◆Episode.3 愛は無限に注がれる◆
「私はぁ、ある子と両想いになりたいんですぅ」
『第二書庫』に入ってきた女子、筒香はるかはそう言った。
うっとりとした表情で、〈愛〉というものについて語る。その様は夢見る乙女そのものだ。
「女の子なんですけどねぇ、とっても素敵な子なんですよぉ。ピアノが上手でぇ、凛としていてぇ、格好良くてぇ。私ぃ、その子のこと大好きなんですぅ」
顔を赤らめながら、筒香はそう続けた。理宮は筒香のことを、興味深そうな顔をして――狂暴な、獲物を見つけた獣の表情をして――見ていた。
(この子、二組の)
市村は筒香のことを知っていた。変わり者で、情緒が不安定なところがありよく保健室の世話になっているという話を、同じ学年であるが故になんとなく耳にしていた。
今の筒香の状態も、決して正常であるとは言いがたい。
「両想いになりたい人、とは?」
理宮はにんまりと、おとぎ話に出てくる意地悪な猫のような笑みを浮かべながら、筒香に問いを投げる。
「滝沢伊織ちゃんって子ですぅ。聞いたことありませんかぁ? 二年生でぇ、ピアノのコンクールで何回もすごい賞取ってるんですぅ」
それを聞きながら、理宮は背の低い本棚が並び、出窓のようになっている窓際まで行って、猫が身軽にそうするように、本棚の上にひょいと腰かけた。そのまま、脚を組む。
「あぁ、その名前は聞いたことがあるね。音楽室でよく、自習時間にピアノを弾いているだろう。彼女の作曲した『La』というノクターンは聞いていて心地が良いよ」
そうですよねぇ! と、筒香は嬌声をあげる。市村はその様子に、どこか違和感を覚えていた。
「両想いになりたいって、告白とかはしなかったのか?」
違和感の原因のひとつである謎を解明しようと、市村は筒香に話しかけた。
すると、筒香はうって変わってしょんぼりとし、いじけた子供のようにうつむきながらぼそぼそと応えた。
「それがぁ、伊織ちゃんはぁ、〈わたしなんかより良いひとがいる〉って言ってぇ受け入れてくれないんですぅ」
「じゃあ告白はしたんだ」
「はぁい。何回もぉ」
「でも、断られてるんだよな。それなのに何で、滝沢さんだっけ、その人にこだわるんだ?」
「だってぇ……」
すると筒香は。
理宮とはまた違った、異質な笑み――狂気の混濁を目に宿して、笑った。
「そんなことでぇ、私が伊織ちゃんから離れるわけがぁないじゃないですかぁ」
市村の背筋が凍り付いた。筒香の中に、触ってはいけない琴線がある。その琴線に触れたとき、どうなるか。容易く想像はできたが、理解はしたくなかった。
「オーケー、オーケー。君の『願い』はわかったよ。気持ちもわかった理解した。だが両想いになれるかどうかは僕にはわからない」
理宮は口を開くと、饒舌に語る。
「僕という『魔女』は人間だ。『魔女という人間』『魔法という言葉』はしょせん、【運命】の前では無力なんだ。筒香くん。君がどんな形で僕の『魔法』を叶えるのか、まだ僕にはわからない。けれどね、たった一つ言えることがある」
「なんですかぁ?」
筒香の身を乗り出すような問いに、理宮は一拍置いてから朗々と口に出した。
「君は、筒香はるかは、滝沢伊織の『心を手に入れる』ことができるだろう」
そう宣言し、理宮は再び、じっとりとした瞳で筒香を見た。
筒香のほうは目を白黒させ、理解が追い付いていない風に見える。
「はぁ、えーと、理宮さん。それは筒香さんと滝沢さんが〈両想いになる〉ってこととどう違うんですか」
「何、そうは変わらんよ。ただ少しばかり形が違うかもしれないというだけさ。だが忘れないでほしい。『魔女』は【運命】の前には無力なんだ。彼らが僕の『魔法』に干渉してこようというのなら、それに敵うことはない。いつだって彼らは残酷なんだ。ゆえに、ヒトはそれを〈神様〉なんて名付けたりしているしね」
そこまで言って。理宮はもう言うことはないと考えたのか口を閉ざし、悠然と腕を組んで筒香のほうを見た。
「あのぅ、そのぅ。『お願い』って、叶ったんですか?」
「叶った……んじゃ、ないかな。理宮さん、どうなんですか」
市村は理宮のことを見たが、理宮はいたずらっぽい笑みで「さぁね」とでもいう風に肩をすくめてみせた。
はぁ、と市村は理宮の態度に落胆する。
「あんたはいつもそうなんですから……筒香さん、たぶんもう大丈夫だと思う。『心を手に入れる』ことができるって理宮さんが言っているんだし、きっと両想いになれるよ」
「そうかなぁ」
「そうだって。何も心配することなんかないよ」
「私ぃ、『お願い』が叶わなかったらぁ――」
筒香の表情が、茫然としたものから凶悪なものへと変わる。何物にも代えがたいほどの恨みを持った表情に、変わる。
「どうなるかぁ、わかんなぁい」
市村はそれを受けて、改めて背筋が凍り付く。この子は、異常だ。変わり者なんてレベルではない。
だがそう断言したところで理宮がこれ以上、動く気がないのであれば、市村にとっても同じことである。
とりあえず市村は、第二書庫から筒香の姿を消すことで、この一幕を終えることにした。
*****
「そういえば理宮さん、あんたいっつもその場所に座ってますよね」
「うん? あぁ、そうだね。気に入っているのだよ、この『第二書庫』という狭苦しい城、もとい檻の中でも、唯一、好んでいる場所なのさ」
「好むも何も」
市村は第二書庫の中を見渡す。通常の教室の半分ほどのスペースに、壁一面に本棚が密集している。扉の両脇でさえもその例外ではない。
唯一、外からの光と空気が入ってくる場所として南側に窓がある。その窓の下にももれなく本棚があったが、その本棚のおかげで、窓辺はちょうど出窓のようになり、理宮が腰かけるのにぴったりな高さを作り出していた。
そして、理宮はしょっちゅうそこに腰かけている。
机と椅子も二脚ずつあり、二人で並んで学習するのに困らない状況があったが、市村は理宮がどちらかの机に就いているところを見たことがなかった。
「この場所はね。この場所は、僕という呪われた『魔女』にとって大事な場所なのだ。大事で、大切で、ここにいることがある種、ステータスなのだ。他人との関係を断つことが、僕にとっての素晴らしき人生そのものなのだ」
「はぁ。それがどうしたっていうんですか。体育とはいいませんから、レクリエーションくらいには出席したらどうですか」
「君ね、聞いていなかったのかい? 僕にはそんなもの関係無いのだよ。否、大いにあると言った方がいいのかな。僕がそんな場所に出て行ってみたまえよ。ぶっ倒れてパニック発作を起こして、下手したら救急車を呼ぶ羽目になるぜ」
「パニック発作!? あんた、そんなもん持ってたんですか」
「そうさ。この脳みそはちょいと壊れ気味でね。この学校に入ったのも休学なりしながらゆったりたっぷりのんびり進級できることに魅力を感じたからなんだ。事実、こうして救済処置を受けながら過ごしているわけだしね」
それを聞きながら、市村は理宮の動向に納得を感じていた。つまり、通信制課程のような状態で、この学校に籍を置いているのだろう。それならば、授業に出向かないことにも説明がつく。
「学年こそ二年生だが、間もなくアルコールの世話になることもできるよ。校則上、喜ばしいことではないがね」
理宮はそう言って、にんまりと笑った。
「さぁさぁそれよりも市村くん。やっとやっと退屈の洞穴から抜け出した。ここから万物は流転する、筒香くんの持つ【運命】はもう転がり始めているよ」
市村は理宮の言葉に、胸を押しつぶされるような感覚がした。
何か、嫌なことが起きる予感がする。
そんな想像が市村の頭の中から離れない。そんな市村を見て、理宮はおとぎ話に出てくる意地悪な猫のように笑っている。
ここから、何が始まるのか。
まだ市村には、何もわからなかった。
そして――最後まで、わかりたくなかった。
【Continue to the next Episode】
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