【魔女】の言葉は霹靂の如く
◆episode.47 ここにも◆
市村が目を開いても、そこに理宮はいなかった。
『第二書庫の魔女』たる理宮真奈が、この場所にいない。理宮のいない第二書庫など、空っぽだ。
ここには隠れられそうな場所など、ない。理宮は、本当にどこかに行ってしまったようだ。
「はぁ、考えろよ、俺。理宮さんだって。『魔女』であるまえに【人間】だってよく言ってるじゃないか。きっと、忘れ物かなんかして、寮にでも帰っているんだ」
一気に吐き出すように言って、続いて大きく息を吐いた。
少しだけ気持ちが楽になった。
理宮が不在であるだけでこんなに不安になると、市村は思っていなかった。まだ理宮は第二書庫に顔を出さないが、いつか来るだろう。そう思うと、この場所で理宮を待つのが、一番、賢い行動であると感じた。
そのままに、市村は壁を埋め尽くす本棚に寄りかかった。手の中には、まだイルカのペンダントトップがある。
軽く手を開いて、手の平でイルカたちを転がしてみる。記憶の中ではまばゆい銀色に光っていたはずだが、このイルカたちは焼け焦げ、ところどころメッキが変色してしまっている。
「これ、どうしてこんなことになってんのかな」
ふと、思い出すのはこれまでサブリミナル・フィルムのように見てきたほんの少しのヒントのような――炎の、記憶。
「あれが原因なのかな」
思いついたように言葉にしてみたものの、都合よく記憶をよみがえらせることは出来ないようだ。
だが思いつく原因など、それくらいしかない。
「はは、あの中に俺も理宮さんも巻き込まれてたりなんかしてな。そんで、理宮さんがまた予言をしてたり、とか」
想像するだけでぞっとする。本当に、あの悲惨な光景の中にいたのだろうか。そんなはずはない。何故なら、市村はこうして生きているのだから。
「だよな……はぁ」
ため息しか、出ない。考えすぎだ、考えすぎだ、と巡らせるほど、記憶で見た光景は現実味を帯びていく。
何か、音がした。
遠くから、誰かの乱暴な足音が聞こえた。走ってこそいないものの、かなりの速度で、早歩きをしている。
理宮か、と市村は期待を持って顔を上げた。
だが、入ってきたのは――
「ねえ……『魔女』は、いる……?」
黒い手袋を両手にはめ、病的に白い肌を怒りに赤くした男子生徒が――中島が入ってきた。
「中島、なんで」
「何ででもいいでしょ……市村には、関係ない。それより、『魔女』は……?」
「えっと、今いなくってさ。珍しいよな、理宮さんがいないなんて。いつもここに来れば会えるのに、今日に限っていないんだよ。俺も、用事があったのにさ」
「そう――……」
ふ、と中島は短く息を吐きだすと、右ポケットに手を入れ、ゆっくりと引き出した。右手に何かを握っている。
「な、中島、それ」
ぱちん、と軽く硬い音がして、刃とグリップの間の留め具にロックがかかる。中島が取り出したのはバタフライナイフだった。
小さいように見えるが、刃渡りは意外に長い。心臓か肺腑を突き破れば簡単に殺せるだろう。
しかし中島の体格では、市村の身体にナイフを刺すのは難しそうだ。
中島の狙いが、理宮なら? 華奢で、強く抱きしめたら簡単に折れてしまいそうな矮躯の持ち主の、理宮なら?
「あの女……どこに、いるの」
「いないって言ってんだろ、それ仕舞え!」
「あの女がいなかったら……あまゆも……魅音も……無事だった、かもしれない……」
「どっちも殺したのはお前だろうが、責任転嫁するんじゃねえよ」
「うるさい、うるさい……! 『魔女』がいないなら、まずは、市村から……!」
軽い足音を立て、中島はステップを踏む。一足飛び、とまではいかないものの、それなりの距離を一気に詰められたことで、市村は驚いてよろめいた。
市村の身体があった場所に、ナイフの刃が煌めく。
危険だ、と判断した市村は中島と本格的に対峙することにした。
中島はどうしてかナイフを持っていても、特段に冷静だった。しっかりと市村の眼を見据え、ぎらつく瞳で狙いを定めている。
(喉、か)
市村はナイフの切っ先が自分のどこに向いているのかを判断する。良い判断だ、と思った。首ならば、掠っただけでも致命傷になりかねない。肺や心臓を狙うのは、そのあとでも構わないのだ。
「ねえ……あの女、どこにいるの……」
「俺にもわからねえって言ってんだろ。ていうか、お前じゃ俺に勝つってのは、無理じゃねーのかな」
「そんなに、自信あるんだ……くすっ」
また、中島はステップを踏んだ。市村はそれを捉え――きれなかった。何故なら、狙われている喉とは反対の方向へ動かれたからだ。
「なっ」
思わず、追いかける形になる。それが、失敗だった。
喉元に、刃。
衝動的に追いかけたところで、何とか踏みとどまったものの、市村の喉元にはぎらつく刃が当てられていた。
「逃げられない……ね」
「く、この」
「言って……『魔女』は、どこ」
「だから、俺も知らないって言って」
「嘘つき」
中島は、さらに目つきを鋭くして言う。
「市村にわからないはず、ないじゃない……いつも、この部屋にいるんでしょ……? なら、なんでいないのかも、わかるでしょ」
「いい加減なこと言うなって! 俺だって戸惑ってんだよ、ここに理宮さんがいないなんて、本当に、初めてで――」
そう、あの記憶の中で、理宮と水族館に行ったことがある以外は、理宮はここにいた。
しかし、それは現実的ではない。理宮が常々この『第二書庫』にいたとしても、不在の瞬間が何度もあったって良いだろう。それなのに、市村は理宮のいない場面に遭遇することはなかった。
(何で、だ?)
市村は思い出す。あのとき理宮が語ったトンデモ話のことを。
「頭の中で、君は深い意識にアクセスした」
理宮はあのとき、カール・グスタフ・ユングの超自我などを引き合いに出し、氷山の一角から深い海の底にアクセスしたのだ、と市村の不可解な現象について言及した。そして、これはトンデモ話で、何の証拠も根拠もないものだと笑って見せた。
今の市村にははっきりとわかる。これは、トンデモ話なんかではない。
真実だ。
市村はこれまで、何度も〈誰かの意識〉や〈誰かの過去〉〈自分の過去〉などにアクセスした。それは恐らく、自分がなんらかの状態にあって、周囲の人間の意識にアクセスできるからではないか、と、考えたのだ。
「何してるのさ、市村……」
尖った声に、市村ははっとする。目の前にはまだ、中島がはっきりと意識と存在を持ってそこにいた。
「今のお前に用事はない、って思ってた」
「なにそれ……これ以上、苛つかせないでよ」
「うるっせぇな!」
「うわっ」
喉元に突き付けられたナイフを、右腕で払い退ける。市村の右腕は中島の右手にしっかりとヒットし、ナイフを弾き飛ばした。
金属製の音が鳴り、床にナイフが落ちる。銀の刃が西日に煌めいた。
中島は慌ててナイフを取り戻そうと、体勢を崩す。その瞬間を、市村は見逃さなかった。
肉を蹴り飛ばす感触が、市村の左足に残った。中島の腹を思い切り蹴り上げたのだ。短い悲鳴とともに中島は一瞬、重力を失ってから板張りの床に落ちる。
「が、はっ」
「はぁ、うん。暴力とか嫌いなんだけどな」
そう言いながら、床に落ちてまでナイフの方に伸ばされていた中島の手を踏み、これ以上の攻撃を阻止する。
「これ以上、何もするなよ」
「はッ……どうせ、魔女に使われてるだけなのに……どうして、そんなに気にするのさ」
「それはな」
そして、堂々と市村は宣言した。
「俺は『魔女、理宮真奈』の『助手』であり――恋人だから、だよ」
その後、市村は中島の腕を極めながら、ドアの外に放り出した。もちろん、ナイフは没収したままだ。
「さて、と」
再び、第二書庫はしんと静まり返る。
徐々に日が暮れて、第二書庫が橙に染まる。
「……記憶にアクセス、か」
――その日。市村は初めて自分の意思で記憶の海に沈んだ。
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