episode3-10 【晴読雨攻】

 ならば、三つ目の選択肢。

 前へと進む。


 左手は傷跡はあるが、完全に治っている。右手はほとんど骨はくっついているが、無理をしたら剥がれて折れるだろう。腹も無理をすれば傷が開く。


 骨が再び折れても、傷が多少開いたところで死ぬわけじゃない。

 無理をしても死ぬことがないなら、全力で……前へ進むことが出来る。


 フッ、と、短い息を吐き出し、手袋に掴まれないように側面を弾きつつ、弾く角度を調整する。

 密集して群がる他の手袋に衝動するように弾くことで、一度に退けることが出来る手袋を増やす。


 一歩、前に進む。


 横目で青年の視線を追い、彼の狙いに当たりを付けることで意識の薄い手袋を無視して効率良く潰していく。


 一歩、前に進む。


「ッ……ジーニアスじゃないと思っていたけど、どうしてこう……こんな奴が出てくるのかな」

「……ジーニアス?」


 聞き慣れない単語を聞き返すだけの余裕がある。

 青年に近づくほど苛烈さを増していく手袋の猛攻も、目と手が慣れてきた今となっては防ぐのはさして難しくはない。


 青年の顔は驚愕から焦りへと変わっていき、青年が地面を蹴る乾いた音が響く。


 後退。遠距離から攻撃する手段がない俺への対応としては百点満点の動きだが、その場しのぎでしかない。

 それに……眠っている状態に近い状態でこそ真価が発揮される異能力を持つ物が、『怯える』などと眠りとは程遠い心理状態に陥れば、その時点で力を十全に扱えなくなる。


「……逃げるなよ」


 後、数メートル。だが、異能力は基本的に自分から近い距離の方が出力が上昇することもあり、先程よりも幾分か速い手袋を捌きながら前へと向かうが、距離が縮まることはない。


 互角、とは到底言いがたい。体力の消耗は大きく、息は途切れ、じんわりと腹の傷から血が滲んでくる感覚がする。

 青年は、あくまでも一定距離を保ちながら、常に自分の身に危険がない状態で、こちらの体力を削ることを目的として動いており、実際にそのような展開となっている。


 手玉に取られている。


 理解はしているが、それを脱する術はない。俺の敗北が確定した耐久戦。

 そのはずだった。


「おらー、ハシゴパーンチ!」

「ッ! まだいたのか……」


 ハシゴが薙ぎ払うように振られるが、青年に辿り着くよりも前にいくつもの手袋が遮り、押さえつけてハシゴの動きを止める。

 手袋はそのままハシゴの先を追うように飛ぶが、少女はハシゴから手を離して全力で後ろに下がることでそれを避ける。


「逃げろと、言っただろ」

「いやー、これぐらいの相手ならどうにでもなるかなって。初見ならどうしようもないけど、観察する時間はあったしね」


 青年を挟むような位置どりで、怪盗と俺は目線を交わす。

 後ろに下がっていた怪盗は踵を返して再び青年の方へと向かい、それと同時に俺も青年へと駆ける。


 怪盗に対応する分を回すためだろう。先ほどよりもこちらに向かってくる手袋の数は少なく、比較的容易に近寄ることが出来る。

 だが、それでも手が届く範囲にまでは寄ることが出来ない。


「怪盗」

「オッケー。離れるから電話するね」


 荒れた息で怪盗を呼び、瞳を合わせる。 怪盗の脚が後ろに跳ねるように動いたのを見ながら俺も後ろに跳ねて距離を取る。

 怪盗、青年、俺、と直線上に並んだ状況はそのままに、青年との距離を開ける。


 遠くに見える怪盗が背後に跳ねながらスマホの操作をしているのを見て、スマホが鳴る前にポケットから取り出す。


『息荒れてるけど大丈夫?』

「……大丈夫だ。あの手袋の射程距離はアイツを中心に半径15mぐらいらしい。近寄れば近寄るほど速く力強くなり、離れれば弱く遅くなる」

『それは遠くで見てたから分かるけど』


 手袋を弾きながら後ろに下がろうとすると、青年は怪盗の方に足を向けて、こちらに向かっていた手袋が青年の方へと戻っていく。


「怪盗、借りるぞ」


 青年の近くに落ちていたせいで回収出来なかったハシゴが、青年が怪盗を集中して追ったことにより回収することが出来た。


 もちろん俺は怪盗の軽業のような芸当は出来ないが、それでも幾らかの使い道がある。


 スマホを上に投げ飛ばし、ハシゴを拾い上げて全力で横に薙ぐように振るう。


 青年の周りを舞っていた手袋がハシゴの通る道を塞ぐように盾となるが、完全に勢いが殺されることはなく、コツリ、と青年の腕に当たる。


「……っうっとうしい!!」


 こちらへと手袋が集中して飛んでくる。

 俺は怪盗に目配せをしながら後ろに避けて、怪盗が大きく振りかぶってこちらに投げたスマホを受け取る。


「はいよっと」


 俺が上に投げたスマホを怪盗が掴み、それに耳を当てて口をパクパクと動かす。


『投げナイフとかロープ持ってるけど、使う?』

「アイツに使われる方が厄介だ。おそらくあの手袋が道具を使わないのは出力が不足していて持ち上げることが出来ないからだと思うが」

『あー、近くに行った時危なくなるね。……ヨミヨミくんが来るまで保ちそう? 正直、私は先に集中と息が切れそう』

「だから逃げろと……。結局、何のダメージも与えられてないんだぞ」

『じゃあ、いっせーのーで、で逃げる? 』


 逃げ切れるとは思えないが……『ああ』と返事をする。


『じゃあ、いっせーのーでっ!』


 俺と怪盗が同時に青年の方に走り、同時に止まり、全力で後ろに下がる。


「馬鹿か!? 怪盗! 逃げるという話だろ!? 何で向かっていってるんだよ!」

『いやいやいや!? こっちのセリフだから! 逃げると言いながら全力で向かっていく人初めて見たよ! あの人もなんか驚いてるし。そりゃ驚くよ、突然二人して走ってきたかと思ったら一瞬でUターンだもん』


 怪盗を騙して囮になる作戦は失敗。

 無駄に体力を使っただけだ。 怪盗は本当に馬鹿。


「…………怪盗、お前より俺の方が脚が速い。囮になった後でも逃げ出せる可能性は高い」

『いや、私は家とか登って超えれるから、逃げるのはそんなに難しくないよ』

「ハシゴが回収出来ないだろ」

『いやいや、普通にどうにでもなるよ。それに、ヨミヨミさんが来るまで保たないんだよね』


 怪盗の目が俺の方へと向く。ダラダラと流れている血液が服へと染み込んでいく。


『シキちゃんのためには、って、思わない?』

「……フラれたばっかだと、何度言えば」

『……あー、うん。じゃあ、アキトくんは逃げてくれないか』

「少なくとも、怪盗をおいてはいけないな」

『オッケー、じゃあ、倒すしかないね』

「……お前が逃げてくれれば話は早いんだが。……やるか。アイツを中心に、右向きに回れ」



 怪盗の脚が動いたのと同時に、俺も右向きに回って、常に怪盗と対象の位置に動く。


「木の陰になるようにナイフを刺しとけ。あと、ロープも草の中にでも置いといてくれ」

『りょーかい。罠でも作るの?』

「……そこで数秒待機だ」


 青年が眉をひそめたのを見て、怪盗に指示を出す。


「俺がそちらに向かうから、お前はこっちに全速で駆け抜けろ」

『……うん』


 常に青年を挟んだ対角線上、分散して飛んでくる手袋の動きには慣れてきたが、慣れたからといって容易に防げるものでもない。

 近くに寄れば、尚更だろう。


 先ほどまで怪盗がいた木の陰にたどり着く。


「怪盗、無理じゃない範囲でアイツの方へ。スマホは適当にそこらへんに置いとけ」

『うん。 どこで引けばいい?』

「……引く必要はない」


 荒れた息を整えながら、通話を切ってポケットにスマホを戻す。


 数秒して、怪盗の驚いたような声を聞いて木の陰から飛び出す。こちらに向かって走ってくる青年と、その周りを飛ぶ手袋。


 完全に怪盗の突進は無視した、俺のみを狙った動きだ。全力で地を蹴りながら、怪盗に目を向ける。


「いっせーのーで、だ!」

「了解!」


 青年がこちらに来たことにより、怪盗がハシゴを回収し、そのまま全力で青年とは反対方向に引きずり、塀に掛ける。


 俺の体に手袋が掴みかかっていて、その力によって走るのが妨害されるが、想定の範囲内。


「何を企んでいたのかは知らないけど、させないよ!」


 青年の声を無視して、彼から逃げるようにして怪盗の方へと走り抜けて、怪盗が支えるハシゴをかけ登り塀の上に行き、怪盗がハシゴを掴んだのを見て、怪盗の体ごとハシゴをひっぱり上げる。


「は? いや、いやいやいや!」


 青年の声を無視して、ハシゴを肩に背負いながら怪盗の手を掴み全力でその場から逃走した。


 元々、俺も怪盗も運動能力が高く普通の人よりも走るのが早い。

 あの青年が塀をよじ登るにせよ、迂回するにせよ、それだけの時間があれば逃げるのはさして難しいことではない。


 走っているうちに、怪盗の手を掴んでいた手は、怪盗に掴まれており、後ろを走っていた怪盗の背を見ていた。


「……大丈夫、じゃないよね?」

「……ああ、もう、休むか」


 腹の傷を抑えながら、路地裏で壁にもたれかかる。

 荒く吐き出した息はいつまで経っても平常に戻る様子がない。


「……逃げれたね」

「ああ、単純なやつで助かった。何かしているフリをしただけで、それを止めに動いてくれた。ハシゴを抑えられていたら二人で逃げ出すのは無理だったからな」

「あー、ブラフだったんだ。なるほど。と、そんなことなんかより、傷をっ!」

「静かにしてろ。これぐらいなら、死ぬような出血じゃない。自分で止血も出来るしな」


 血が流れ出ないように手で抑えながら、壁に背を当てズルズルと座り込んだ。

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