◆Episode.34 ある少女の話◆
市村は、悪夢を見ていた。
酷い悪夢だ。酷い、酷い悪夢だ。
こんな世界、見たくない。
だがどうやっても、夢から覚めることが出来ない。
「う、うう......」
市村は、苦しく、悲しく。
記憶の中で、もがくことにした。
*****
理の宮。
立派な表札がかかげられたその家は、実に立派なたたずまいをしている。
中で行われているのは――少女の、言葉を聴くこと。
「真奈様、真奈様」
「どうかお言葉を」
ひれ伏す老若男女の目の前に、少女は座っていた。
髪の長い、凛とした少女だ。黒猫を思わせるような、黒い髪。瞳は大きく、黒目も猫を思わせるアーモンド形の、切れ長の目。
理宮真奈。
理の宮に真実の奈落。その名を冠した少女は、高い座の上に少女は鎮座していた。
「......僕は、こんなもののために呼ばれたのかい?」
理宮の言葉に、どよ、と声がさざめく。しかしすぐに静寂を取り戻し、理宮の言葉を待つ。
「こんなものなどと言わないの、真奈!」
理宮の隣に座っている着物を着た女性が、理宮のことを嗜める。理宮は肩をすくめて、それを受け流した。
「この世界はね。流転する。常に転がり続ける。万物は流転する。嫌でも何でも、世界は周り、巡り続けるのだよ」
少しずつ、ざわめきが伝播していく。そして、ある男性が声を上げた。
「真奈様、そのお言葉は」
「まだだよ。まだ......たぶん、ね」
理宮はじとりと、笑う。おとぎ話に出てくる、意地悪な猫のような笑みを浮かべる。
「この家も。どうなるかね」
笑みを浮かべたまま、理宮は一同を見渡して。一言、発した。
「『牙をむく』ものに気を付けたまえ。誰がか、何がか、わからないけれどね」
三度、集団がざわめいた。互いに顔を見合わせて、何が起こるのだ、どうすればいいのか、と騒ぎが大きくなっていく。
「嘘だッ!」
男の声が、畳敷きの広間に響く。
「嘘だ、そんな小娘の言うことなんか【真実】になるもんか! 何が『牙をむく』だ、そんな裏切り者がこの中にいるはずなんてないだろう!」
血走った眼で男は理宮のことを見る。理宮は男の目にしっかりと視線を合わせ、じっと、まじまじと、猫のような瞳で男の目玉を射抜く。
「ひ、あ、あぁ」
男の方はというと、理宮の眼光に気圧されたのか、二、三歩ふらつきながら後ろに下がり、その場にへたり込んだ。
「だ、誰だ、誰なんだ、裏切り者なんて本当にいるのか、いないだろう? なぁ?」
「さぁね。君がいないと思えばいないのだろうし、いると思えばいるんじゃないかい。言っただろう、誰が、何が、どれに『牙をむく』のか僕にはわからないんだ」
「いい加減に、いい加減にしろっ! 言え、わかっているんだろう、誰が何をどうするかまで、お前はわかっているんだろう!」
男は理宮のことを指さしながら怒鳴る。けれど、理宮のほうはすでに男から興味を失くして、梅の花こぼれるあでやかな日本庭園の方を向いていた。
「こんな場所に、いられない! おれはもういい、こんな小娘の言うことなんか聞かない、聞いてたまるもんかっ!」
男は叫び終わると同時に、腰を抜かしたままおぼつかない足取りで畳の間から逃げ出した。
しん、と広間が静まり返る。
理宮は猫に似た瞳をくるりと回し、枝についていた梅の花から目を離す。次に見たのは、男が駆け出して行った廊下の方向。
「何が、誰に、ね」
小さな、小さな声で理宮が呟いた。誰にも聞こえないような、声で。
次の瞬間には、もう、終わっていた。
発砲音、続いて悲鳴。
甲高い悲鳴。女性のものだ。誰が発したのか、とざわついた畳の広間に、ばたばたと激しい足音が近づいてきて、悲鳴の主である女中が言った。
「真奈さま、お逃げ、お逃げくださ――」
女中が最後まで言い切る前に、さらに発砲音が響いた。
広間が悲鳴で満たされる。ある者は腰を抜かし、ある者は脱兎の如く逃げ出し、ある者は茫然と目前の光景を眺めていた。
拳銃を持ったその手は、次々に狙いの人間に照準を定め、的確に対象を打ち抜いた。
手の主は黒づくめのスーツで全身を固め、目深に黒いハットを被っていた。スーツは伸縮性のある素材なのだろう。狙いを変えるため何度も身をひねるが、黒づくめの動きを阻害することは一切なかった。
「大丈夫ですかい、真奈嬢」
「ああ......君だったのか、
「いやぁ、あの男は芝居が下手でいらっしゃる。あっしでもわかりやした。【牙をむく】のがあの男とその一味だってことがね」
広間に累々と転がる死体を目前に、理宮は平然としていた。そして、理宮の背後には怒りに肩を震わせなる理宮の母と、押し黙る父がいた。
「ねえ、父様、母様。今日は僕にどんな仕打ちが待ち受けているのでしょう」
二人のほうを振り返り、理宮は無邪気に問いかける。理宮の傍には、ヒットマンである玖城が控えている。
玖城の姿を前にしては、父も母も無言を貫かざるを得ない。
「――玖城。あなた、真奈をあの学校に入れるんですってね」
口を開いたのは、理宮の母だった。
「ええ、ええ。あの学校でしたら、お嬢のお眼鏡に敵うと思いやして。どんな学校かくらいは、お調べになっておられるんでしょう、あっしの口からは申し上げません。ですが、確実にお嬢の力をこの理宮家から手放すにはちょうど良い場所です」
「そのようね。いいです。あなたのお好きになさってちょうだい。その代わり。真奈に何かあったときは、あなたの首が世界のどこにあるかわからなくなっているでしょうけれど」
「へぇ、存じておりやす」
言って玖城は、目深に被っていたハットを脱ぎ、胸に当てて深々と礼をした。
「......玖城や」
低い、地の底から響くような声が、理宮の父の口から発せられる。
「何でしょう」
「どうか、真奈を頼んだぞ。儂らでは、もうどうにもできない――この、悪魔を」
悪魔、と呼ばれた理宮は、その例えが嬉しかったのか、猫のような目を細め、豊かなまつげの奥で瞳を煌めかせた。
*****
酷い、夢だ。
あまりにも、残酷だ。
何が悪魔だ。誰が悪魔だ。
市村は思い切り叫びたかったが、その夢の中での市村はただの傍観者でしかなく、関与することは一切できない。
これも――記憶。
今まで、夢幻だと葬り去り忘れてしまおうと、そう思っていたのに。
まざまざと、見せつけられた。
理宮真奈の記憶。
これが何を意味するのか。何を示唆するのか。市村は、もうわかっていた。
「理宮さん......」
目を開く。そこには毎朝、目に入る白い天井が相も変わらずそこにあった。次第に天井が歪み、溶け、滲んで、見えなくなる。
市村の、涙によって。
「どうして、あの人は、こんな」
あまりにも惨憺たる記憶が本当なのか――理宮のものなのか。
「訊いて、みなくちゃ」
枕元のアナログ時計を覗くと、まだ時針は五時を示している。分針の方はというと、十二に等しい位置にあった。
流石に、早すぎる。
呆――と、天井を眺めているうちに。
市村は、次の世界へ身を落とすこととなった。
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