⑧約束

並んで歩きだしてみたはいいものの、私は5年ぶりに再会した香織と一体何を話せばいいのか分からなかった。先ほどから、何か言葉を発しようとしては、それを引っ込めることを繰り返している。

香織も何も言わず、ただ私の隣で歩いていた。

まるで初めて一緒に下校した時のようだった。


今日、暑いよね。

最近どうしてるの?

髪、伸びたね。

どっか行ってた帰りだったの?

全然連絡しなくてごめん。


何を言うのが正解なんだろう。

どうすれば、昔みたいに話せるんだろう。

母から、香織は大学卒業後、そのまま大学院に進んだらしいということを聞いていた。

大学院での勉強のことを聞いてみようか、そう心に決め、今度こそ言葉を発しようと決意した時だった。


「奈緒、今は夏期休暇とかなの?」


突然、香織からの質問が飛んできた。

不意打ちのその質問は、私にとってとても答えづらいものだった。


「あぁ、ええと……。そうじゃないんだけど……」


一瞬、なんとか誤魔化そうかという、ずるい考えが浮かんでしまった。

けれども、結局はすぐにバレてしまうことである。

上手い答えを思いつかなかった私は、結局本当のことを言った。

「今、ちょっと……色々ありまして、休職してて……」

けれど、少しでも見栄を張ろうという無駄な抵抗のせいで、なんだか変な言葉遣いになってしまった。


「そうなんだ」

香織は特に気にする風でもなく返事をし、それ以上何かを聞いてくることもなかった。

私は自分が心の底からほっとしていることに気づいた。


「香織は? 母さんから大学院進んだらしいって聞いたんだけど。どんな感じなの?」


「そう。最初は就職しようと思っててインターンとかも色々行ってみたんだけど、なんかここで働きたい!ってピンとくるとこがなくて。結局、就職せずに大学に残っちゃった」


「へぇ~、大学院って大変じゃない?」


「うん。今、色々な地域の文学作品の表現の比較をしてるんだけどね。時代背景とか、文化の違いなんかで表現方法も大きく変わるし、文学ってほんと奥が深くて。楽しいけど、学べば学ぶほど、正解が分からなくなるっていうか。

……文系で大学院行っちゃったし、将来のことも真剣に考えないとダメなんだけど。なかなか難しくて」


「そうだよね……」

私は自分から話題を振っておきながら、曖昧な返事をすることしかできなかった。

香織が相変わらず文学に真剣に向き合っているという事実が、ちくりと私の心を刺した。


「まぁ、なんだかんだ何とかなるかなって思ってるけど」

香織は先ほどの真剣な様子から一転して、明るい口調でそう言った。


「うん、香織なら大丈夫だよ」

私も、そんな香織の口調に合わせるようにそう答えた。


しばらくすると、いつもの分かれ道にたどり着いた。

私たちは互いに顔を見合わせて、その分かれ道の前で立ち止まっていた。

このまま別れてしまったら、きっとまた会うことはなくなってしまう。

それは嫌だ。

でも、また会ったとして、それでどうすればいいのだろう。

また、以前のような関係になれるのだろうか。


「……じゃあ、またそのうち」

結局私は、会いたいという気持ちを“またそのうち”というとても曖昧な言葉に詰め込んで、その場を立ち去ろうとした。


「……ちょっと待って!」


すると香織は、軽く私の服の裾を引っ張り、香織にしては大きな声で私を引き留めた。

「ちょっとだけ、こっち」

そして、驚く私をそのまま香織の家に続く、右側の道のほうへと誘導した。

数十メートル歩いた先、地域の掲示板の前で立ち止まって、香織はそこに貼られた一枚のチラシを指さした。

それはとてもカラフルな色彩のチラシだった。

大きな観覧車の周りに色とりどりの風船が描かれ、隅のほうでは男の子と女の子楽しそうに笑っている。


「移動遊園地…?」

私はそのチラシに書かれた文字を読んだ。


「そう。あの…神社のそばの広場に! 一週間だけ遊園地ができるんだって。すごくない?」


「へぇ~、すごい、そんなんあるんだ! 遊園地なんて何年も行ってない。めっちゃ面白そう」


「でしょ!? ここ通るたびに行きたいなって思ってたんだ。

……一緒に行かない? 明後日から開園だって」

香織はとても嬉しそうに期待に満ちた眼差しで、私を見つめた。

香織のそんな無邪気な顔は本当に久しぶりで、私はなんだかとても嬉しくなった。


「……うん。行きたい」

そして気づけば、そう返事をしていた。


「やった。明後日とか、空いてる?」

「うん、空いてるよ」

「じゃあ、明後日の10時に……ここに集合で」

「了解」


私は、香織とまたこんなやり取りができていることに胸が高鳴っていた。

なんだか、また昔に戻ったような、そんな気分になったのだ。


「じゃあ、また明後日」

「うん! またね」


そして私たちはそれぞれの帰路についた。

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