③剪定
そして私は今、故郷に帰ってきている。しばらく休職することにしたのだ。
帰郷してから数日、母の手料理は相変わらず美味しい。父の盆栽や庭木を剪定する音は心地よい。
いや、当時実家にいたときはそんなこと思いもしなかった。
どっちも、帰郷して改めて実感したことだ。
帰郷後、何度か母の料理を手伝った。
母はとても手際よく、鮮やかに野菜を切っていく。
私が野菜を切ると、時間はかかるし、大きさは不ぞろいだし、何の役にも立たなかった。
「特に上手くなろうと頑張ったわけでもないけどねぇ。しいて言うなら、あんたと父さんに美味しいもの食べさせたいっていう、長年の主婦の想いが培った匠の技よ」
と母は得意げに、胸を張った。
ある朝、寝起きに縁側にたつと父が庭で盆栽をいじっている姿が目に入った。
父は真っすぐに松の枝を見つめ、時折、剪定鋏で丁寧に枝を剪定していく。
チョキン、と鋏の刃の触れあう、小気味のいい音が耳に届いた。
私は熱心に松と向き合う父の背中に吸い込まれるようにして縁側に腰を下ろし、父に話しかけた。
「ねぇ、それ、楽しい?」
「……あぁ、楽しいというもんでもないかもしれんが、飽きないな」
「そっか、すごいね……」
私のその言葉に、初めて父がこちらを振り向いた。その静かな瞳はまっすぐ私に向けられている。
私は、つい父から目をそらしてしまった。
今のはただの八つ当たりだ。
「やってみるか」
そんな私に父は穏やかな声でそう言った。
「え、いいの……?」
私は父の予想外の提案に、戸惑った。
これらの盆栽は父が丹精込めて育てているものだ。
子どもの頃、松の葉先のチクチクした手触りが面白くて、よく手のひらを葉先に近づけて遊んでいた。その遊びが父にバレたらこっぴどく叱られたものだ。
「あぁ。もう、ぞんざいな扱いはせんだろ」
「……うん」
私のその返事を聞いて、父は小さく頷き、手招きをした。
私はそれに応えて、つっかけを履き、そっと縁側から庭へと降りた。
父は無言で、私に剪定鋏を渡す。
ずしり、と鋏の重さが手のひらに伝わる。
「さ、どこを切ればいいと思う?」
父は試すように、私を見つめた。
私は、父の突然の質問に困惑した。
盆栽のことなんて全く分からない、どこを切るかなんて見当もつかない。
「丸投げ!? そんなの、全然わからんよ」
私は救いを求めるように、父に抗議をした。
「そういう時は、よく観察するんだ」
そう言うと、父は立ち上がり、盆栽から数歩離れた。
「どう手入れすればいいか分からなくなった時は、距離を置いて、力を抜いて、樹形全体をよく観察する。この後、どう育てたいか。そのためにはどこをどう剪定すればいいか。自分の胸に手を当てて、よく考える」
私も父に倣い、数歩後ずさる。
父は先ほどの真剣なまなざしで、盆栽を見つめていた。
私もまた父に倣う形で盆栽を見つめた。
すると、近すぎてよく分からなかった樹形が捉えられた。
一枚ずつはトゲトゲした葉も、遠くから見るとモコモコとした塊にみえる。
そのモコモコを支える幹は、曲がりくねりながらも荒々しく上へと延びていた。
どう剪定すべきなんだろう?
今までは父の趣味だと他人事のように見ていたが、いざ自分で剪定するとなると見方も変わってくる。
そうか、この盆栽ってこんな形してたんだ。
「……あの辺り、少し葉が密だよね……?」
しばらく逡巡したのち、私は恐る恐る父を振り返って、モコモコとした葉が張り出した右上を指さした。
「お、そうだな。んじゃ、ちょっとあの辺切ってみるか」
父は軽く頷くと盆栽のもとへと歩を進めた。
「この辺って言ったな」
そう確認しながら、丁寧に葉に触れた。
「この枝を間引くか。この枝、根元から切ってくれ」
「分かった」
私も父に続いて盆栽に近寄り、父が指さした枝にそっと鋏を寄せた。
「切るよ」
「ああ」
チョキンと軽い音が鳴り、ポトンと枝が落下した。
「さすが、奈緒。筋がいい」
そう言うと、父は満足げに微笑んだ。
「調子いいこと言って……。褒めても何もでんよ……」
私は、そんな訳ないだろ、と内心ぼやきながらも、その父の表情と声色がくすぐったくて少し俯いた。
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