飛州三木家興亡録

@pip-erekiban

第一章 三木直頼の雄飛

永正江馬の乱(一)

 辺りに立ちこめて終始鼻をつく焦げ臭さに、三木みつぎ右兵衛尉うひょうえのじょう直頼なおよりは頭痛を覚えた。戦陣を初めて踏んだ直頼にとって、この焦げ臭さは初めて嗅ぐ類いの、なんともいえぬ嫌な臭いであった。いつまで経っても鼻が馴れるということがない。

 焼け落ちてくすぶる江馬家累代の居館跡。そこかしこには、四肢をすぼめた炭化遺体。焼け焦げた遺体の腹は押し並べて破裂していた。裂けた腹から飛び出しているはらわたの真っ赤な様が、焦げた表皮の真っ黒な様と対照的である。

 激しい火災は人体に含まれる水分を急激に沸騰させる。四肢は体表から蒸発する水分の作用により収縮し、水分をより多く含む内臓は沸騰し破裂して、腹を突き破って体外に飛び出るのが、強い火勢に曝された遺体に共通して現れる現象である。

 無論、右兵衛尉直頼は焼死体現象のそのような発生機序など知りはしない。彼はただ、眼前に拡がる凄惨な光景に圧倒されるばかりであった。

 頭痛に次いで、直頼を襲ったのは強い吐き気であった。それまで凝視していた炭化遺体から、直頼は慌てて視線を逸らした。

 ここ高原殿村に滅亡した江馬時重、時綱父子は、直頼の父重頼の病死を契機として蜂起したという経緯いきさつがあった。


 江馬父子をして

「重頼の後は続かない」

 と思わしめたからこそ、彼等は蜂起に及んだのではなかったか。


 幸いにして直頼は江馬父子の叛乱を鎮圧することが出来た。だがその自分が、転がる炭化遺体を目の前にして悪心をもよおし吐き戻したなどという話が周辺に伝われば、

「直頼恐るるに足らず」

 などと呼号して蜂起する輩が、またぞろ現れぬとも限らない。

 直頼は喉に力を込めた。喉元までこみ上げていた吐物を、無理矢理胃の腑の奥に押し戻すためであった。

「気分を害されたか。しかし気に病む必要はありません。我が惣領家とは言い条、国司家に対して弓引いた罪科を免れるものではありませんからな。

 焼け焦げた遺体の浅ましき様は、天に唾した報いというものでござろう」

 脂汗を額いっぱいに浮かべる直頼を気遣ったのは江馬三郎左衛門尉さぶろうざえもんのじょう正盛まさもりである。言葉の後半は唾棄するかのようなものの言い方であった。

 一昨年(永正十三年、一五一六)二月に家督を継いだばかりの直頼が、高山盆地に向かって軍を進めていた江馬時重、時綱父子を鎮圧できたのは、実にこの江馬三郎左衛門尉正盛の合力がなければかなうものではなかった。それがなければいまごろは、高山の過半は江馬父子の手に落ち、その領するところとなっていただろう。三木家の拠る益田郡竹原郷も、どうなっていたか知れたものではない。したがって直頼にとって正盛は恩人と呼ぶべき人物であった。

 しかしそうはいってもこの戦国乱世とあっては、正盛とて単に義侠心や親切心から自分に味方したわけではないことも、先刻承知の直頼である。

 要するに正盛は、

「惣領家江馬時重、時綱父子に取って代わらん」

 という年来の野望を遂げるために、俄に我が方に転じたものに過ぎなかった。

 その意味では三郎左衛門尉正盛も、父重頼の死を契機として蜂起した左馬助時重、時綱父子と同じ穴のむじなでしかない。


 正盛の気遣いに対し、直頼は無理矢理に笑みを浮かべて見せた。

「なに、大事ありません」

 そうこたえてはみたものの、額に冷や汗を浮かべたまま無理に涼しげな笑みを装った直頼のその表情は、不自然に歪んでいた。

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