大永元年の乱(五)

 話は少し遡る。反小島時秀の旗を揚げた渡部筑前が不利な形勢に焦りを生じていたころのことである。時秀憎しの激情から挙兵した渡部筑前であったが、先代済継なりつぐ或いは先々代基綱の名のもとに旗を揚げれば国内諸衆がこぞってその下に参集すると考えていた目論見は全く外れ、かえって古川城は三佛寺城の三木直頼、梨子打山の江馬時経、杉崎の小島時秀の三方から包囲される危機に陥っていた。

 このたびの惑乱の原因は、古川家が家中における小者衆を、小島家ゆかりの者だからという理由だけで虐殺したことにあった。済継なりつぐ暗殺の証拠を集めることなく、かかる暴挙に及んだことで、済継の仇討ちという大義はかすみ、かえって古川は国内諸衆の支持を失ったのである。和睦交渉にあたり、小島家或いは三木家が古川家の責任者の処分を求めたことは当然であった。

 すなわち、渡部筑前の首。

 これが和睦交渉の前提であることは論を俟たない。

 

 渡部筑前等古川家中衆が籠もる古川城は、古川盆地より宮川を挟んで南岸、麓に五社神社を据える小高い山の中腹に構える平山城である。城という名で呼ばれているが、戦国初期の城の多くがそうであったように、近世城郭に見られるような石垣は存在せず、他を圧する楼閣も持たない。土を突き固めて塁壁となし、堀切を設け、木柵を縄で結うばかりの簡素な造りである。しかもこの時代の古川城は、そういった簡素な城郭よりも一層防御に不適だったかもしれない。というのは、先々代姉小路古川基綱が同族の小島勝言といくさしてから既に四十年の歳月が経過し、戦乱とは久しく無縁の城になっていたからである。要塞としての役割よりも、姉小路古川家の飛騨政庁といった機能が、より重視される造りであった。

 とどのつまり、城に拠ったからとて長く戦い得るいくさにならないことは明白であった。


 しかし渡部筑前は圧倒的に不利な情勢でありながらなお、自らの首を差し出して和睦を請う気などさらさらなかった。依然、旧主済継なりつぐの敵討ちを果たしていなかったからである。

 このことは渡辺筑前の中で、他の家中衆に責任を押し付けてでも自分は生き延びねばならない、という言い訳に転化した。

 ある晩、渡部筑前は城中の主立った侍を広間に招集した。

「連日ほしいいや焼き味噌ばかりでは力も出まい」

 そういって渡部筑前は、城の蔵から酒や米、干した大魚を引き出してきて大盤振る舞いに振る舞った。饗応を受けた者の中には具足に身を固めた林兵庫の姿もあった。

 日頃より摂生して無駄に食を摂らぬ林兵庫ではあったが、合戦に際して腹を満たすことは、戦陣に身を置くからには当然の心得である。古川家中衆の総大将とも呼ぶべき渡部筑前が斯くの如く城の蔵から糧秣を引き出して振る舞う以上、明日にでも合戦があるものと見込んでこの日ばかりは林兵庫も大食し、酒も飲んだ。

 だが宴席で林兵庫は思いがけず強い眩暈に襲われた。あれしきの酒で正気を失う林兵庫でもなかったが、瞼が言いようもなく重く、舌が痺れ呂律も回らない。

 目の前に座る渡部筑前のにやけた顔が歪んで見える。筑前はそんな林兵庫になおも盃を勧めてくる。林兵庫は遂に堪えきれなくなり、その場にどっと倒れ込んだ。

「こやつは小島家ゆかりの小者どもを何の証拠もなく済継卿御生害の下手人と決めつけ皆殺しにし、此度の戦乱を招いた張本人である。首を掻っ切ってしまえ」

 昏倒した林兵庫の鼓膜に最後に届いたのは、渡部筑前のそんな言葉であった。しかし鴆毒ちんどくが全身に回って昏倒した林兵庫に、その言葉の意味はもうはっきりとは理解出来なかった。

 こうして先主済継にその腕前を見込まれ雇われた家中きっての使い手林兵庫は、渡部筑前の奸計の前に、いともあっさりと首を掻かれたのであった。


 無論、渡部筑前を目の前に置いて和睦交渉の席に座する三木直頼が古川城中で人知れず起こったこのような事件について知る由もなかった。

 なかったが、林兵庫の首を以て和を請う渡部筑前のにやけた表情を見るにつけ、古川城の中で何らかの血生臭い事件が発生したであろうことを、直頼は疑わなかった。


(同族同士で醜く相争えばよい。最後に勝つのは……)

 直頼はその思惑のもと、和睦の起請文きしょうもんをその場で取り交わした。これにより火種を残したまま、古川と小島の争いは一応の決着を見た。

 小島古川双方にとって不満の残る結果となったなか、三木直頼の名声だけは大いに高まった。和睦を早々に実現させたことで、飛騨国内の心臓部ともいえる古川を戦火から守ったと人々から認識されたのだ。これは直頼にとって何ものにも代えがたい戦果であった。何よりも重要なことは、小島時秀も渡部筑前も、三木直頼が、和睦を斡旋したことにより飛騨国内の人々の支持を得たことについて全くその重要性を認識せず、対策も打たなかった点であった。

 両者が気付かぬ間に、竹原郷の三木家は飛騨を代表する大名へと脱皮しようとしていた。

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