグルはそれでも納得がいかないのか、腕を組んでうーんと唸った。


「けどよ、本当の名前ってのは伏せとくもんだろ?バレちまったらヤバくねぇのか?」

「ヤバいって?」

「俺はよく知らねぇけど、ヘタに名前がバレたら命を取られる、って言うからよ。仲のわりぃ夫婦とか、名前だけで行動を束縛する呪いもあるしな」

「そんなのあったんだ……。確かにそういう理由なら分かるわ」


 さっき大声で名前を呼んだことを気にしていたのは、つまりこれだったらしい。

 たったの1文字の違いとは言え、ユキと呼ばれていれば他の人には本名を知られずにすむのだ。

 名前を知られてはまずいという価値観があるのなら、「ザグと呼んでくれ」と頼んできた理由も分かる。



 けれどそこで、あれっと私は気が付いた。


「でもさ、エリスの名前はそのまんま呼んでたじゃない?結衣もそのままでしょ?」

「そりゃそうだろ、エリスは結界の守り役だぞ。親とダンナ以外に本名知ってる奴なんかいねぇよ」

「ええ!?あれって偽名なの!?」

「おう、元の名前は俺も聞いたことねぇな。ユイも元の名前は違うだろ?」


 こんな話は漫画にはもちろん、設定資料にもなかった事ばかりだ。

 稀人だと気付いた時点で結衣が偽名だと察していたのにも驚くけど、普通に作品を読んでいるだけは全く気付かないような裏設定が、ザグルの口からぽんと出てくるのはどことなく奇妙で可笑しい。


「そういうことだったんだ、なんかびっくりだわ……。ん?でも待って、バイト先のマサオさんはそのままじゃない?」

「マサオは俺が縮めて呼んだ名前だからな。元の名前はマサオカだ」

「ちょっ、それじゃ姓が名前みたいになってるじゃない!」


 思わず吹き出してしまった。

 てっきり名前を呼び捨てにしているんだと思っていたら、姓を本名と勘違いして縮めた呼び名だったのだ。


「ああ、俺がそう呼んだ時も周りのやつらに大笑いされたな。そんなに変なのか?」

「あのね、姓と名って慣れた人にはすぐに区別がつくものなの。なのに姓の一部を取ったら名みたいになるなんて、ちょっと面白いわよ」

「ほー、それでみんなマサオって呼ぶようになったのか」


 勘違いが元とはいえ、これは確かに面白い偶然だ。

 相当からかわれただろうに、マサオさんは今でもザグルに色々とアドバイスをくれているらしいから、結構気のいい人なのだろう。

 隙あらば何か買わせようとする商売人らしいけど、私の中ではかなり好感度が上がった。


「一度会ってみたいね、そのマサオさん」

「会いてぇのか?なら今日にでも来りゃいいぞ」

 紹介してやるぜ、と気楽に請け合うザグルは、まるで友達の話をするようなノリで、よほど気を許している相手らしい。


「ううん、それじゃ仕事の邪魔になっちゃうよ。それに今日マサオさんが居るとは限らないでしょ?」

「居るんじゃねぇの?あいつ俺が行く日は必ず居るぜ。休憩時間にはいつも喋るしな」

「へ?必ず?」

「おう」


 何でもないことのようにザグルは頷いているけど、こっちは目が点だ。


「え、だってあそこシフト制だし、ザグの休日とか勤務時間ってバラバラよね?」

「だな、あいつ休みとってねぇのかね?」

「いやいやいや、それは……」


 どんな職場よ、と突っ込みそうになって、思わず口元に手をやった。


 ザグルが「必ず来ている」と言うからには、出勤すれば毎回顔を合わせているのだろう。休憩時間が一緒という事は勤務時間もたぶん同じだ。


 けれどそれなりに広いホームセンターなので、受け持ち場所や仕事内容によってタイムテーブルは変わってくるはずだ。

 仮に受け持ちが同じだった場合、時間や出勤日をずらすシフトが組まれるので、どうしても会わない日が出てくる。


 同じ時間に組むとしたら指導役の先輩くらいだけど、ザグルがクレームで揉めた時に会った事があるその男性は、マサオカという名前ではない。

 となるとマサオカさんはザグルとは違う受け持ちで、かつ彼と同じ日、同じ時間に必ず出勤していることになる。


「そんな偶然って……あり得るの?」

 口をついて出た疑問に、ザグルは私の顔を覗き込んできた。


「そんなにおかしい話なのか?」

「うん、割と。今までマサオさんが居ない日はなかったの?」

「んんー、覚えてねぇなぁ。仕事が決まった次の日には声かけてきた奴だし、そっからずっとだしなぁ」

 普通ならそれだけで妙だと気付きそうなものだけど、それくらい警戒心を抱かせない人なのか。


 ザグルは私の身の安全は気にするくせに、自分のことになるとこうも無頓着なのかと頭を抱えたくなった。


「ねぇ、私やっぱり明日行くよ。帰りは4時だっけ?仕事中は無理だと思うから、帰る直前に行くわ」

「なんだ、そんなに気になるか?」


 今まで特に困ったことが無かったのだろう、ザグルは心底意外そうな様子だ。

 私が人を疑うような事を、今まで口にしたことが無いせいもあって、私の反応に驚いたように目を見開いている。


 私も内心では、本当にただの偶然かも知れない、という気持ちと半々だ。

 けれど私の予感が当たっているなら、この状況を打開する一つの鍵が、そこにあるような気がする。


「まだ確信があるわけじゃないけど、ひょっとしたらその人、私の疑問に答えてくれるかも知れないから」

「ほぉ?けどいじめるなよ、あいつヒョロくて人のいい奴だからな」


 不意に面白そうに口の端を上げたザグルに、なるほど警戒心が薄い理由の半分くらいは外見か、と納得した。

 けれどそれくらい分かりやすい見た目なら、顔を知らなくても見つけられるかもしれない。


「心配しないで、聞きたいことがあるだけだから。あっ、そのマサオさんには私の名前教えてるの?」

「いや大丈夫だ、ユキとしか言ってねぇから」

「そっか、分かった。それじゃもう寝よっか、ほとんど朝になっちゃったけど」


 夜明けまであと2時間ちょっとだ。

 気になることは色々あるし、一刻も早く確かめたいことが頭を占めているけれど、今は少しでも休んで明日に備えた方がいい。


「そうだな、寝れる気はしねぇけど寝るか。ユキはゆっくり起きればいいぞ」

 寝室に向かう私の背中をそう言って軽く撫でると、ザグルも布団に戻っていった。

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