⑦回想(高校時代)
毎日の猛勉強の結果、私と香織は無事同じ高校に合格した。
高校生になっても私は、毎日香織と一緒に過ごしていた。
帰りに寄り道してカラオケに行ったり、テスト期間はどちらかの家で勉強会をしたり。
そんな、何気ない高校生活を謳歌していた。
相変わらず香織は国語が好きで、いつも国語は学年一位を取るようになっていた。
私は本来勉強が好きなタイプではなく、どの教科もパッとしなかった。
だから、一つでも、とても得意な科目がある香織が眩しかった。
「香織はさ、将来どうするの? 大学とか、考えてる?」
ある日、私は学校からの帰りに香織にそう尋ねた。
「まだはっきりとは。でも文学部受けたいなと思ってて。人の気持ちと言葉の関係を知りたいなって考えてるから。そうゆうこと勉強できる大学とかもあるっぽいし」
「へぇ~、香織らしいね」
私は、はっきりと人に言える夢がなかった。
美容師はただの憧れであり、本当になれるとも思っていなかったのだ。
何より、多くの生徒が大学進学を目指すこの学校で、美容師になるという選択肢はなんだか場違いな気がしていた。
こんな中途半端な状態で美容師が夢なんて言うべきじゃない。そんな風に思ってもいた。
私はそんな煮え切らない想いから目を背けて、華の高校生活を楽しんでいた。
高校2年の文化祭、私は同じクラスの男子から告白され、その人と付き合うことになった。初めて恋人ができたという事実に私は舞い上がっていた。
恋をすると毎日が鮮やかになるというのは、本当のことだと実感した。
相変わらず香織とはよく遊んでいたが、その頻度は少し減っていた。
「ねぇ、私のどこが好き?」
ある日、私は彼にそんな質問をした。
今思えばとてもくだらない質問だと思う。
けれど当時の私は彼が私を本気で愛していることを信じて疑わなかったし、彼が私のどんな所を愛しているのかが知りたかったのだ。
「可愛いとこ。あと、この綺麗な髪」
そう言って、彼は優しく私の頭を撫でた。
彼の手はとても温かくて、私は幸せな気分になるはずだった。
けれど私は、何故かその優しい手が、自分でない、他の誰かの頭を撫でているようなそんな心地の悪い感覚に陥った。
だから、つい試すようなことをしてしまったのだ。
長かった髪を、ある日ばっさり切った。
ショートも可愛いね。そう言って、また頭を撫でて欲しかった。
けれどそんな願いも空しく、短くなった私の髪を見た彼は
「え、どうしたの…?」
と明らかに困惑した表情を浮かべた。
そんな彼の顔を私は、まるで全く知らない人の顔を見るような気分で眺めていた。
その日から、私たち二人の間には小さな溝ができた。
頑張って埋めようとすればするほど、その溝はどんどん大きくなって、
最後には、
「俺、もうお前の気持ちが分からない……」
そんな言葉とともに、あっさり振られてしまった。
その頃だ。私は美容師になると決意した。
進路調査の紙にも「美容師」と書くようになった。
もちろん教師からは猛反対され、学年内でも特異な進路希望を持つ私は目立つ存在になった。
その後も2人の男子と“いい感じ”にはなったが、その人たちの目を見ると
美容師という夢を追う、周りとは違う同級生に興味がある
そんな想いが透けて見える気がして、どうしても受け入れることができなかった。
そんな風に見られれば見られるほど、私は熱心に専門学校の入学試験に必要な作文の勉強や面接練習に打ち込んだ。
美容雑誌や本を買いあさって、ヘアアレンジやメイクなどの研究もした。
私は本気で美容師になろうとしているんだということを証明したかった。
その頃、香織も地元の国立大学の文学部を目指して勉強をしていた。
目指す進路は全く違ってしまっていたが、香織は国語が苦手な私によく作文の書き方を教えてくれた。
気づけばまた、香織との図書室での猛勉強の日々が始まっていた。
高校3年の夏休みを終え、あたりの空気にも秋の色が萌し始めてきた頃。
私はクラスメイトから放課後の教室に呼び出され、告白された。
相手は指定校推薦ですでに進路が決定している人だった。
私は丁重に断った。
帰路につこうと靴箱に向かうと、そこで香織は私を待ってくれていた。
「先に帰ってていいって言ったのに。忙しい時期にごめんね」
「ううん、私が待ってたかったから」
「そっか、ありがとう」
それから私たちは無言で歩き出した。
そして、やっと地元の駅まで帰ってきた時だった。
「奈緒、大丈夫……?」
私はかなり複雑な顔をしていたのだろう。
香織は気遣うように、私にそう声をかけた。
「うん、断った」
私は、きっぱりとそう答えた。
「そっか」
香織は短く返事をすると、少し間を置いて、
「ちょっとさ、寄り道しない?あの、神社の前の広場で」
そう言った。
その広場は商店街とは反対側の道を進んだ先にある、私たちがゆっくり話をしたい時の寄り道スポットだった。
昼間は小さな子供たちがよく遊んでいるのだが、近くに神社があり少し物々しい雰囲気になるためか、日が暮れかかるとほとんど誰も通らなくなるような場所だ。
私たちはどちらからともなく、その広場に入り、隅に置いてあるベンチに腰掛けて、ゆっくり話をする態勢に入っていた。
「……なんでかな、どうしても本気で好きだと思ってくれてるような気がしないんよね.……。恋愛向いてないんだな〜、私きっと……」
「難しいよね、こういうのって」
「てかよく考えたら、こんな時期に告ってくるって非常識!やっぱ私は夢に生きる。東京でちょー凄腕の美容師になる!」
私はやり場のない、はち切れそうな想いを自覚しないように、高らかに未来を宣言した。
そして心配そうに私を見つめる香織に、
「……香織は? 好きな人とかいないの?」
そう、聞いた。
特に知りたいと思ったわけじゃない。
ただ自分の悲しみを忘れたかったのだ。
かなり長い沈黙があったように思う。
今はそんなこと聞くタイミングじゃなかったか。
私はちらと香織を盗み見た。
すっかり涼しくなった秋の風が、私たちの髪を揺らす。
香織は両手を胸の前で硬く握り、しばらく俯いていた。
そして、突然ぱっと顔を上げたかと思うと、何かを心に決めたように真剣な表情で私を見つめた。
「……あのね、私…、奈緒のことが好き……」
香織は言葉を紡ぎ始めた。
本当に、一言一言を丁寧に紡ぐように話し始めた。
「初めて会った時から、素敵な子だなって思ってた…。筆箱とか、キーホルダーとか、ちゃんと、奈緒に似合ってる物を持ってて。
それも、とても大事にしてた。流行とかで持ち物が変わらない。奈緒のそうゆうとこ、素敵だなって」
時折視線を彷徨わせながら、それでも真剣に思いを伝えようとする香織の様子を見て、何故か私は、言葉を差し挟むことができなかった。
ただただ、無言でその告白を聴いていた。
「最初はただ友達になりたいって思ってた。だから友達になれて、奈緒のことを知れて、とても嬉しかった。想像してた通り、奈緒は、不器用で、でも、本当にまっすぐで、すごく優しい人だったから」
「だから、奈緒が奈緒らしく生きることを認めない、そんな人が彼氏になるのが、やだなって思ってて、私なら、そんなこと言わんのにって」
そして香織は再度私の方へと視線を向けて、
「…だから…奈緒が好き…」
もう一度、そう言った。
あぁ、やっぱり、香織はすごい子だ。
ちゃんと“私”を見ていてくれている。
顔が好みだとか、人とは違う夢を持ってるだとか、そんなんじゃない。
ただの“私”を好いてくれて、それをこうやって言葉にしてくれるのだ。
私は、香織には敵わない。
香織は今にも泣きだしそうな顔で、遠くの夕日へと視線を移した。
「……ありがと」
私は、精いっぱいの香織の想いがただ嬉しかった。
そして、その精いっぱいにどうやって応えるべきなのか、必死で考えていた。
「…嬉しいな。そんな風に想っててくれてたんだ」
声が震える。
「私もね……香織のことが好きだよ……でもね、それは多分、香織の言う好きとは…違ってて」
鼻の奥がツンとする。違う、そんな陳腐な言葉を吐きたいわけじゃない。
親友なんて言葉じゃ足りない、それくらい好き。
でも、その好きって、どういうこと?
私は必死で、香織に伝える言葉を探した。
けれど、どの言葉もうまく香織の存在を表現できない。
あぁ、やっぱ、もっと国語勉強しとけばよかった。
「そっか、そうだね」
私の拙い言葉に対して、香織は納得したように晴れやかな声でそう答えた。
「でも、奈緒が私のこと友達としてでも好きだって思ってくれてるの、嬉しい。これからも、ずっと友達でいてね」
違う、そうじゃない。
私はとうとう、その言葉が言えなかった。
何がどう違うのか、私は香織に伝えることができなかったのだ。
「....そろそろ、帰ろっか」
香織は戸惑う私の気持ちを置き去りにして、すくっと立ち上がると広場の出口へと歩き出した。
それから私たちは、何事もなかったように日々を過ごし、受験を終え、それぞれの進路を進んだ。
私は美容専門学校へ、香織は国立大学の文学部へ。
どこかで負い目を感じていた私は、それから香織に全く連絡をしなかった。
香織から連絡が来ることもなかった。
けれど、ずっと香織が好きでい続けてくれるような自分でいよう、どこかでそう思っていた。
とても自分勝手で、ずるい決心だった。
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