episode:3-9 【晴読雨攻】
怪盗が指差したのは何の変哲もない街路樹だ。
「なんか、木の上にキラキラしたのがあったの」
「……とりあえず近くで見てみるか。今度は俺が登っていいか?」
「立てかけるところがないし、私じゃアキトくんの体重支えれないからなぁ……スカート覗かないなら私取ってくるよ」
「誰が覗くか」
木の陰に移動し、怪盗は再びハシゴに登って木の上へと向かう。
「見つかったか?」
「んー、ちょっと場所があれかも。ちょっとハシゴ左に動かして」
「……落ちるなよ?」
怪盗が上に乗っているハシゴを掴み、腕の力で無理矢理ずりずりと動かす。雑な動かし方なのに倒れる気配がないというのは妙な感覚だ。
「あ、逆、アキトくんから見て左」
「ああ」
「おっと、そこぐらい。 んー、あれ、これなんだろ? 何だと思う?」
怪盗が尋ねたので何かを確かめようとして視線を上げる。ふたたびピンク色のパンツが見えるが、怪盗の防御の甘さは諦めて、彼女が手に持っている何かを見る。
「……白い粒の塊?」
「なんか、角砂糖みたいな見た目」
「食うなよ?」
正面からパンツが見えているが、努めて気にしていないフリをして、彼女が投げ落としたそれを掴む。
「……ぱっと見、塩っぽいな。なんかビニールみたいなものでコーティングされているが」
「雨に溶けなくするためかな」
「……知らないだけでこういう塩の入ったボールみたいなおもちゃが流行ってるってわけでもないよな。お手玉的な」
「少なくとも私の行ってる学校では聞いたことないなぁ」
やはり高校生だったのか。と、うっすらと思いながら、目を細めてそれを見る。
触った感じ、薄いビニールで包まれた白い粒だ。塩のように見えるが、若干色合いがおかしい気もする。
「他の木にはあるか?」
「ん、ありそう。集める?」
「いや、セーラに調べてもらう用に二、三個あれば十分だ。が……そうだな。同じ場所からいくつも取ったら、セットされている龍人の動きが変わるかもしれない。人の多い方に行かれると事だから、あまり近くのではなく、多少離れたところからとろう」
怪盗は軽快に降りて、俺の手から袋を取って薄目で眺める。
「塩っぽいね。舐めてみる?」
「最悪死ぬからやめとけ」
龍人の生態を思うと、おそらく塩であることは間違いないが、塩だけとは限らない。何かのそれ用の薬やらが混ぜられているかもしれない。
「それにしても、結構当てずっぽうなところがあったのに正解だったね」
「そうだな。運が良かった。 ……と、言いたいが」
背後を見ないようにしながら、ポケットに手を突っ込みスマホをポケットの内側で操作する。
「どうかしたの?」
怪盗の疑問を無視しつつ、ポケットからスマホを取り出し耳に当てる。
「ヨミヨミさん。時雨です。敵側の人間に見つかりました。応援お願いします」
『……把握した』
「えっ、あっ……て、敵?」
怪盗の手を引いてその場を去ろうとするが、こちらを引き止めるような咳払いが背後から聴こえて、足を止める。
身体の向きは反転させず、そのまま逃げられるような体勢のまま、首と視線だけを後ろに向けた。
「例えばさ」
厚い雲が太陽を覆い隠し、辺りが暗くなる。
青年の声が風に揺らがせるように、静かに紡がれる。
あまりに流暢な、不自然な日本語だと感じた。訛りがない。一切として。
どこの地方であろうと訛りというものがある。関東には関東としての、東京には東京としての訛りがあるものだ。
教科書通りの、わざとらしさを覚えるほど、あまりに正確な発音。
「例えば、君達が仲睦まじい恋人同士で、デートを楽しんでいたら、偶然それを見つけてしまったとする。こちらのことなんて霞ほども知らないとしてね」
「……ああ、そうかもな」
「でも殺す」
問答無用。考えていた言い訳を全て投げ捨てて、怪盗の華奢な背を押す。
「俺のミスだ。お前は逃げとけ」
青年の懐から、ゆっくりと何かが這い出てくる。
超能力者。そう認識しながら、頭の中でセーラの研究書のページをめくっていく。
異能力の多くは『○○を操る能力』と表現することが出来る。それは人間の思考は分かりやすい物質に惹かれやすく、人格を元に形成される異能力も、ひとつの物質を操作するものになりやすいからだ。
彼の能力もその例からは、はみ出さないようだった。
毛糸の手袋を操る能力。とでも言ったものか、彼の懐から毛糸の手袋が這い出て宙を浮いて彼の周りで舞う。
あるいは毛糸を操る能力か、毛糸に限らず手袋を操る能力かもしれない。もしかしたら手袋の中身に何かが入っていてそれを操っているのかもしれない。
「い、いや、別にアキトくんだけのミスってわけじゃないし、それに……」
「フラれたばかりのせいで頭が回っていなかった。そりゃ、何か仕掛けているなら会うこともあるだろう。それぐらいは考えておくべきだった。それに……俺に構わず逃げると言っていただろ」
「……でも、死なない? アキトくん」
「場合によっては死ぬな」
ジリジリと距離が詰まる。龍人ではないとは言えど、異能力者だ。
理性がない龍人よりも、単純に人間の上位互換の異能力者は厄介な可能性が高い。
あの手袋は、どれほどの力を持っていて、どれほど精密に動くのか、どれほど速く飛ぶのか、どこまで遠くまで……。
何も分からないが、少なくともあの青年が姿を見せている以上は、何も分からずに殺されるほど速くも、飛行距離も長くないはずだ。
怪盗をもう一度押すと、彼女は決心したように頷き、走っていく。
「あー、僕さ、なんかそういうの嫌いなんだよね? 愛とか、情とかさ」
「……日本語が上手いな。日本人ではないみたいだが」
「いやさ、うーん、なんて言うかな。腹が立つ、とも違うし、べつに羨ましくて嫉妬してるわけでもないんだけどね」
「あー、怪盗のやつは消えたし、もう苛立つ要素もないだろ? 見逃してくれ」
「これはあれだね。視界の端に羽虫が飛んでる感じだ。腹が立つってわけでもないけど、こう、手でパチって潰したくなるよね」
青年の周りを舞っていた手袋が、周囲に広がるようにしながら俺の方へと飛んでくる。
思ったよりも遅い。走って逃げられるほどではないが、視認するのは容易で、距離を取りつつそれを避けようとする。
だが、回避しようとした動きに合わせて手袋も動きを変える。
避け切るのは不可能。手の形をしていることから、突然横から棘が出てくるようなことはないだろうと判断し、側面を叩くようにして弾く。
思ったよりかは軽く、簡単に弾けたが、人の手とは違いすぐにこちらへと向かってくる上に当然のようにダメージが入るようなこともない。
「ッ……厄介だな」
近くに寄ってきた手袋を拳や手で弾くが、数が多い上に弾いた手袋もすぐに戻ってくるためキリがない。
人の手足よりも遅い動きだが、数が多すぎる。 背後を取られないように後ろに退却しながら弾いていくが、無闇にこちらの体力が削れていくばかりだ。
わざと全力を出さずに、こちらの体力が切れるのを待っている可能性もある。
怪我をした身体でどれほどの時間が保つのか。
足元にあった石を蹴飛ばして青年を狙うが、彼の近くにあった手袋に受け止められる。
超能力者と戦うのは初めて、というか戦う経験すらほとんどなかったが、想像以上に厄介で時間稼ぎすら難しそうだ。
ひたすら手袋を弾き続けるが、当然息が切れる。
怪盗の姿はもうないので逃げてもいいが……手袋の動きは俺の走る速さよりも速い。
射程距離には限界があるだろうから、無限に追って来られるわけではないが……普通に射程範囲から逃さないように青年も走ってくるかもしれない。
意を決して走るか、ヨミヨミがすぐに来てくれるのを期待するか……どちらにせよ、分が悪い賭けだ。
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