◆episode.45 顕現◆

 理宮家。

 荘厳な平屋建ての、広い座敷に並んだ座布団の群れ。

 等間隔に並んだ座布団の上には、順列に従って、階級の高い者より先頭から後ろへ向かって座っている。

 禿頭の男もいれば、時代錯誤に髪を結っている妙齢の女もいる。

 奥まった座敷の、さらに奥。〈一番偉い人間〉が座る位置に、着物を来た女性と、白髭をたっぷりと蓄えた男が座っていた。

「真奈は」

 髭の男性が重く低い声で、言う。鋭い声は、どこかに棘を孕んでいる。

「まだお戻りになりません。まだ、もう少し休養が――」

「そんなもの必要ないだろう!」

 苛立ちが頂点に達するか否か。それほどまでに髭の男性は殺気立っていた。

「今、真奈がいなくてどうする! あれがいなければ、この理宮の【運命】がわからないのだぞ!」

「そ、そうですが頭首様、まだ真奈様の御心は……」

「煩い。とっとと連れて来い、あれはここにいて然るべきなのだ、だから、呼び戻――」


「――――煩いのはそっちだよ、お父様」


 凛、とした声。張りのある声。それはこの座敷に並んだ人間の頭の中にはない声だった。

 誰か、誰だ、とにわかに集団がざわめく。並んだ頭が左右に振られ、最後に自分たちの真後ろに目線が固定された。

「やぁ、揃っているね……この僕が帰ってくるのを、待っていたのかい」

「真奈……?」

 理宮の姿は、まるで毛並みの整った猫のようだった。

 これまで死んだように濁っていた瞳に爛と光を宿し、肌も、荒れ、細かい傷が付いているものの血色は良い。唇には、紅薔薇の微笑みが宿っている。

「どうも、皆の衆。僕はここに、最後の神託を与えに来た」

「最後のって、真奈、あなた!」

「勘違いしないでくれ、母上。僕はもうあなたの下僕ではないし、まして父上の神棚でもない。ただ『人間』として生きる道を選ぶだけさ」

「何ぃ?」

 次に声をあげたのは父親だった。

「真奈、お前に普通の人間と同じように生きられるだけの素質があると思っているのか」

「それもまた勘違いしないでいただきたい。僕は玖城のバックアップを受けながら、学校に通うことにしたんだ。裏口入学も甚だしいくらいだけれどね。あなたたちに一応の基礎教育をしてもらっていて助かったよ」

「玖城、どういうことだッ」

「へぇ、お嬢が言っている通りにございやす。お嬢には私立鈴蘭学園中等部に入学していただこうかと」

 私立鈴蘭学園。

 このご時世に全寮制で、かつ、閉鎖的な学園であることで有名だ。さらに言えば、その天才的な教育から有名人を多数輩出している。

 その場所に、理宮真奈は入学しようというのだ。

「お嬢のような方でも、受け入れてもらえることは間違いないと思いますんでね。もう手続きは済ましてありやす」

「我々から真奈を奪う気なのか」

「いえいえ、滅相もございやせん。ただ、お嬢に幸せになってほしいだけですよ」

「そうだよ、父上。玖城を責めないでやってくれ。これは僕の我儘なんだから」

 父親の顔が、怒りに赤く染まっていく。反対に、母親の方は血の気が引き青ざめていた。

「ま、真奈……あなた、わたしのやったことを、誰かに言ったんじゃ……」

「そんなことしませんよ、母上。大丈夫、あなたの〈教育〉は僕の人格を育てることに大いに役立ちましたから。――学校関係者には、根掘り葉掘り聞かれましたけれどね」

 がくん、と母親の身体から力が抜ける。周りにいた人々になんとか支えられ、後ろの壁に頭をぶつけずに済んだ。

「やれやれ、母上。そんなことではこの家の女将なんて努らないですよ?」

「真奈」

「何です、父上」

「最後の神託、と言ったな」

「ええ。きっとこれで、理宮の家は最後になるでしょう」

「……最後」

「この家はもう、『歯車がかみ合わない』かと。『張子の虎』でしかないのです」

「それが、最後の言葉か」

「はい、そうです」

「そうか」

 そして、父親は突として立ち上がり、床の間に据えられた大太刀を手に取った。

「お前を殺せば、未来が変わるか?」

「さて、それはどうでしょう。何もわかりませんね」

「なれば、試してみるしかあるまい」

 父親は、覇気のある声とともに理宮に切ってかかる。その太刀筋を、玖城の持つ短銃のバレルが受け止めていた。

「何故、邪魔を!」

「お嬢は、俺に生きがいをくれやしたからね。俺に【白羽の矢を立てて】くれた。だから、今まであなたの側近でいたんですよ。だけど、俺が仕えるのは、お嬢ただ一人だッ!」

 玖城はバレルで大太刀をはじき返し、銃声を響かせる。大太刀で銃弾を跳ね返すなどという人離れした技術など、理宮の父親はもっていない。

 故に、銃弾は身体に当たる。当たった銃弾は脚を通り抜け、腕も通り抜ける。理宮の父親は苦痛に顔を歪め、大太刀を取り落とした。

「ここまで、ですよ」

「真奈……」

 理宮は、父親のことを見下す。完全に、侮蔑の表情をしていた。

「僕はね、父上。僕は、ある人に出会って代わったんです。きっと、あの人が【運命】を変えてくれると」

「……! それは、お前の『力』が」

「無くなるかもしれませんね。ですが、後悔なんてありません。僕は、自由を手に入れるなら『業火に焼かれ』ても構わない」

 理宮は、堂々と言葉を発する。それは、これまで父親に見せてきた、怯えた表情とは全く違っているものだった。

 凛とした黒猫のような、高貴で、美麗な表情。長いまつげに彩られた漆黒の瞳。きっと、理宮真奈はますます美しくなるのだろう、と。そう思わされるような美しさだ。

「それではね、父上。次に会うときはきっと、棺桶の中で」

 理宮は玖城を連れ、家の外へ出る。

 外は、晴れていた。春の雨が上がったところのようで、地面に敷かれた砂利や飛び石は濡れていたが、空に浮かぶ雲は白く、陽光が輝いていた。

「――晴れているね、玖城」

「ええ。晴れやかに」

 二人の顔はそろって空に向けられている。まるで、見えない未来を見ているかのように。

「門出には十分だ。さぁ、行こう」

「あい、お嬢」

 理宮と玖城は歩き出す。未来を、手に入れるために。



*****



「あいつ、何て名前だったんだろうな」

 市村友希は思案する。

 漆黒の、美麗なワンピースを着た、烏の濡れ羽色の髪の少女。

 彼女はいったい何者だったのか。院内の何人かに聞いて回ったが、誰も彼女とまともな言葉を交わしていなかったらしく、挙句、病院側の人間は〈個人情報だから〉という理由で全く、情報をよこさない。

 これでは、彼女に持った初めて持った感覚を考えられない。

「何だったんだろうな、あの、違和感」

 まるで、遭遇を含め今まで目を合わせたどの生き物とも違う、何か、心をくすぐられるような、しかし、恐ろしくもある、違和感。

「なんて気持ちなんだろう、これ」

 この先、感じることができるのか、わからない。わからないが、何か、【運命】を感じるような気がする。

「もう一回、会える。そんな気がする」

 市村の直感は正しかった。だがそれを理解するのには――数年以上が、必要だった。



【Continue to the next Episode】

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