永正江馬の乱(五)

 江馬左馬助さまのすけ時重、時綱父子が高山に兵馬を差し向けているとの報を得て、急遽飛騨に下向してきた前正三位参議姉小路あねがこうじ古川ふるかわ済継なりつぐの顔をひと目見たときから、小島時秀こじまときひではこの男が噂どおり右眼に光を失っていることを看破した。

 右の視線があらぬ方向を向いており、しかも瞳が白濁している。

 ためしにその右側へ右側へと回り込んでみると、済継は首を不自然なほど右側に傾けた。見える左眼でその姿を捉えるためと思われた。

 なお視線を右いっぱいに傾けると、済継の右眼は白目を剥いた。視力を失った右眼が、酷い外斜視(片眼の視線が外側に向くこと)の症状を呈しているためであった。

 聞けば済継は、一度は辞した参議への還任を望んだものの、眼病を理由に勅許を得られなかったという。眼病のために参議還任が許されなかったこの男が、飛騨に下向してきては国司として振る舞っているのである。

 それは小島時秀にとって、不合理そのもののように考えられた。

 眼病により朝廷から参議不適の烙印をおされた済継が、国司としての職務遂行には支障がないとされる道理など、あろうはずがない。


 そのように考えて、ひとり胸の裡に昏い炎を燃やす時秀。


 江馬父子の横死を見届けて、明日には帰洛の途に就こうという済継は、見送りのため、その居館を訪れ下座にひれ伏す時秀の心の裡も知らず、威厳たっぷりに

「見送りご苦労である。引き続き在国し、家領の経営をよろしく頼む」

 と言うと、

「この度の江馬蜂起に際して、虎豹の如き武臣を差し向け得たのは、まことに前参議御威光の賜物。家領維持の儀、しかと承りました」

 大袈裟なまでに言辞を飾る時秀。

 その語中にいう「虎豹の如き武臣」とは、江馬父子鎮圧のため差し向けた三木右兵衛尉うひょうえのじょう直頼なおより、そして惣領家左馬助時重、時綱父子に叛旗を翻した三郎左衛門尉正盛、時経父子を指していた。国司古川済継の命により、この両者が江馬父子を追伐した。これが永正江馬の乱の概略であった。

 だが時秀がこの返辞で最も強調したかったのは、

「前参議御威光」

 の語であった。

 時秀は顔を上げなかったが、上座の済継の顔が不快に歪んだであろうことを思って密かにほくそ笑んだ。ほんらいは殊更言わなくても良かっただろう「前参議御威光」などという言葉を時秀が口にしたのは、

「お前は眼病のために参議還任の勅許を得られなかった身。飽くまで前参議に過ぎぬ。国司の職も同じことではないか」

 という皮肉を籠めてのことであった。

 先代姉小路古川基綱もとつなにも増して和歌をよくする済継である。宮廷歌人として名を馳せ、和歌を通じて前内大臣三条西実隆や権大納言中御門宣胤等といった錚々たる顔ぶれとも親交のあった文学の達人済継が、時秀が修辞に籠めた皮肉に気付かぬはずがない。済継は顔を時秀からぷいと背け、奥へと引っ込んでしまった。


 その晩、済継を見送るための宴が開催された。

 家領の名産品、或いは流通路を経由して東濃岩村から取り寄せたという大魚を使用して豪奢を極める酒肴を調えたのは古川家中衆。これに在国の姉小路一族を招致して、宴は大々的に執行された。無論、古川当主済継を上座に拝して、である。

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