◆Episode.12 何が起きても一緒だよ◆

 深山魅音は、退屈していた。

 中島が必修授業に出席し、自身が選んだ授業は自習となってしまっているからだ。

 誰かと談話するということはしない。むしろ、他の女子グループから離れた場所にいる。

 いくつか点在する女子のコロニーの中に無理やり入っているものの、そのグループの女子たちからも腫れものを扱うかのようにされ、正直に言って気分がよくない。

 故に、深山は自分の携帯電話の情報にのめり込んで、会話する気を見せることはなかった。

(てゆーかっ、こいつら誰だっけ)

 深山の頭の中に、微量の疑問が浮かぶ。このグループにいる人間のうち、数人の名前を思い出せないのだ。

 そういうことはよくあった。もとより女子のコロニーというものは人間の入れ替わりが激しいもので、名前や顔をよく覚えないでいるうちに、深山の知らないところでハブにされて別な場所へ去っていく、ということが頻繁にあるのだ。

 しかし深山はすぐに疑問を頭から追いやり、すぐに携帯電話の情報に頭の容量を割く。

〈ゆーくんっ。いつかプール連れてってね〉

〈魅音……前から言ってるでしょ。魅音は心臓が弱いんだから〉

〈ダメって?〉

〈うん……〉

〈ひっどいなー。あたしはいっつもゆーくんの言うこと聞いてるのにっ〉

〈それとこれとは……話が、別だよ〉

 メッセージアプリのやりとりの履歴に、深山は真顔で向き合う。

〈でも〉

 その一行下。

 深山が期待している言葉が、そこに書いてあった。

〈今度こっそり……ね〉

 中島の言葉に、深山は肯定を示す画像を送って、メッセージを一区切りつけていた。深山はお気に入りのその画像を見て、嬉しそうな表情をする。

「おう、深山ァ」

 にこにこと笑い、中島との約束に思いを馳せていたときだった。後ろから、突然女子の声で話しかけられた。

「あっ、木下……」

「あとでちょっとツラ貸してくんなァい?」

「……やだっ」

「はッ。またそれ」

「優樹菜の言うこと、聞けよ」

「ゆっきー、また怖いよ」

 うるさい、と思った。正直に言って、この手の陰湿ないじめもどきに嫌気がさしていた。

「あのさっ。あたしの態度、あんたたちがいくら言っても変わらないからっ」

「うっせ、いいからツラ貸せや」

「むー……わかったよっ」

 おもむろに、深山は席を立つ。短いスカートの裾が揺れた。次の瞬間、そのスカートをひるがえし、脱兎の如く教室のドアへ向かった。

「また今度ねっ」

「え、ちょ、待てよッ!」

 そのまま深山は教室から姿を消し、どこかへと行ってしまった。優樹菜たちは茫然としていたが、自分たちの言葉が届かなかったことを自覚すると、苛立ちに声を荒らげた。

 そんなことを、深山は知らない。



*****



「中島君、元気ないねー」

 理科室の実験中、中島のとなりにいた女子生徒がぽつりと声を掛けた。

「弓弦さん……」

「あー、元気ないのはいつものことかもー、だけどー。今日はなんか、特にー?」

「……うん、ちょっとね」

 中島の心の中には、『魔女』に聞かせた『願い』のことがちらついていた。

 『溺愛』したいという『願い』。

 心に芽生えた願いを素直に口にした、あのとき。中島が考えていたのは、深山との未来ではなかった。

 むしろ、深山のことを少しだけうざったくさえ思っていた。理由は、簡単なものだ。だがそれを考えるだけで嫌になる。今は、考えたくなかった。実験に集中したかった。だから、弓弦には本心を伝えない。

「何でもないよ……大丈夫」

「そうー? 無理しないでねー」

 強がる中島に、弓弦はにっこりと笑いかける。中島はつられて、笑顔になる。

「あまゆ、こっち手伝って」

「はーい」

 一時、弓弦が離れる。それを少し寂しいと思い、慌てて振り払う。

 中島は深山を愛さなければならないのだ。深山の『願い』を叶えてあげれば、きっとそれで済むのだ。

 だから、そうしよう。

 心に決めた中島は、電気抵抗実験が終了した直後、片付けと称していくつかの部品を手に入れた。

 使い方は――決めていた。

 誰にも言わない。こっそりと。隠さなければならない。その心情が、中島の手を震えさせた。

「そーだ、中島君ー」

「えっ……」

「コーヒー好きだったよねー。この間、美味しいカフェ見つけたんだー。こんど、一緒にどうー?」

 弓弦の提案はとても魅力的なものだ。コーヒーを好んでいることを、覚えていてくれたことも嬉しい。だが、中島はこう答えるしかない。

「うん、いいね……でも、魅音に聞いてみてからね」

 それがみじめで、情けなくて、涙が出そうになる。

 自由になりたい。

 望みを、叶えたい……。



*****



「大山せーんぱいっ」

「うおっ」

 文系コースの三年生が集まるラウンジに足を踏み入れた深山は、迷わず大山の背中へ飛びついた。

「なんだ、深山か。どうした」

「あたし暇になっちゃってっ」

「それだけでオレのところにくるなと言っているだろ」

「えーっ。いいじゃないすかっ」

「まったく、お前って奴は」

 深山の行動がこのラウンジの迷惑になると考えた大山は、荷物をまとめ、深山を促してラウンジを出る。

「お前、彼氏はどうしたんだ」

「ゆーくんは授業ですっ」

「それなら大人しく待てばいいだろ」

「教室にいられなくなっちゃってっ。だから先輩のところ、来ましたっ」

 にこにこと、全く悪気無く深山は言う。

「先輩、先輩っ、今度あたしと一緒に駅前のアイスクリームショップ行きましょっ」

「深山、お前な」

 大山は理科室へ向かう足をいったん止めて、深山に向き直る。

「お前にはオレよりも大切な人がいる。それは中島だろう。オレなんかに構うんじゃない」

「でもっ……ゆーくんは甘いもの苦手でっ……」

 深山の瞳に、見る間に涙が溜まっていく。すぐに決壊し、涙がぽろぽろとこぼれた。

「あたしっ、ただっ、甘いもの食べたくてっ」

 泣きながら、深山は訴える。こういうことはよくあった。もう大山も慌てることはない。冷静にポケットからハンカチを出して、深山の涙をぬぐった。

「わかったよ。じゃあいつものように、中島に許可を取れ。それならいいぞ」

「わーいっ」

 大山の言葉を聞いてすぐ、深山は涙をひっこめた。笑顔を戻し、嬉々としてメッセージアプリで中島に連絡する。

〈今日、大山先輩とアイス食べてくるんでよろしくっ〉

 それだけを打ち込み、携帯電話をしまい込む。もちろん、授業を受けている中島にそのメッセージが届くはずもない。

「ほら、オレは次、理科室だから」

「えーっ、もっと先輩とお話したいっ」

「駄目だ」

「でもでもっ」

 深山は大山の身体にからみつく。その姿はまるで――恋人。

 はたから見れば、カップルが遊んでいるかのように見えた。事実、大山の周りでは深山は大山の彼女であるという認識を持っている人間さえもいる。

「こら、言うことをきけ」

「やですっ!」

「いいから。ほら、授業の邪魔、だ……」


きぃん、ごぉん――……


 授業終わりの鐘が鳴る。それを合図に、理科室からぞろぞろと生徒が出てきた。

 その中に、中島の姿もある。中島は携帯電話に目を落とし、深山からのメッセージを確認していた。

 だが、すぐに二人の姿に気が付いた。

「魅音……」

「あっ、ゆーくんっ」

 深山は、悪びれもせずに中島の方へ駆けていく。

「あのねあのねっ。大山先輩とアイス食べに行くことにしたからっ」

「おい、深山。許可を取れって」

 大山は深山をたしなめたが、中島は特に気にしないで言う。

「うん……読んだ……。行ってきていいよ」

「やったっ」

 深山は、中島の言葉を受け取り、小躍りする。そこに中島の諦観の感情が入っていることを無視して。

「じゃあ放課後、会いましょっ」

「あ、ああ」

「じゃーあたしっ、用事あるんでっ」

 そのまま深山は、踵を返してどこかへ向かおうとする。一歩踏み出して、思い出したように中島の方を振り返り。

「あっ、ゆーくんっ」

「……何?」

「浮気は駄目だからねっ!」

 と、言った。

 中島が力なく頷くのを確認すると、「ばいばいっ」と一言残し、その場を去った。

「おい、中島」

「いいんです……」

「でも」

「これも、ぼくの愛の形なので」

「本当にこれでいいと思っているのか。こんな、歪な」

 大山は中島を責め立てる。このままではいけない、と、大山は危機感を持っていたからだ。

「いいんです!」

 突如、中島は大声で言う。

「いいんですよ……もう!」

 中島の声に、一部の生徒が振り返る。すぐにその視線は霧散し、消えていく。

「な、中島」

「もうすぐ……」

 声を小さくして、中島は次の言葉を吐き出す。その声は、本当に吐き出すような、喉を絞られたような声だった。


「もうすぐ、終わるので……」


 それだけを言って、中島は大山とすれ違い、別な教室へと向かう。

 取り残された大山は、中島を見送る。心配をしながら。

 だが、中島の決意は、もう――揺るがない。


【Continue to the next Episode】

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