私と結衣と、そしてザグル(2)

 平日よりは人通りの少ない駅前の朝10時半、ターミナル前の通路を乾いた風が吹き抜けていく。

 柱の陰に少し体を寄せると、後ろから伸びてきた腕が私の胸の前で交差した。

 直後にずっしり重い筋肉が肩の辺りに伸し掛かって来て、たまらず両足を踏ん張ると、頭の上に固いものが当たった。どうも顎を乗せられたらしい。


「なぁ、ほんっとうにここで待ち合わせなのか?」

「うん、て言うかザグも来るって連絡したら返事がないの。やっぱり困ってるんじゃないかな」


 文字通り脳天に響くザグルの声に、スマホを見ながら片手で頭の上を軽く払う。

 邪険な扱いに顎は離れたものの、絡んできた腕はそのままだった。


 アパートから徒歩10分の小さな駅から、路面電車で街中を抜けておよそ15分。

 この町で「駅前」と言う時は必ずこの駅を指すので、場所は間違っていないはずだ。


 けれど約束の時間を30分過ぎて、駅の中、待合、売店、駅周辺とかなりウロウロしたにもかかわらず、結衣の姿は見当たらない。

 10時と時間を決めたのは結衣なので、来ない理由があるとすれば、さっきから暇を持て余して絡んでくるこのザグルのせいだろう。


 家を出る直前になって「俺も買い物があるから付いて行く」と言い出したザグルは、いつの間に身支度をしていたのか、きっちり防寒着を着込んで玄関に現れた。


「急にそんなこと言われても、結衣は私と話したいんだし困るよ」と止めたものの、「買い物についてくだけだ、そんくらいならユイも構わんだろ」と譲らない。

 仕方なく結衣に連絡を送ってみたけれど、1時間近くたった今になっても返事すらないのだ。


「とりあえず手を離してくれる?一歩も動けないじゃない」

 防寒着を着込んでいつもより更に太くなった腕は、本人としては軽く添えた程度のつもりらしいけれど、肩に乗せられているだけで非常に重い。

 ヒグマでも背負っているような気分になる。


「どうせ待つしかねぇんだからいいだろ、この方があったけぇぞ」

「確かに寒くはないけど、人前でこんな格好してたら変に誤解されるよ」

「心配すんな、誤解じゃねぇことにすりゃ済む話だ」


 そういう問題じゃないと思うけど、と言いかけてやめる。

 今のセリフはなかなかに意味深だ。


 ザグルに色恋の話なんて振ったことはないけれど、両親が仲のいい夫婦だったという話は聞いたことがあるし、漫画で読んだエリスとの関係からも、情に厚い人だというのは分かっていた。

 正月明けに私が風邪を引いたあの日からは、何かと気にかけてくれるのも感じている。


 考えてみればザグルは、アルバイトとは言え仕事もしているし、一人暮らしをしたければ手頃な部屋を借りるくらいできる筈なのだ。

 実際、私の部屋に来た直後は「ここはあくまで私のテリトリー」と思っている様子で、部屋にある物を触るのも遠慮していたし、落ち着いたらすぐに出ていきそうな気配だった。

 それがいつの間にかどっしり居ついて、私を心配したり結衣を警戒したりするようになっている。


 私の方はと言えば、情に厚い若い男なんて暑苦しくて面倒だと思っていたし、はっきり言うとタイプじゃないのだ。

 体が小さいせいで、男性から庇護すべき対象のように見られるのも苦手だった。

 元彼の朋也は口数少なく、あまり干渉もしてこず、土足で踏み込んで来ないような距離感があるのが楽だった。長く付き合いが続いたのも、結婚を考えたのもそれが大きかったように思う。


 なのにザグルの行動は嫌とも迷惑とも感じなくて、面倒は多いのに一緒に生活していて楽しい。

 今も公衆の面前でべったり引っ付かれているのに、不思議と困惑よりも妙な安心感の方が上回っていた。


「おっ、ようやくお出ましだな」

 不意に右手を離したザグルは、そのまま横へ向かって軽く手を挙げた。


 その手を追って視線を移すと、5メートルほど向こうで結衣が唖然とした顔で立っている。

 そりゃそうだよね、と思いつつ私も手を振って見せると、彼女は苦笑しながら近づいてきた。


「いいコート着てるわね」

「確かにあったかいけどかなり重いよ。着てみる?」

 肩に掛かった腕の一本を両手で持ち上げて結衣に向けると、彼女は私の頭の上に視線をやって、一瞬だけ目を細めた。

 けれどすぐに私の顔に視線を戻し、皮肉気に笑った。


「遠慮しとくわ、コートが露骨に嫌そうな顔してるし」

「あったりめぇだろ」

 ふん、という鼻息が頭にかかったあと、ようやく肩の重しがとれた。


「ごめんね、ザグが急に付いてくるって言いだしちゃって。連絡したの気付いてた?」

「うん、こっちも遅くなってごめん。ザグル君も一緒ならうちの保護者に言っとかないとだから、電話したんだけどなかなか通じなくてね」


 そう言われてふと、以前彼女が言っていたことを思い出す。

「結衣の保護者さんって、例の稀人の保護機関の人なの?」

「そういう事。前回はあたしも人間の振りしてたけど、今回はそうもいかないしね」


 稀人同士の接触にとりわけ問題があるわけではないけれど、何が起こるか分からないというのが理由らしい。

 大抵の稀人は異世界の住人とはいえ人間で、出現も稀なため同じ地域に同時期に居ることなどまず無いという。しかもお互い人間であれば、稀人同士だと気付くこともなくすれ違う可能性が高い。


 ザグルと結衣の存在はそれだけ異例なのだ。

 その2人が互いを稀人だと認識したうえで積極的に会う、というのは、確かに不安な要素が多いのかもしれない。


「ゆっきーは全然自覚がないみたいだけど、あたしの保護者には『すごく度胸のある人だ』って言われてるのよ」

「へ?度胸って、そんなの全然ないのに?」

「言うと思ったわ。こうやって前も後ろも化け物に挟まれて平気な顔してるなんて、普通有り得ないんだからね?」


 顔の前に人差し指を突き付けながらそう言われて、客観的に見ればそういう話になるのか、とちょっと驚いた。

 振り返ってザグルの顔を見ると、彼も腕を組んでしきりにうんうん頷いている。


「だって別に、そりゃ考え方とか色々違うけどさ、化け物だなんて感じしないじゃない?だいぶ文化の違う国の人とか、そんな感じでしょ?」

「ゆっきーにとってはそうかもしれないけどさ、あたし達が同じように思ってるとは限らないのよ?ザグル君にとっちゃ足元で跳ねてるウサギくらいの感覚だったらどうすんの」

「ああ、そういや似てんなぁ!ウサギか、なるほどな」


 いきなりポンと手を打って納得顔になったザグルに、結衣の目が真ん丸になる。


「待って、今の例え話のつもりだったんだけど」

「いいじゃねぇか、ウサギは幸運の印とか言うんだろ?ちっこいのに気が強ぇとこも似てるしな」


 にっこり笑って私に同意を求められても困る。

 そうか、彼には小動物程度に見えているのか、と思うと微妙にもやっとするし、幸運の印だなんて大袈裟な例えをされると、さすがに人目が気になって仕方ない。


「幸運のウサギねぇ、まぁペット扱いじゃないだけいっか」

「やめてよね、そんなものに例えられたくないわよ」

「ユキはウサギが嫌いなのか?」

「いやウサギは好きだけど……だからそういう話じゃなくって」


 毎度のことながらザグルの言葉が明後日の方向から飛んでくるせいで、どんどん論点がずれていく。

 そもそも何の話だったか分からなくなったところで、結衣はくるりと体を半回転させた。


「とりあえずここで立ち話してたら寒いし、そろそろ買い物しに行こっか」

「あ、そうだね」

 彼女は先に立ってターミナルを迂回する通路に向かい、私もそれを追って歩き出そうとした。


 すると不意に後ろから肩を掴まれ、ぐっとその場に引き止められた。

 思わぬ強い力に振り返ると、ザグルが真面目な顔で私を見ていた。


「ウサギは嫌いじゃねぇんだよな?」

 ねじ込むように肩の上から顔を覗き込まれて、一体何事かと腰が引けそうになった。

「う、うん。子供の頃にお世話したことあるだけだけど、普通に可愛いと思うよ」


 眉を寄せて真剣に訊いてくるザグルの意図が分からず、私は咄嗟に思った通りを答えるしかない。


 結衣は気付かずに先へ行ってしまったので、歩きながら話そうと言うべきか一瞬迷ったものの、こうまでして話そうとするなら、大事な用なのだろうとすぐに思い直した。

 体の向きを変えて聞く態勢になると、彼は腰を屈めて私と目線を合わせた。


「昔エリスと会ってた場所にな、あいつが餌をやっからウサギが集まってたんだ。その中に1羽だけ俺が近づいても逃げねぇ奴がいてよ」

「そう……なんだ?」

「俺が餌やってたわけじゃねぇから、エリスが居なくなったらみんな来なくなっちまったのに、そいつだけはずーっと顔見せに来てな」


 私の両手を握ると、ザグルは少し微笑んで目を細めた。

 懐かしそうな顔をしながら、言葉を探すように視線を落として、しばらく私の手を見ながらにぎにぎした後、くっと親指に力を入れて再び顔を上げた。


「なんつーかこう、ただ元気にやって来るのを見んのが嬉しかったんだ。エリスと同じで、あいつも俺とは住む世界が違う。つるむ理由もねぇ。そんでも顔を見せに来てくれんだ。ユキを見てるとそいつを思い出すんだよ」


 ああ、これを伝えたかったのか、とようやく理解した。


 ウサギに似ているというのは、ザグルからするとそういう意味だったのだ。

 野ウサギなど見る機会もなかった私にとっては、飼われる生き物でしかないウサギに例えられるのは、お人形扱いと大差ない。

 けれど彼にとってのウサギは、とても大切な古い友人のようなものだ。

 彼はその感覚の違いに気づいたのだろう。


「そっか……そうだったんだ」

「ああ、安心してくれ」


 小さく頷いてから、ポンポンといつものように軽く頭を叩かれるのが、今日は少しだけ嬉しい。

 年下の男に子ども扱いされているようで、いつもどこかに違和感があったけれど、そこにはちゃんと敬意があったのだ。


「あれ、どうしたの?まだここにいたの?」


 ようやく気付いて戻って来た結衣に、ごめんと謝ってからから私はザグルに手を差し出した。

 普段なら私の斜め後ろを付いて来るように歩く彼は、それに気づくと私の手を握り、そのまま隣を歩き始めた。

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