◆Episode.11 二人の願い◆
『第二書庫』にやってきたカップル。
男子生徒の腕にぶら下がるように、小柄な女子生徒が腕を組んでべったりと張り付いている。
男子が中島ゆう、女子が深山魅音と名乗った。その二人を、市村は知っていた。
「あれ、中島じゃん」
「あ……市村?」
市村が声をかけると、病弱そうな、青白い肌をした中島が首をもたげて市村の方を見た。長い前髪が顔にかかり、それを黒い手袋をした右手で直す。
「久しぶり……でも、どうして市村がここに?」
「あ、いや、はぁ」
『第二書庫の魔女の助手』をやっていることを、市村は公にしていなかった。それを公にすることが何につながるわけでもないと考えたからだ。結果、中島に「どうしてここにいるのか」を問われる結果となった。
「俺は、一応、えっと」
「彼は僕の『助手』を務めてくれているのさ」
市村が言いよどんでいると、理宮が鋭く言葉を刺した。
「市村くんは僕の『助手』だ。良くやってくれているよ。実に良い『助手』だ。『魔女』として活動するうえでこれ以上なく活躍してくれている」
「はぁ、ま、そういうこと、かな?」
理宮の絶賛に市村は少し照れる。その姿を見ていた深山はぶすくれた表情をしている。
「ちょっとっ。あたしたちの話、聞いてくれるんじゃないんですかっ」
あまり身なりに気を使っていなさそうな中島とは反対に、深山は清純そうな黒髪をボブカットに整え、薄化粧をしている。うるおったくちびるが印象的なその顔は、清純さとは反対にどこか艶美な雰囲気を感じさせた。
「おっと、こいつは失礼。お客人を待たせるなんて『魔女』らしくなかったね。ようこそ、この『第二書庫』へ。僕はこの場所を根城にする、言わずと知れた『魔女』こと理宮真奈だ。どうぞお見知りおきを」
そう言って、理宮はにっこりと笑って見せた。
理宮は背の低い本棚の上で脚を組んだまま、動かない。一つ高い目線で見られることにいら立ちを覚えるのか、深山の表情は険しい。
「あの、『魔女』さん……ぼくたちの『願い』を叶えてくれるって、本当ですか……?」
「ああ。そうなるように尽力しよう。しかし僕は『魔女』である前に人間だからね。【運命】に対しては無力だということを頭にいれておいてくれたまえよ」
「はいはいわかりましたっ! じゃ、『お願い』言うねっ」
理宮の話を無理に切り上げると、深山は弾むような声色で願いを言った。
「あたしはゆーくんに『溺愛されたい』ですっ」
「ぼくは……『溺愛したい』です」
二人が求めたものは、対になる二つの『願い』だった。
「ほう。これはまた珍しいこともあるものだね。二人もお客人が来て、さらに二人がともに対になる『願い』を求めるなんて。いやはや、『魔女』も長いことやっていると面白いことが多くあるよ。今回のようなこと、とかね」
「いいからっ。『お願い』叶えてくれるんですかっ?」
「そうだね……どうしようか、少し悩ませてくれ」
理宮は眉間にしわを寄せて、少し嫌そうな顔をしてそのまま黙り込んでしまった。
(あれ、理宮さん)
市村の知っている理宮は、『願い』を聞いて納得がいけば二つ返事で叶えることを了承するのが常だ。自分のときも前回も同じだった。それなのに、悩んでいる。
「中島くん、深山くん。僕には、君たちは充分に互いを愛し合っているように見えるのだがね。それでもなお〈愛〉なんてものを手に入れようとするのは何故か、聞かせてもらってもいいかな?」
「えーっ」
「こら、魅音……」
「だってっ」
その姿を見て、理宮はてさらに眉間にしわを寄せた。まるで、嫌いなものでも見ているかのように。
理宮の様子を見ていて、それを異常だと察知した市村は助け船を出す。
「ほら、二人のことを理宮さんは知らないだろ? だったら、教えてあげたらどうだ。この人、あんまり教室とかに行かない人だからさ」
「確かに……」
中島の目線は理宮の上靴に向く。そのつま先のカラーリングは赤。中島や深山、市村と同じ学年を象徴する色だ。
「あんまり……見ない、人ですね」
「そだねっ。こんな人いたっけ」
「な? だから、理由をちょっと話してくれ」
市村が説得をしてもまだ深山はふくれっ面をしていたが、それを抑えるようにして中島が説明を始めた。
「魅音は……心臓が、弱いんです。こうして、元気に見えますけど……ときどき発作を起こすし、体調も、よく壊すし……だから」
「だからっ。私はゆーくんにいっぱい、いーっぱい『溺愛されたい』んだっ」
「ふむ。『溺愛』ね、『溺愛』。『愛に溺れたい』、二人はそれでいいのかな?」
理宮は真っ直ぐに二人を――否――中島の瞳を、見ていた。
『魔女』の視線に射られた中島は、肩をびくりと震わせて目をそらす。長い前髪で目が隠れ、理宮の視線を遮断した。
深山の方は辛抱たまらなくなったのか、そわそわし始めた。
「ねーねーっ、それで叶えてくれるのできないのっ?」
理宮は、まだ中島の方を見ている。その心中を見透かそうといわんばかりに。中島は、ひたすらに目を伏せるばかりだ。
やがて、中島の態度に何かを見出したのか、理宮は突然、宣言した。
「いいだろう。君たちの『願い』を聞こうじゃないか。深山くんは中島くんの『愛に溺れて』しまえばいい。中島君は――『溺愛』したらいい」
両手を二人に向けて広げ、仰々しく理宮は言う。意地悪な猫のような笑みを、誇らしく顔に浮かべて。
理宮の言葉を聞いて満足したのか、深山は軽く飛び跳ねて「やったっ」と言った。
「よかったよかったっ! 『お願い』叶うね、ゆーくんっ」
「ああ……そうだね、魅音」
二人は満足そうに見合って頷き合う。それから理宮を見て。
「ありがとうございます……」
「ありがと、『魔女』さんっ!」
と、礼を述べた。理宮の方はまんざらでもない様子だ。市村も安心し、胸をなでおろした。
きぃん、ごぉん――……
授業が終わる時刻を告げる予鈴が鳴る。いつの間にか、授業一回分ほどをフルに使って話し込んでいたらしい。
「あ……ぼく、次の時間、必修だから」
「あたしもっ。じゃ、頑張ってねっ、ゆーくん」
中島は深山に顔を寄せられて、軽くキスをされる。中島はそれに照れることなく、そっと深山の肩に手を置いた。
「それじゃあ、『魔女』さん。失礼します……」
「ばいばーいっ」
二人は腕を組んだまま、第二書庫をあとにする。残された理宮と市村は、喧騒が去っていったことで、やっと一息つく。
「はぁ。なんか、大変そうな『願い』でしたね」
「そうかい? そうか、君にはそう見えるのだね、市村くん。君にはそう見えた。ふむ、ならこの先のことはあまり面白くは無いのかな」
「どういう意味です?」
「次の授業、僕たちの学年の必修は理系高等進学コースか文系コースの二つ。女子が理系というだけで眉をひそめられるこのご時世に、深山くんのような女子生徒が理系の、それも高等進学コースを選ぶと思うかい」
「あー、確かに。文系だったと思いますよ、あの子」
「寮だって、自由時間を除けば二人はばらばら、自習時間にべったりしていたとしても高等進学コースは必修が多い。その上、深山くんの心臓は爆弾持ちときた。そして、深山くんのあの態度」
理宮の笑みに、深い深い闇が宿る。それはまるで、暗い場所で獲物を狙う猫のようだ。
「あの二人が、釣り合うと思うかい」
「え、と」
市村は即答できない。確かに、中島のような真面目な人間が深山のような明るく活発で、かつ〈軽そうな〉女子と付き合っているのは不釣り合いな気もする。そこに二人の愛情があったとしても、違和感を覚えてしまう。
「あんまり思わない、です」
「そうだろう。だから」
理宮の口が、笑みに歪む。
「――――とても、面白そうじゃないか」
ぞくり、と市村の背筋に冷たいものが走る。
理宮の言う〈面白そうなこと〉とは、どんなものなのだろうか。市村には想像することができない。想像、したくない。
市村の思いを察したのかどうなのか、理宮は市村のことを指さして言う。
「君には、胸糞悪いかもしれないけれどね」
理宮は、意地悪そうに笑う。
もう、止める術は無い。
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