◆Episode.29 鳴いた、啼いた、泣いた◆

 大山が死んだというニュースは、一瞬にして鈴蘭高校の中を駆け巡り、あの優秀な生徒が、と惜しむ声があちこちから聞こえてきた。

 当然、理宮の耳にも飛び込んできた。それも、第一発見者である市村の声によって。

「君、もう少し落ち着くということができないのかい? まさに今、事件の最中なのはしっかりと理解しているが、それにしても取り乱しすぎだ。何があったのかちっとも頭に入りゃしない」

「はぁ、理宮さん、あんたねえ」

「死体になりゆくさまを見ていた君には残酷な言葉かもしれないけどね。彼が死んだという事実はもう取り返せないし、いくら騒いだところでとむらいにもなりやしない。君はもう少しそれを知るべきだ」

 理宮は淡々とそう言った。理宮とて、今このとき人が死んだというニュースを聞いて多少とも戸惑っているに違いないのに、実に淡々とそう言った。最初、市村は理宮の発言をなんて冷酷なんだ、と思ったが、すぐに考えを改めた――理宮の表情を見て。

(ああ、俺を冷静にさせようとしているんだ)

 理宮の笑みは、いつものものに似ていた。余裕を垣間見せる、おとぎ話に出てくる猫のような、意地悪そうな笑み。だが今日は、笑みの中にじくりと痛むとげが刺さったような影があった。

「さあ、呼吸を落ち着けて。ここまで走ってきたんだろう。残念ながら何も飲み物は無いが、据える酸素はたっぷりある。窒素も二酸化炭素もね。希ガスだってちょっぴりなら毒じゃあない。ちゃんと呼吸を整えて、これまでのことを語ってくれたまえ」

 理宮に言い聞かされ、市村は荒れていた呼吸と意識を取り戻す。そして、理宮にことのあらましを話した。

 語り部である市村の言葉に、理宮は相槌を打ちながら耳を傾けた。

「それで、ロッカーを開けたらボウガンが入っていたんです」

「なるほどね。なるほど、なるほど。第一発見者と言っていいのかどうかわからないが、大山くんが死にゆくさまを見ていたのは三人いたわけだ」

「ええ。俺と、樹上と樫村です」

「繰り返しになってしまうかもしれないが、そのロッカーというのはちょうど、人間がひとり入るのにちょうどいい大きさをしていたというわけだ」

「そうです。それで、樫村がその扉をあけて」

「開ける前に」

「え?」

「開ける前に、なんと叫んだかもう一度教えてくれるかな」

「えっと......」

「君は何気なく話したつもりだろうけどね。僕は聞き取ったよ。彼はロッカーを開けるときに〈誰だ〉と問いながら開けたのではなかったかな」

「はぁ、確かにそうですけど。それに何か理由があるんですか?」

「ああ。あるね。大いにある。むしろそれがこの物語の核とも言えるね」

「もったいつけないでくださいよ。何ですか、それって」

「ねえ、市村くん。樫村くんはどうしてロッカーの中に誰かが潜んでいるんじゃないかと思ったんだい?」

「あ――」

 言われてからやっと、初めてわかった違和感。樫村の中には確かに、ロッカーの中に誰かが潜んでいると踏んで〈誰だ〉と声をあげたのだろう。

 それは、どうしてか。

「その中に誰かが、ボウガンを撃った何者かが潜んでいると知っているからだろう」

「で、でも、樫村は俺たちよりも一足遅れで準備室に入ってきたんですよ。それなのに、何で知っているんですか」

「わからないかね」

 理宮は、至極当然だと言わんばかりの表情だ。

「樫村くんがそこに潜んでいたからに決まっているだろう」

「潜んで、いたって」

 市村の脳が、理解を拒む。あの温厚な樫村に限って、こんな事件を起こすはずがない。

「あの準備室が他の準備室やその他の教室にならって設置されているのであれば、扉に背を向けて部屋の中を見渡せるようにできていたのではないかな。そして、カビを防ぐための換気口も空いていた。狙った場所を覗き、細いボウガンの矢を発射するのにちょうどいいくらいの大きさの穴がね」

 市村の視界がゆがんだ。そんなことがあってたまるか、と、意識を取り戻そうとする。壁にぐるりとまとわりついた本棚に手をついて、なんとか耐えようと試みる。


ざぁ――......


 窓の外で、風が鳴き声を上げた。市村は思わず窓の外を見る。巻き起こる風に乗って、赤い花が泳いだ。

 それが、トリガーだった。

 市村はその場に崩れ落ちる。膝が床にしたたかに打ち付けられ、痛みを発したがそれでも意識が戻ることはなかった。

 昏倒。

 最後に市村が見たものは。

(理宮、さ、)

 『第二書庫の魔女』の姿だった。



*****



 どうしておれはデキソコナイなんだろう。

 記憶から伝わる、強烈な劣等感。

「なんで樫村のだけ黄色なんだよー」

「やーい。チューリップまで馬鹿だー」

 どうしておれはナリソコナイなんだろう。

 赤いチューリップを咲かせるはずだった理科の授業で、樫村だけが黄色いチューリップを咲かせてしまったのだ。

 これまでも何度かそういうことがあった。赤か黒か選択できるランドセルを、樫村は男子の中で一人だけ赤を選んでしまった。

 幼稚園の頃は何かにつけて馬鹿にされた。絵がうまくない。足も速くない。頭もよくない。そんな樫村を育て、唯一の力となったのは自身の歌声だった。

 歌だけは誰にも負けない。

 それを自覚し始めてからすぐ、進路を音楽系に絞り、特に歌に特化したテノール歌手を目指すことに決めていた。

 実家のそばにいることはためらわれた。馬鹿にしてきた人間が近くに住んでいるという事実に耐えられなかった。

 だから、鈴蘭高校を選んだ。中学までは実家を出ることを許されなかったため、高等学校からの編入試験を受けた。なんとか、合格できた。

 そのとき出会った同じような境遇の市村に、友愛を寄せた。

「ゆう、あい」

 市村の見ている、樫村のものであるはずの記憶からはあたたかな、柔らかな気持ちが伝わってくる。相手を思いやり、尊敬し、尊重し、従順に、十全に、万に一つも間違いないように、市村を慕う気持ち。

「う、え、ぇ――......」

 市村は感じ取った気持ちに、感情に、吐き気を覚えた。胃の中に何かが入っているのなら、嘔吐してしまいたかった。脳に直接、打撃された感情が市村のことを揺さぶる。

 嗚咽が、市村の口から洩れる。げえ、と蛙の鳴くような音が何度も喉から出たが、唾液がしたたるばかりで、胃がひねりあげられる痛みが市村を苦しめた。

「う、げ、はぁっ」

 どうして樫村が市村のことを思っているのか市村にはわからない。理解できない。こんなにも重い感情が自分にのしかかっていたのかと考えると、考えるたびに吐き気と頭痛が襲ってきた。

「どうして、こんな」

 こんな感情を、向けられなければならないんだ。自分はそんなに大きなミスをしてしまったのだろうか。市村は激しく後悔する。

 その間にも記憶は展開していく。

 デキソコナイの自分が憎い。

 ナリソコナイの自分が憎い。

 何もできない自分が憎い。

 何もやれない自分が憎い。

 何も持っていない自分が憎い。

 何もしてくれない周りが憎い。

 何も起こらない周りが憎い。

 金持ちの奴が憎い。何でも持っているから。

 感情が豊かな奴が憎い。色んなものを持っているから。

 勉強ができる奴が憎い。様々な世界を見聞きできるから。

 何もかもが憎い。

 憎い。

 憎い。

 憎い。

 憎い。

 憎い。

 憎い。


 ――憎い。


 憎い、憎い、憎い。憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い

にくいにくい憎い憎いニクイにくイにクイ憎イ憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いニくいにくいにくいにく、い、憎い!!


 憎い、憎い、憎い。


 憎しみを感じ取ったことでようやく、吐き気から逃れた市村は、夢から――記憶から、目覚める。

 目覚めた場所は、屋上。

 嫌な、予感がした。



【Continue to the next Episode】

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