◆Episode.32 掠め取る◆
『第二書庫には願いを叶えてくれる魔女がいる』
まことしやかにささやかれている噂を聞き、市村友希は『第二書庫』へ足を踏み入れた。
『第二書庫』で待っていたのは――黒猫にも似た、『魔女』だ。
「やぁやぁお客人! よく来てくれた。久々のお客人だ。嬉しいよ、とても嬉しい。僕の根城へようこそ」
市村は、『魔女』の姿に圧倒されていた。自校の制服であるというのにどの女子生徒が着ているものよりも深く重い漆黒のセーラー服に身を包んだ『魔女』は、『第二書庫』をぐるりと囲う本棚の中で唯一背の低い窓際の本棚の上に腰かけている。制服よりもなお暗い深淵の黒目は猫を思わせるアーモンド形をしている。背中に長く伸びた黒髪は絹のような艶やかで、やはり毛並みの良い黒猫を彷彿とさせた。
『魔女』はじっと、純黒の瞳で市村を見つめている。ただ見つめているのではない。にやにやと、まるでおとぎ話に出てくる意地悪な猫のような笑みを浮かべ、市村のことを値踏みするかのようにねっとりと視線をはわせる。
「あ、の。俺『願い』を聞いてもらいに」
「ああそうだろう。そうだろうともさ。この『第二書庫の魔女』に用事があるとするならば、きっとそれ以外のものは無いだろうからね。君はこの僕に『願い』を聞き届けてもらいにきた。少なくとも、話を聞いてくれるだろうと期待を持ってこの『第二書庫』に来た。そうだろう。そうなんだろう? どうなんだい、市村くん。市村友希くん」
「はぁ!? どうして俺の名前知って」
「当然さ! 僕は『魔女』だよ。この『第二書庫の魔女』さ。そんな僕が君のような『願い』を持った人間のことを知らないと思うのかい。それは心外。非常に残念だ」
「『第二書庫の魔女』、って、じゃああんたやっぱり」
「そう。僕こそがこの『第二書庫の魔女』理の宮にありし真の奈落――理宮真奈である!」
理宮は混沌の瞳を輝かせそう宣言すると、市村のほうへ手を伸ばし、言った。
「さぁ、願いをどうぞ」
差し出された手に、市村は困惑する。『願い』を聞いてもらおうとこの『第二書庫』へ赴いたことを言い当てられたことはともかく、自分の名前まで把握している謎の『魔女』――理宮真奈に、言葉を手渡すのが恐ろしくなったのだ。
しかし市村は理宮に言わなくてはならない。自分の悩みを――否、『願い』を。
「俺は――〈×〉を知りたいんです」
ざり、と。市村の世界にノイズが走る。違和感。しかし、それでも世界の情景は続く。
「俺は、〈×〉ってもんを理解できないんです。誰かを〈×〉したり、誰かに〈×〉されたり、そういうのが気持ちが悪くてたまらないんです。でも......」
「君は、人並みの幸せというものを感じてみたい」
「そう、です。俺は誰かが感じるような〈×〉ってものを感じてみたい。考えてみたい。その結果、何がどうなるかわからない。けど、でも」
「誰かのことを、〈×〉してみたい」
「――......はい」
返事をした市村の顔は、真面目で、瞳には決意が灯っていた。その光を、理宮は自身の深淵の瞳に落とし込み、ゆっくりと頷いた。
「成程、成程。そうか。君はそういう『願い』を持って『第二書庫』へ足を運んだというわけか。ふむ。成程ね」
市村には察しがつかない何かを、理宮はかみ砕くように頷く。満足がいったのか、一瞬、瞼を閉じるとゆっくりと開け、市村の姿を捉えた。
「ならば君の『願い』を叶えよう。きっと『燃え上がるような〈×〉』が待っているだろうからね」
「ほ、本当ですか!?」
「だから君――この『第二書庫』で『魔女の助手』をやりたまえ」
「は、はぁ?」
「君の『願い』には対価が必要だからね。その対価に見合うと言えば僕の助手をやることくらいだ。きっと楽しいぜ? 何せここに来るのは変人ばかりだからね」
「はぁ......って、それ俺のこと遠回しに変人だってディスってません!?」
「ははは、ばれてしまったか」
「はははじゃねえ! っていうかあんた、俺と同学年じゃん、ならタメ語で」
「残念ながら僕は何年か休学していた時期があってね。自慢じゃないが間もなくアルコールの世話になることもできるぜ。ま、校則上あまりよろしいことではないけれどね」
「ってことは」
「そうだね。君がこのまま敬語でいてくれる方が僕にとっては気持ちがいい。というか、いっそ『魔女』としての箔が付くくらいのものだ。君は僕に敬語を使い続けるといい。年長者は敬うものだ」
「なんか理不尽だ......」
*****
――ノイズ。
目を開けると。そこには理宮が、理宮真奈が、『第二書庫の魔女』が立っていた。
この空間は、世界は、現実だ。記憶じゃない。
「理宮さん、俺は」
「少しは思い出せたかい?」
「......俺は、あんたのことを知っていた。そうなんですね」
「おやおや、やっとのことで思い出したか。ずいぶんと遅かったね」
理宮の表情はいつも通りだ。楽しそうな、意地悪そうな、おとぎ話に出てくる猫のような笑み。そんな理宮はひらりと身をひるがえし、窓際の背の低い本棚の上、いつもの場所に座ってみせた。
「そう! 君は僕のことを知っていたし、僕は君の願いを一度、叶えている。それがどんなものなのか――それは、思い出せたかい」
理宮の言葉に、市村は少し言いよどみ、正直に伝える。
「肝心のところで、ノイズが走って......結局、あんまり思い出せてないです」
「ふぅん。そうなのか。まあそれでも構わない。大事なのは君の『思いを晴らす』のが役目だ。記憶を取り戻すのが、僕の使命である。それは君がこの世界にいる限り変わらない」
そう、理宮は宣言した。
「君がどうなろうと関係ないさ。どうあっても僕は君の『願い』を叶える。それが悲しい結末であれ、嬉しい結末であれ、【運命】へと昇華させる。それが魔女の役目なのだよ」
語る理宮はにやにやと、笑っている。市村はそれを見て、ほんの少しのいら立ちを覚える。
「はぁ......まったく、あんたって人は」
市村はその苛立ちにさえ快感を覚え、理宮に対峙する。
「どうしてそんなに傲慢なんです? 俺、あんたに『願い』を叶えてもらおうってのは思っていましたけど、使命とかなんとか大層なことは求めてないですよ」
「それが何だね。僕は僕の信条を貫くだけだ。たったそれだけのことだ」
にやにやと、理宮は市村を見る。その視線に、瞳の色の深さに、その向こうに広がる深淵に、市村は沈み込んでしまいそうになる。そうはなるまい、と気持ちをしっかりと保つと、今度は理宮の整った相貌が目に入る。
理宮は美しい顔で、嫌味ったらしく微笑んでいる。薄い唇が、猫のような釣り目が、儚いが長く揃ったまつげが、絹糸のような黒髪が、陶磁器のような白い肌が、理宮真奈を構成している。
その美しさに、市村はくらり、とめまいを覚えた。いつかもこんな風に、理宮の美しさに圧倒されたような気がする。
しかしそれがいつだったか――
――ざぁ――......
――窓の外で、木々が揺れた。校庭に植えられた桜の樹は、各々、紅く、あるいは黄色く色づいている。
「ご覧、市村くん」
理宮に導かれるままに、市村は背の低い本棚のせいで出窓のようになっている窓辺に近づいていく。
「え、あ、」
窓の向こうの光景に、息を飲んだ。
そこには、まるで赤い火の粉が暴れ回り、校庭を焼き尽くさんとするかのように落ち葉が渦巻いていた。
「まるで、これじゃ」
何かが燃えているようだ。
市村が言葉にしようと、口を開いた。その唇が震え、声にならない。膝が床に落ちる。床にうずくまる形になる。
「りみ、や、さ」
すがろうと、市村は理宮に手を伸ばした。理宮はその手をそっと受け取る。それが、安心につながった。
市村の意識は、
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