◆episode.44 晴天の霹靂の如く◆

 手に刺さったサボテンの針をみんな抜いてもらい、やっと一息ついた市村は、あらためて例の少女のことを見に行った。

 相変わらず、美麗な漆黒のワンピースに身を包み、ぼうっとして空中を見るでもなく、ただ座っていた。呼吸をするたびに肩がかすかに揺れるが、揺れがなければ――否、揺れていてもまだ、それは精巧な絡繰人形のように思える。

 市村はやはり少女を見ていると、心のどこかに棘が刺さったような、ちりちりとした焦燥感に駆られる。

「おい」

 市村の声に少女はゆっくりと振り返る。

「……君か。何か用かい?」

「お前、何でここにいるんだよ」

「ここ……? ああ、うん。精神科、か。そうだね。まあ、ひとまず……ここ、というわけか。ふぅん」

「俺の言葉は無視かよ、馬鹿女」

「それで……ここ、から……ああ……」

「はぁ――だから、無視キメこんでんじゃ」


「君は」


 昏い瞳が、いきなり市村の姿を捉えた。

「――……!」

「どうして、僕を視るんだい?」

「どう、してって」

「僕に何を求めて視線を送るんだい? 欲望、羨望、期待、好奇心、何を思って視ているのかな。どうせ、〈僕〉なんて見ていないんだろう」

 自嘲するように、少女は言う。世界に絶望したような、不幸を濃縮したような、死の香りが漂うような、声だ。

「〈僕〉なんてのはもうこの世界のどこにもいない。〈僕〉という存在は世界から切り棄てられた。だからもう〈僕〉はどこにもいない――いるのは、ただ【僕】という器だけなのだよ」

 市村の背筋に、氷のように冷たい怖気が走る。この少女は、何だ?

「僕は、何者でもないよ。何でもない。道端の石ころでも空を漂う雲でもない。もう、きっと概念になり果てた、そこにあるだけの何か、さ」

 つう、と怖気は繰り返し市村の背筋をなぞる。まるで市村の心の中を見透かすように、少女は滔々と語る。語り掛ける。そう、ではないのだ。誰かなのか、全てになのか、虚無になのか――それはわからない。

 だが、彼女は語り掛ける。語り掛けている何かの内に、市村が含まれている。

「……お前がなんだっていいけどさ。さっきの、何なんだよ。どうして俺がサボテンの針にぶっ刺さるって知ってたんだよ」

「そういう【運命】になるとは思っていなかったさ。僕は、ただ君が『針のむしろ』に身を置くことになるだろうと告げただけ。それ以上でも以下でもない」

「はぁ、運命ぃ?」

 眉根を寄せた市村は、理宮の胸倉をひっ掴み、軽く揺さぶる。

「お前さ、そんなもん本当にあると思ってんの? それとも何? お前が〈世界よなくなれ~〉って思ったら本当になくなるとか思ってんの?」

「…………」

「なぁどう思ってんだよ。それとも何だ? 俺にまた見せてくれるのかよ。その運命とかなんとかを」

 がくがくと、力を入れるたびに揺れる少女の首。まるで力の入っていない少女の身体は市村に揺らされるままにされている。

 しかし、一瞬。

 市村に、少女の眼が向いた。

「……じゃあ、みせようか?」

「――ッ」

 市村の眼の奥。脳味噌を直接、覗き込むような昏い眼。中に銀河を飼い慣らしているのではないかと錯覚してしまう。

 揺らす市村の手が止まったところで、少女は、す、と指を伸ばして一人の少年のことを示した。


「彼は、『脈がなくなる』」


 そう、言った。

 市村は思わず少女の服から手を放し、一歩、後退りする。

「脈って、心臓の脈か?」

「さぁね。何が『脈』になるのか、何が『なくなる』のか、僕には全くわからない。けれど、確かにわかる。彼は近く、『脈がなくなる』よ」

 それは、市村にとって少年の死を連想させた。この少女が少年の心臓を止めたのなら、それは殺人なのではないだろうか。だが、どうやって証明する?

 少女は、ただ『予言』しただけなのだ。それが【事実】になったところで、誰も少女を犯人だと断定できないだろう。

「お、お前、何を」

 する気なんだ――と、言葉を続けようとしたところで、市村の声は大きな声に掻き消された。

「どうしてだよ!! どうして家に帰れないんだよ!!」

「ごめんね。あなたのお母さんの状態、良くないの。あなたもまだ、落ち着いていないし。このまま、児童相談所での預かりになると思う」

「だって、だって、帰らないと母さんが……」

「もうそういうこと気にしなくていいの。大丈夫、きっとあなたもお母さんも良くなるわ」

「母さん、母さんを独りにさせておけない、独りにしないで、母さん、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 誰に対してなのか、謝罪を述べながら少年は膝から崩れ落ちる。

 少年の【運命】――家に帰るための【脈がなくなる】ことになった。

 自然と、市村の口が開く。茫然とした市村の表情を見て、少女はくつくつと哂った。

「ほらね、【脈がなくなった】だろう」

「お、おま、何を」

「何もしていない。ただ『言葉』にしただけ。それが【事実】になっただけ。それだけだよ」

 再び市村の背中に氷のような冷たさが滑る。あまりの冷たさに、市村は身震いをした。

「どうだい、これで信じてくれたかな。〈僕〉というものが何者であるか、〈僕〉というものがどんなものであるか。これで、君も僕から離れて行ってくれるかな」

「お前、なんか」

「もういい。もういいよ、放っておいてくれないか。僕はこの世界からとっくの昔に切り離されたんだ。〈僕〉という存在は、もうこの場所にはないんだよ」

 少女はそれだけ言って、また市村の足元に座り込んだ。美麗なワンピースの裾がふわりと花びらのように広がり、まるで漆黒の朝顔が咲いたようだ。

 そして、少女は瞳に何も映さなくなる。

 遠い、遠いどこかを見ている昏い瞳。美麗な漆黒のワンピース。磁器の白い肌。不可思議な異能――


「――あんた、『魔女』みたいだな」


「…………?」

「なんか、さ、アニメとか漫画に出てくる、預言者とか、魔女みたいだ。なんかすげえな、うん。あー、すげえと思ったらわくわくしてきた!」

「何、を」

「あんた、この世界にいないなんて言うなよ、少なくとも、俺はあんたのこと、見えてるよ。だから、さ。どうせなら『魔女』になっちまったらどうだ? そしたら、きっとこの世界の役に立てるよ。たぶん」

「僕が、『魔女』――」

 そのとき、初めて。

 少女の瞳に、光が灯った。

 瞳の中に、明るい、星が宿った。不気味な、恐ろしい色に輝く、死霊のような星が。

「『魔女』、か。いいね。いい。それはとてもいい。面白そうじゃないか――なるほどね。君にはそう見えた訳か」

「まあな。はぁ、こんな人に会えるんだったらワガママ言わずとっととこの施設、入りゃよかった。俺、市村友希。あんたの名前は?」

「ああ、まだ自己紹介がまだだったね。僕は――」


「お嬢」


「……玖城」

「お迎えにあがりやした。お父様がお呼びです」

「僕は、まだ彼に」

「時間がねえんです。すんません」

「そうかい。……なら」

「お、おい待てよ! まだ俺に名前、言ってないだろ!」

「大丈夫だよ、君と僕は――


『燃えるような恋をする』


――ことに、なるだろうから」

 そのまま、少女は黒ずくめの、玖城と呼ばれた男に連れられていった。

「はぁ。あの子、何だったんだ?」

 独り、市村は施設に残される。

 次の日、また無味無臭の中で目を覚ましても。

 少女は、そこにいなかった。



【Continue to the next Episode】

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