永正江馬の乱(二)

 依然としてくすぶる江馬惣領家累代の居館跡を、三郎左衛門尉正盛一党が掘り返す。焼け残った系図等の文書類を探し出しては改めて焼き捨て、旧惣領家の残照を全く消し去るつもりなのである。

 だが掘り起こしの目的はそれだけではないようだ。あらかた掘り返したように見受けられたが、探し物が見つからないのか、江馬一党は日が暮れるまで作業をやめようとしない。

 ころは春の訪れも近い永正十五年(一五一八)三月であったが、日没ともなると依然冬の寒さを思わせる寒風が吹き荒む高原郷である。朝から焼け跡を巡検しどおしだった直頼は疲労を隠しながら、自分と同年代に見える立派な身形みなりをした武者に声を掛けた。この若い武者の指揮によって、辺りを掘り返しているように直頼には見えたからだ。

「先ほどから何を探しておいでか」

 自らも焼け跡の掘り起こしにあたっていた若い武者は、突如背後から掛けられた直頼の声に驚きの表情を隠さなかった。

「失礼致した。それがし、益田郡竹原郷の住人で三木右兵衛尉直頼と申す者」

 どうやら背後から唐突に声を掛けたことで相手を驚かせてしまったらしいことに直頼は思い当たり、若者らしい素直な感性で相手に詫びると、若い武者はその場に折り敷いた。

「これは、気付かぬこととは申せこちらこそ無礼の振る舞い、平に御容赦下さいませ。それがし、三郎左衛門尉正盛が嫡男、時経ときつねと申す者。以後、お見知りおきを」

 直頼は、江馬時経と名乗る若い武者の慇懃な態度に今度は自分が驚かされる番であった。

 いまや飛騨有数の有力豪族に数えられるようになったとはいえ、元をたどれば三木家など、守護代多賀氏の被官でしかなかった家柄である。守護京極家も守護代多賀家も、応仁文明の大乱で在京しながら激闘を戦い、勢力を磨り潰した挙げ句、飛騨における地歩を喪失した経緯があった。守護代多賀出雲入道の被官に過ぎなかった三木家は、幸運にも飛騨在国を命じられたことで、国内での地位を相対的に高めたに過ぎない。

 血筋でいえば、いにしえの平入道相国に繋がる家柄と伝えられている江馬家に到底及ぶものではなかった。

 そのことを自覚する直頼は、傍流とはいえ江馬家に連なる血筋の時経が、自分に対してこうも慇懃に振る舞ったことに驚かされ、それと同時に彼の父、三郎左衛門尉正盛に対しては抱かなかった親近感を時経に対しては抱いた。

 そんな直頼に、時経は言った。

「父の命により、当家累代の什宝じゅうほうをこのように一族郎党で探しているのです。しかしこれだけ掘り返しても見つからぬところをみると、強い火勢に曝されて失われたか或いは……」

 時経は言葉を句切ったが、それに続くべき

「敵方の何者かが持ち出して逃げ出したのではないか」

 という言葉を、時経が口にすることを憚った心情も、直頼には理解できることであった。それは、復讐者となる可能性のある者を討ち漏らし、この場から逃してしまったことを意味していたからであった。

 戦いは終わったばかりであった。三木家と江馬三郎左衛門尉正盛は共に手を携えて、飛騨国司家に弓引いた叛逆者を打ち破ったのである。

 その戦勝の余韻に浸るいとまもなく、将来おこなわれるであろう新たな戦いのことなど、出来ればいまは考えたくないものだ。特に、こんな凄惨な結果をもたらした戦いの直後には……。

 

 そういった思いが共通してあったものか、直頼も時経も申し合わせたように口をつぐんだのであった。

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