◆Episode.37 桜の中◆
桜の花が咲いている。薄紅色の花びらが、ひらひらと、次々と、雪のように舞い落ちてくる。
市村友希はその下を私立鈴蘭学園高等学校の制服をきちんと身に着けて歩いていた。
寮への引っ越しはすでに済ませており、今日は寮の部屋から出かけるだけとなった。
市村は幸運なことに、二人部屋の寮を契約したにも関わらず、もう一人の入居人が決まらなかったということで広い部屋を独占している。偶然とはいえ、他人に興味の無い人間としてはありがたい限りだった。
「えっと、数学進学はAクラス......だな」
五十音順に並ぶ下駄箱の中から自分のもの、市村友希の名前が書かれたものを見つけ出し、そこに外靴を入れる。今日持ってきた手提げの中から上靴を出そうとしたところだった。
「よっ、お前もAクラス?」
「え、ああ......そうだけど」
「いや~マジで!? 偶然だな!」
「はぁ、あの、俺たちどっかで会ったことあったっけ?」
「いや全く」
「じゃあ何で声かけてきたんだよ」
「これこれ」
声を掛けてきた人間は、自分の胸章を示して見せた。そこには「樫村」という苗字が書かれている。
「それが、何」
「おれとお前、名前が似てるじゃん? これってマジで運命だと思うんだわ」
「運命って。馬鹿なこと言うなぁ」
市村は苦笑して、少し呆れた表情を見せた。
「運命じゃん運命。マジで。でもって同じクラス。ならもう運命だって。これからよろしくな、市村!」
「あ、ああ」
樫村の勢いに少し気圧されながらも、市村は樫村とともに教室に向かった。
教室の中には既に、何人もの新入生がいた。その面々にも、市村は興味を持てなかった。しばらくして教師が教室に入ってきて、挨拶を始めた。
「はぁ......めんどくさ」
窓の外を見やると、相変わらず雪のように舞い散る桜吹雪が市村の目に入った。散り初めの桜の儚さの方が、教室で行われるレクリエーションよりもずっと興味を引かれた。
しばらくして、教科書の配布やプリントの提出などが一通り終わると休憩時間が訪れた。樫村は友好的な性格らしく、他の生徒とも話している。
だが何か面白い話を聞いたらしく、市村のもとに数人とともにやってきて、こう言った。
「なぁ市村。この学校『魔女』がいるらしいぜ!」
「『魔女』? 何でそんなもんいるんだよ」
「わかんないけどさ。でも、その『魔女』は『第二書庫』って場所に居て、そこで願いを叶えてくれるっていうんだ」
「へー......」
市村は最初、情熱的になる樫村に対し、所在も興味もないように聞いていた。しかし、徐々に己の願いを聞き届けてくれるというその魔女に、会いに行ってみたくなった。
「それで、どこにあるんだよ。その第二書庫ってのは」
「それがさあ、わっかんないんだよなーマジで」
「はぁ!?」
「『第二書庫』に選ばれないとたどり着けないとかなんとかいう噂もあってさ。俺もこの辺かなーとかあの辺かなーとか探してみたんだけど、校内図にすら載ってねえの。マジでわかんねーな。あはは」
「あははって問題か? ていうか、校内図に載っていない場所があるって時点で学校として終わってる気がするんだけど」
「そんなことないって。たまたまだよ、たーまーたーま。ほら、この校内って増築くり返しまくってどこがどこやらわからない状態じゃん? だから記載忘れか、生徒立ち入り禁止なんだよ」
「そんな場所からどうやって噂が漏れるんだよ」
「うーん......マジで不思議だな! うん!」
元気よく頷いた樫村に、市村は少しげんなりとする。
「ま、俺も探してみるか」
言って、市村は立ち上がる。
「お? どこ行くんだよ市村」
「次、どうせ数学だろ? 俺もう単位足りそうだし、サボる」
「ちょっ市村!? 嘘だろ、マジ!?」
「マジだよ。じゃーなー」
市村は悠々と教室を出ていく。そのまま校内案内図が貼りだされている掲示板まで行き、全部の校舎が書いてあると思われる案内図を見た。
「防火なんちゃら法とかいうので、そういうの禁止っていうか、やっちゃダメなんだろうけどな。こうやってみると、この学校めっちゃ広いし......はぁ、探すの面倒くさくなってきた」
諦め、案内図をなぞっていた指をすっと下ろそうとしたそのとき。
目が、あった。
そうとしか考えられないタイミングで、『書庫』と書かれた場所に目が行った。
「これ......」
ぞ、と寒気が走る。きっとこの『書庫』のいくつかの中に『第二書庫』もあるのだろう。
「いやいや、まさかなぁ」
かぶりを振って嫌な意識をかき消し、凍る背筋を放って校内図をポケットに入れておいた手帳に書き写した。
「ここに、『魔女』が」
いるのだろうか、という疑問に応えるものはない。
ただ、市村がやることは決まっていた。
この人物に。
「『魔女』に――会いに、いくんだ」
*****
「へぇ、ふぅん......狭苦しい部屋に思い切り詰め込まれた本、そのうちの一つに僕、ね」
理宮真奈はそこにいた。
市村友希がこの鈴蘭高校に入学するよりもずっとずっと前から、理宮はそこにいた。
確たる存在として、そこにいた。
桜吹雪が窓の外で轟、と舞い上がる。
「気に入りやしたかい、お嬢」
「まあね。こういうちょっとくらい狭い場所の方が、今の僕には落ち着くさ」
「寮の部屋も確保してありやす。こことは違い、普通の部屋でございやすが」
「いいよ。そこまで本家にさせたんだ。それ以上の保身は自分でやる」
「ありがたい限りです。......お嬢。あっしにできるのは、ここまででございやす。この後のことは」
「自分でなんとかしろって言うんだろう」
「......ええ」
「大丈夫さ。医者に命のことを問われたときに、この脳の過活動の具合に対して『業火のように燃える』なんて表現をしたことをまだ根に持っているのかい?」
「もちろんでございやす。お嬢の『力』は、【運命】をもたらしやす。どうか、どうかご無事でありますよう、願っておりやす」
「ああ。こちらこそ重ねてもちろんさ。絶対にこの『力』から、【運命】から逃げきってやろうじゃないか」
「ええ、ええ、それでこそお嬢です。――おっと」
玖城の携帯電話が、けたたましく鳴り響く。どうやら、どこかからの呼び出しのようだ。
「お嬢、それじゃああっしはこれで」
「またね、玖城。何、そのうち会えるさ。僕が生きていればね」
「不吉なことを言わんでくだせえ」
最後に苦笑して、玖城は出ていった。
「ふふ......はは、あっはははは!」
理宮は、くるりと東西に置かれた二脚の机の間で踊った。バレリーナのような華麗な動きに合わせ、黒いセーラー服の裾が舞う。
轟
さらに合わせて、窓の外で桜吹雪が踊る。
しっかりとした、だが浮かれた猫のような足取りで、短い短い窓辺の本棚の方――背が低く、窓を背にしているが故に、出窓のようになっている本棚の方――へと、歩いて行って。
ひらり、と。本棚の上に座り、脚を組んだ。
「僕はここにいよう。僕はしかとここにいようじゃないか。そう、僕は『力』を振り回しうそぶきあざむく『魔女』になるのだ。そうそう、ここは、この場所は」
この場所は、理宮の城の名は――第二書庫。
かくして。私立鈴蘭学園高等学校に『第二書庫の魔女』が誕生したのであった。
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