episode:3-13 【晴読雨攻】

 一色。一色。一色。

 あの美しい手指、白い指が様々な色を手に取り白いキャンバスをなぞっていく姿が好きだ。

 真剣な横顔。きゅっと閉じられた口元。真っ直ぐに見つめる瞳。集中しているときに止まる息と、その後ふうっと深く吐き出される息。

 へらりと緩む唇。俺を見て嬉しそうに上がる手。泣きそうな目元。怒ったときの眉尻。こてりと不思議そうに傾げられる小首。パタパタ子供らしい足音。転けそうになって恥じる赤い耳。俺を叱ってくれる尖らされた唇。雨に溶けて聞こえにくくなる小さな落ち着いた声色。絵を褒められて自慢げに緩む表情。洒落っ気のないボサボサな髪の毛。下手な歩き方も、下手な話し方も、自覚をすれば……俺はそのどれもに見惚れていた。



 まどかがウロチョロとそこらを歩いているのを無視しながら、深くため息を吐く。


「大丈夫?」

「大丈夫じゃない。……少し早いが、一色のところに行くか? 放っておくのは不安だ」

「ヨミヨミくん待つんでしょ。……大怪我をして血まみれになるのは大丈夫なのに、女の子にフラれただけで泣きそうになるのはどうなの、人として」

「泣いてない」

「泣きそうにはなってるじゃん。私が近くにいなかったら泣いてるでしょ」


 泣かねえよ。

 まどかは俺の服の袖をパタパタと動かしながら、ベッドに座り込んでズボンをパタパタと動かす。


「アキトくんって結構大きいよね」

「標準偏差の範囲内だ。……出る準備だけはしとけよ。一色が生活したり絵を描くためのものを運ばないとダメだからな」

「はいはい。また荷物持ちかー」

「それは悪いと思っている」

「また甘いもの奢ってくれたら許すよー」

「……並ぶの面倒だからコンビニでいいか?」

「それで勘弁してやろう。と、あっ、スマホ鳴ってるよアキトくん」


 スマホの画面を見るとヨミヨミさんだ。おそらく、そろそろ見つからなかったから諦めたという報告だろう。歩き回らせた挙句にまた頼むのは悪いが、さっさと一色の引越しはさせたい。

 そう思いながらスマホを手に取る。


「はい。時雨です」

『ああアキト、ヨミヒトだ。捕まえたから運びたいが、少し一人だとキツくてな。角さん辺りと一緒に来てくれないか?』

「……は? えっ、捕まえたんですか?」

『ああ、もう武器になるものや手袋は全部燃やして、エピペンを打ち込んで異能力を使いにくくした上でベルトで縛っているから反撃されることはまずないだろう』

「……えーっと、車で行けばいいですか?」

『アキトは免許持ってるのか?』

「一応取ってます。車は持ってませんが」

『角のを借りて乗ってきてくれ。流石に人一人持ち運ぶのは骨が折れるからな』


 軽くスマホを耳元から離し「ああ」と返事をしてから電話を切る。

 俺の電話を聞いていたらしいまどかは目をパチクリと瞬きさせて首を傾げた。


「えーっと、捕まえたの? あの人」

「らしいな。……やはり、異能力者ってのは違うな。捕まえたのを運ぶから手伝え。車を出す」

「りょーかーい。車ってあるの?」

「角のを借りる。連絡してくれ」


 まどかは驚いた顔のまま、スマホを取り出して耳に当てる。


「あーい。と、ヨミヨミくんだけなんだね、敬語」

「……あの人は一色の命の恩人だからな」

「アキトくんのもでしょ? あっ、もしもし、角さん?」


 電話をしているまどかを横目に見ながら、傷が隠れるように上着を羽織り、扉を開ける。


「車貸してくれるってさー、おっと、待ってよー」

「さっさと行くぞ。それにしても……呆気なく捕まえられたな」

「そうだね。まぁあの人ならそれぐらい出来そうな気もするけど……浮かない顔だね」

「……まどかなら、逃げられた後そのまま続けて探したりするか? 俺なら絶対にしないな、仲間を呼んで囲まれる可能性が高すぎる」

「よっぽど頭が悪いとかは?」

「そんな奴に単独行動をさせるか?」


 まどかは少し迷ったように瞬きをして、俺について来ながら首を傾げた。


「そうは言っても……逃すってわけにもいかないよね、どうするの?」

「……向かいながら考えるか」


 会議室に戻るとゴミをまとめている角がおり、赤ら顔のままポケットから車の鍵を取り出す。


「おー、いくかー」

「酔ってるなら休んでいていいぞ」

「人を動かすのに男手はいるだろー?時雨は怪我してるしな」

「……まぁなんでもいいか」


 だいぶ酔っているようだが、動く分には問題なさそうなので連れて行くことにする。


「……捕まることが目的だったにしては、私達との遭遇は偶然すぎない?」

「龍人の通り道だったら、遅かれ早かれ遭遇するだろ。ヨミヨミさんがこんなに早く捕まえたってことは、ヨミヨミさんも人気のない場所で遭遇したんだろう。流石に大通りで異能力合戦なんてしないだろうからな」

「つまり……私達を追い回してたはずなのに、人通りのない道にいたと、そう考えると不思議だね」

「ああ、道理で考えると、俺たちがヨミヨミさんから受け取る報告は『見つからなかった』か『見つけた、今追跡中だ』の二つだ。『見つけたから捕まえた』は明らかにおかしい」


 地上に出て、角の案内で駐車場に向かう。


「考えられるパターンはいくつかある。一つはヨミヨミさんが負けて脅すことで俺たちを誘き出そうとしている」

「有栖川の坊ちゃんが負けるか。そりゃねえよ」


 俺の言葉を角が即座に否定する。まどかに目を向けると、彼女も同様の意見らしい。


「二つ目は説明通りの状況、しかし捕まることが相手の策の術中」

「……発信機を付けてこちらの拠点を把握するとか?」

「それもあるが、警戒すべきは異能力だな」

「『手袋を操る』能力? 警戒しておけば、周りから手袋を取り除くことは出来ると思うけど」


 まどかは不思議そうに俺を見る。


「原則として能力は一人一つだが、複数の能力を持ってる奴もいることにはいるらしい。が……そういう例外の話ではなくな、もっと単純に……アイツの異能力、本当に『手袋を操る』なのか」

「毛糸を操る能力だったとか?」

「いや、あれ自体が別の異能力者の能力だったかもしれないという考えだ。誰かが別の木陰で操っていたとしても、俺たちには判別出来ないからな。そうなると、わざわざ俺たちの前に姿を現した理由も説明がつく」


 捕まっても連絡が取れる、あるいは脱出が可能な異能力者をこちらにつかませる事で内情を探る……ぐらいはしてきてもおかしくない。


 車にエンジンをかけながら、大きくため息を吐く。


「まどか、道案内を頼む」

「はーい。でも、どうするの? 作戦に乗るわけにはいかないって言っても、放置ってわけにもいかないよね。まさか始末する、なんて手も取れないし」

「……異能力を封じるのも、薬頼りだと限界があるからな。後遺症や死亡リスクもある。 人道的な方法だと、どうしようもないかもな」


 非人道的な手法なら幾らでも取れる。やりたくはないが、一色を守るためなら戸惑っている場合でもないだろう。


「……どうする?」

「俺がやる」

「……アキトくんさ、フラれてから色々おかしいよ? 言ってることは間違ってないと思うけど、少し落ち着きなよ」

「他にやりようもないだろ。別の情報を与えて逃すなんてやり方、おおよそバレるぞ。いつ逃げ出すか分からないやつを捕まえて置くのも、何もせずに逃すのもリスクが高い」


 助手席に座るまどかが俺の頭をぽんぽんと撫でる。


「無理しなさんなってー。ね? 一緒に考えようよ。アキトくんほど賢くないけど、三人いれば文殊の知恵ってやつだよ」

「……ああ」

「まぁ、角さん後ろで寝てるけど」

「台無しだな。……助かる」


 車を動かしてヨミヨミのところへと向かう。

 まどかがいてくれて助かった。結局、信用しきれない暦史書管理機構の面々と違い、まどかは一色のために動いてくれている。

 同じ動機の人間がいるのは、少し心強い。

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