◆Episode.30 空を跳べるはず◆

 市村が目覚めた場所は、屋上だった。

 嫌な、予感がした。

 それなのにベンチに横たえられた市村の身体は重く、思うように動かない。

「う、は、ぁ」

 無理に身体を動かして起き上がり、視界を広げる。ゆらめく視界の中に、誰かの背中をとらえることができた。

「かし、むら」

 背中には見覚えがあった。いつも登校時に声をかけるあの背中――樫村の背中だ。

「おう、起きたんか市村。起きないかと思って、帰ろうと思ってたぜ、マジで」

 にこりと笑う樫村の顔に、屈託はない。むしろ、いつもよりもずっと晴れやかでうれしそうな顔をしていた。

「これからさ、ちょっとマジで面白いことしようと思ってたんだ。市村には反対されるかもしれないけど......もう、決めたことだから」

 決めたこと、反対されること、屋上。関連するいくつかの情報から、市村はある答えを導き出した。

「飛び降りる、気か」

 市村の言葉に、樫村は返事を返さなかった。


ざぁ――......


 強い風が、二人の髪をゆらした。

「樫村、」

「来るなッ!」

 嫌な予感が当たる前に、樫村を呼び止めようとしたが、先に樫村が叫んだ。

 風の音だけが、二人の間でささやきを鳴らす。

 しばらく経って、ようやく樫村が振り返り、口を開いた。

「おれさ」

 その口ぶりは、本当にいつもと同じで、先ほど叫んだ樫村の気迫はどこにもなくなっていた。

「お前のこと、憎んでたんだよ。市村のこと。マジで。何でおんなじクラスでおんなじくらいの身長体形でおんなじような暮らししてんのに、お前の方が優秀なんだよ、ってな」

「そんなの、別に」

「気にすることじゃねえってか。そうだよな。おれもマジでそう思うよ。でも、思えば思うほど憎くなってさ。こんこと思いたくないのに、憎くないはずなのに、って。思うほど、おれは市村のことが憎くなったんよ」

「......お前、もしかしてずっとそうやって」

「そう。おれは色んな人を憎んで生きてきた。みんな、いっせーので始まったはずなのにどんどん置いてかれる自分もだけど、置いていく人間、全員が憎くてたまらない。優秀な奴なら優秀な奴ほど憎くてしかたない。そしたらさ、いつの間にか誰かを殺したいほど憎くなっちまって」

「だから、先輩を」

「そ、大山先輩を殺したのはおれ」

 まるで、試験のカンニングがばれてしまったときのような、軽い、はにかんだ表情で樫村は続ける。

「ほら、おれって馬鹿だからさ。うまいトリックなんて思いつかないわけ。だから難しそうな推理小説なんて読んじゃって、そのトリック丸パクリ。殺して、第一発見者が来るまで背後に隠れて、まるでそのあとから入ってきたかのように、隠れてた場所から出てくる」

「だから、樫村はあのときロッカーに〈誰かがいる〉って意識があって」

「そ。いやー、ヘマしたなって思ったよ、マジで。ま、樹上とお前だったから誰にもバレないかなって。でも、よく考えれば市村は『第二書庫の魔女』の『助手』なんだよな。当然、あの人の耳にも入った」

「それで俺にバレたから死ぬって? それこそ馬鹿げてる。俺にバレたくらいなんだよ、どうして」

「あはは、お前にバレたからだよ」

 樫村の顔に、ほんの少し影が差す。

「お前には、一番バレたくなかった。だって、おれ、お前のこと憎くて憎くてたまらないけど。同時にさ、結構、好きなんだよ、お前のこと」

 がん、と。樫村の言葉に、市村は脳を揺さぶられるような感覚がした。

(まただ。好きなんて、感情)

 ショックのあまり、市村の視界が再びゆらぐ。めまいと軽い吐き気に襲われ、足元がふらついた。思わず、口元を押さえる。

 構わずに、樫村は続ける。

「おれたちさ、合格試験の日に出会ったじゃん? あんとき、親友になれるなって思ったんだよ、マジで。んで、実際、割と仲良く過ごせたしさ。ほんと。〈友愛〉とかいうのかな」

「あ、い」

 どんどんと、市村の視界は歪んでいく。

 愛。愛。愛。

 思えば、これまで理宮が関わってきた事件は、何かしら〈愛〉という感情がついてまわるものだった。市村は、〈愛〉という感情に振り回されてきた。それを考えると、より一層めまい感が増し、吐き気に嗚咽が漏れた。

「樫村、お前」

「なーに、市村」

「お前、俺にお前が死んだ責任を持たせる気じゃないだろうな」

「いいじゃん」

 樫村は予定がつぶれてしまったときにわざわざ理由を見つけるように、言った。



「どうせみんな、××で××じゃうんだからさ――」



轟。



 市村の目の前で、炎が渦巻いた。

 廊下が燃えている。見覚えのある廊下が燃えている。

 この廊下は、あの人の部屋のもとへ続く廊下のはずだ。

 炎渦巻く廊下の中で、一人、樫村が憎悪を丸出しにして叫んでいる。

「おい! おい! 誰も助けてくれないのかよ! おい!」

 声は誰にも届いていないようで、応える者はいない。

「マジで......××じまうのかよ、おれ」

 樫村はぐったりと、その場に膝から崩れ落ちる。ルームウェアの膝部分が床を舐める炎で焦がされたが、それももう気にする余裕はない。

「こんな、ことなら――殺しておけば、よかった」

 それが、樫村の――



「市村?」



「っ、はぁ、はぁ、あ」

 樫村の冷静な声で、めまいを伴った世界から戻ってくる。

「いま、いまの、は」

「ん? まあ、何だかわかんないけどさ。おれ、もうマジでここにいられないんだ」

「ここ、って」

「このセカイに」

「せかい?」

「そう。だから、さ」

 ひらり、と、樫村は身軽に屋上の柵の向こうへ降りた。そこで上靴を脱ぎ、律儀にそろえる。

「おい、おい待てよ」

 次に市村が吐き出した言葉は、市村自身でも信じられないような言葉だった。


「俺に――!!」


 一瞬、樫村はきょとんとして市村を見た。数秒後、また、笑う。

「ぷっ、あははっ。やっぱそゆとこ、お前らしいよ、マジで」

「ふざけてんじゃねえよ、俺は本気で思ってんだよ、俺に〈友人だから見届ける愛を持て〉とか、冗談じゃねえんだよ!」

「そうだよな。やっぱお前はそうじゃなきゃな」

「何だよ、やめろよ、飛ぶな、いくな!」

「ドライでさ、死んだ目しててさ。なんにも好きじゃない、なにもかも嫌いって顔しててさ」

「おい......おい!」

 樫村に語られれば語られるほど、市村のめまいと頭痛、吐き気がひどくなった。あまりの気持ち悪さに、市村は立っていることができなくなり、片膝をつく。

「まて、よ......!」

 そして。


「じゃーね、市村。またね、じゃないな。――さよなら」


 樫村が、空を跳んだ。



*****



 理宮は、いつもの場所に座っていた。

 『第二書庫』の窓際、背の低い本棚の上。そこで足を組んで座っていた。

 理宮は、あの日のことを思い出していた。



*****



「俺、憎い人がいるんです」

「そうかい。どうしたいのかな」

「憎みたく、ないです」

「ならば、『舞台から飛び降りる』気持ちで行動してみたらどうだろうか」



*****



 確かに、そう言葉を交わした。

 あの日に、樫村と言葉を交わさなければ。

 『魔法』を使わなければ。

「この赤い花は、咲かなかったのかな」

 理宮のいる『第二書庫』の窓の外には――


 ――人間だった、赤い花が咲いていた。



【Continue to the next Episode】

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