気楽なあなたに微笑みを(2)
「しっかしすげぇ量の本だな、魔法でも研究してんのか?」
切り分けたケーキを持っていくと、ザグルは本の山を並べ終えたところだった。
オークの間ではそもそも記録が少なく、本と言えば異種族が持ち込む物、それも持ち歩く類の物だから、魔法の関連書が多かったらしい。
「ううん、それザグがいた世界の話が書いてある本だよ」
「俺のいた世界?」
「ほら、前にちょっと言ってたじゃない? ザグがいたのはこの世界の人間が書いた物語の中なの」
「んなこと言ってたなぁ、それがこんなにあんのか」
改めて本の山を見回した彼は、そこでふと私の方を振り向いた。
「ちょっと待てよ、つまりユキは俺のいた世界の事を調べてんのか?」
「そりゃもちろん」
言わずもがな、一番知りたいのはザグル本人のことだが、今日一日資料を読んでいて、彼の登場する部分を読むだけではその価値観や考え方を理解するのには足りない、と気が付いた。
世界観や他者との関係、歴史があって初めて、キャラクター達の言葉の意味がちゃんと分かる。
という説明をしていると、ザグルは口の端を上げてにやっと笑った。
「ならこんなに本読まなくたっていい方法があんぞ?」
「え、まさかと思うけどザグに全部聞けって言うんじゃないよね?」
「よく分かってんじゃねぇか、その通りだ!」
我が意を得たり、と言わんばかりに親指を立てて自分を指さすと、彼は自慢げに胸を反らした。
「あのね、ザグ。それだけは絶対ないから……」
あまりに予想通りで溜息しか出ない。どうしてこんなにお気楽なのかと歯ぎしりしたくなる。
実はこれまで何度かザグルに、元居た世界について質問してきたのだ。「どんな場所で暮らしていたのか」「何をして生活していたのか」などと。
これに対して返ってきた答えが、「村の端っこ」「寝て起きてメシ食って働いてまた寝て」というものだから、世界観が分かるような返事は期待するだけ無駄だ。
しかも大抵の質問に明後日の方向から返事が来るので、まずはこちらの世界の常識から教えないと話が始まらない。
「おいおい、まさか遠慮してんのか? 時間なら毎晩たっぷりあんだろ」
たぶん気遣いのつもりでそんなことを言うけれど、心配すら明後日の方向だ。
なのにその自慢げな顔は何だ、とフォークを突き立てたい気分になる。
気分だけで済ませばよかったのに、私はうっかり本当にフォークを向けてしまった。
今しも食べようとケーキにフォークを刺しかけたところだったので、丸々一切れが刺さったままだった。
それを見たザグルは何を思ったか、いきなり口を開けてかぶりついてきた。
えっ、と声を上げる間もない。
4分の1に切ったケーキの半分くらいが、一口で齧り取られていった。
「んん、結構うめぇなこれ」
口いっぱいにケーキを頬張ってもごもご言いながら、ザグルは片手で口元についたクリームを拭う。ついでに牙の先に残っていたチョコソースが乱暴に拭われたせいで、口の端へと広がった。
それに全く気付いていないのか、乾いた血のような色に染まった口角を上げて嬉しそうに笑った。
「……っ~~‼」
言いたいことが山ほどあるのに、言語中枢がショートしたかのように言葉が出ない。
フォーク越しに指先に伝わってきた妙に生々しい感覚と、文字通り人を食ったかのような顔で無邪気に笑う姿に、私の頭は真っ白になっていた。
首から上が一気に熱くなって、顔が真っ赤になっていくのが自分でも分かる。
けれど硬直している私を見たザグルは、そんなつもりはまるで無かった様子で、
「どうした? お前も食えよ」
と言って一口サイズに切ったケーキを私の口元に差し出してきた。
私は息を吸い込んで、思い切ってフォークの先に噛みついた。
するとそれに合わせるように、ザグルはすっとフォークを引いて私と目を合わせた。
「どうだ?」
「……うん、美味しい」
悔しいけれど、久しぶりに味わうケーキは文句なく美味しい。
元々チョコが好きなのもあって、こってりとしたチョコソースのほろ苦さとベリーの酸味が心地いい。
「だろ? 思ったより甘ったるくねぇしいいな」
幸せそうに目を細めるザグルを見て、肩から急速に力が抜けていく。
これじゃまるで、私の方が自意識過剰な小学生みたいだ。
この手の情緒が未発達なのか、それとも種族的なものなのかは分からないけれど、あまり気にしていたら身が持ちそうにない。
「お礼しなきゃね、こんなの貰っちゃうなんて」
改めて箱を見てみると、見覚えのある洋菓子店のシールが貼られていて、どうやら近所のお店に注文して作ってもらったものらしかった。
誰の気配りかは分からないけれど、ザグルはとりわけ甘いもの好きでもないし、同居している私の存在を知って用意してくれた物だろう、と思う。
「俺からちゃんと言っとくぞ。なんか礼も用意しとく」
「そっか、じゃあよろしく伝えてね。ほんとにありがとうございますって」
「おう! 任しときな」
何だかんだ言っても社交性は私よりはるかに高いのが、ザグルのいいところなのだ。
お任せにして大丈夫かは分からないけれど、気持ちだけはちゃんと伝えてくれるだろう。
にこっと口の端を上げて笑う彼に、つられて私も微笑み返した。
「んで? 何を訊きてぇの?」
食べ終わった皿を片づけていると、唐突にザグルが話を戻してきた。
「待って、その話終わってなかった?」
「んなに急いで終わらせるこたねぇよ、何でもいいから訊いてみろって」
「そんなこと言われてもね……」
何を訊けば欲しい答えが返ってくるのか分からないのだから、質問する前に予備知識が欲しいくらいだ。
と、そこで私は昼間に読んだ設定資料を思い出した。
「分かった、じゃあ夕飯の後に問題出すわ。ザグが答えられたら色々質問することにする」
つまりクイズだ。
私が今日一日で覚えた範囲すら分からなければ、断るにはいい口実になる。
もし答えられるなら、資料より詳しい話が聞ける可能性もあるし、それはそれで良い。
「おっ、勝負ってわけか! いいぜ、俺が勝ったら本読むのやめろよ」
「はいはい、了解。でも負けたら読むの邪魔しないでね」
「大丈夫だ、そんときゃ別の手を考える」
「そんなの考えなくてよろしい!」
どうも結局のところ、ザグルは構って欲しいだけらしい。
一緒に洗濯物を片づけて軽く掃除をしてから、夕飯の支度を始めた。
と言ってもクリスマスだということはすっかり頭から抜けていたせいで、ろくに食材は買っていないし、座りっぱなしで疲れている。
ひとまずご飯だけは炊いて、あとは買い置きを駆使した簡易料理にしようと決めた。
炊けたご飯を耐熱皿に入れて、レトルトカレー、チーズ、卵の順に乗せてトースターでチン。音がするとザグルがいそいそとコタツに持って行った。
その間にヤカンでお湯を沸かして、スープカップにちぎったベーコンとコーン、それにコンソメと塩コショウを入れてジャバジャバ。これもザグルがスプーンで混ぜてくれる。
足りない緑は作り置きのほうれん草のお浸しだ。これだけ和食っぽいけどまぁいいかな、と思いながら持っていくと、すでに二人分のお茶が用意されていた。
たまに思うけれど、ザグルが来てから家事にかかる時間はむしろ減っている。
いざとなると男も女もない環境で育ったらしく、最初のうちこそ立ち往生していたものの、やり方を説明すれば大抵のことはやってくれた。
そもそも頻繁に「何かして欲しいことはないか?」と訊いて来るので私としても用事を頼みやすい。
手先を使う作業はさすがに苦手らしく、いまだに字も勉強中だけれど、やり残している仕事があると片づけてくれるので、教える余裕もできている。
「いっただきまーす!」
手抜きの割に見た目は豪華なおかげで、ザグルは嬉しそうにぱくついた。
ちなみに最初のころ油断して、彼に夕食の用意を任せたら、山盛りの塩焼肉オンリーという恐ろしいメニューが出来上がっていた。
主食、主菜、副菜と揃えるんだというところから教えたら、面倒臭そうな顔をしたものの今は用意してくれている。
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