episode:2-14 【恋にのぼせて龍と成る】
一色の体力のなさや、俺の怪我の具合から、さして遠くもない道のりを何度も繰り返し休みながら向かう。
「そういえば、セーラとした変な話だが……」
「ん、んぅ?」
喫茶店前の路地裏で一色に声をかけると、彼女はびくりと肩を揺らして立ち止まる。
「一色は進化論を知っているか」
「えっ、は、はい。勿論。生物については割と得意分野って自覚があります」
「どれほど正しいと思う」
一色は安心したように、止めていた足を再び動かして、扉の鍵を開けて中に入る。
「……どれほど、ですか。おおよそ、大きな部分では間違っていないけど、細かいところで解明されていなかったり、小さくズレていたりはする。 ぐらいかと思います」
「なら、ID論は?」
「詳しくはないですけど、信じてはいません。本当に神がいるなら……少しばかり人は愚かすぎます」
意外な答え……というほどでもないか。
一色はいつも龍やら異世界やらと、俺の想像を超えるような事ばかりを口にするが、それはあくまでも『一色が直接見たもの』の話であり、彼女は一切の想像の話をしていない。
神、ID論と異世界、龍は一色にとっては全くの別物だ。
「もしいたとすれば……」
一色は電気を付ける。
いつも一色が絵を描いていた場所には、一枚の絵が置かれていた。
思わず、息を飲む。 時が止まるような感触。 一色の声が遠くに聞こえていく。
「神も人間が思っているほど賢くないか、愚かな生き物を見て喜ぶほど性格が悪いかですね」
美しい。という言葉は、その絵を表現するには正確ではないだろう。過度な美麗を表現しているのではない、あくまでもありのままの姿を描いている。
絵の中にいる少女は、俺が見た怪盗の姿と何ら違いはない。
だが、それでもヤケに強く、視線が奪われる。
しなやかな身体が織りなす全身運動、怪盗のその動きが止まっているはずの絵から見て取れるのだ。
あるいはその人の良さや、柔らかな声質、少女らしい甘い香りも感じられる。
普段の一色の絵は、手慰みの落書きに過ぎなかったのだと、ハッキリと分からされた。
「……これは、想像以上に」
「……んぅ、満足する出来ではないです。モチーフの怪盗さんが美人なので良く見えはしますけど」
「これ以上があるのか?」
いや、ないだろう。これ以上の絵画がこの世に存在するとは思えないし、これから現れるとも到底思えない。
そんな俺の考えは作者自身が呆気なく否定する。
「ん、同じ構図でももうちょっと上手く書くことは出来ると思います。これは描くときに心配事があって集中しきれてなかったので」
「……連作シンリュウを越えていないのか?」
「全然です。というより、集中して描けたらもっと良くなるというのも事実ではありますが、多分、この絵は最高の状態で描けても……全然、及びません」
これ以上か、信じられないというよりか、想像がつかない。言葉もなく絵に見惚れていると、急に一色が絵に布をかけて隠してしまう。
「んっ、さっさと行きますよっ!」
「何で急に怒っているんだ」
「怒ってませんもん。また天気が崩れたりする前に行かないとって思っただけですもん」
一色はパタパタと絵を梱包し、デカイ袋に詰めて背負う。
「……持ち方、少し雑じゃないか? というか、重いだろ、俺が持つから寄越せ」
「んぅ、持ち運ぶのは不慣れで……アキトさんには持たせるわけにもいきませんし」
そう話していると、天井から黒い影が降ってくる。
「くまさん柄……ではなく、怪盗さん、いたんですか?」
怪盗はミニスカートをバッと抑えながら一色の言葉に頷く。
「うん。ホテルとか借りるより、ここで寝た方が安くつくから借りてたよ」
「お前、大金持ちだろ」
「いやー、お金は基本全部仲間に渡してるから私はお小遣いぐらいしか持ってないよ」
「……嘘くさいな」
自由に出来る金がないことではなく、寝る場所がないことがだ。
一色の家には前からよく盗みに来ていたようだし、盗むとき以外にも立ち寄っている。気楽に何度も来れるということは、近くに拠点があるのとほぼ同義だ。少なくとも、無駄なリスクを冒してまで一色の家で寝泊りをする必要はなく、そもそも今はもう昼間だ。
おおよそ、一色に危険が及ばないよう見守っていたのだろう。
「……献身的で結構なことで」
「君には言われたくないかな」
俺と怪盗のやり取りを、一色は首を傾げて見る。
「あっ、暦史書管理機構に怪盗さんを紹介したいんですけど……もしかして、もう盗んだりして敵対しちゃったりしてます?」
「いや、盗みは失敗してるから大丈夫かな。魔法とかそういうの抜きにしても、厳重すぎるんだよね、あそこ」
「そうは見えなかったが……ああ、いや、広いからか」
「そうそう。単純に出口まで遠いと見つかる可能性が高いからね。通気口とか通るにしても、広いと時間がかかっちゃって盗んでも脱出する前にバレちゃう。お金になるようなものになると、何の邪魔もなくて全力疾走しても十分ぐらいはかかるからね、それだけで盗むとか絶対無理」
実際にはそれに加えて防犯設備や人員、それに何をしてくるか分からない異能力者までいる。
確かに侵入だけならまだしも、そこで何か悪事を働くのは難易度が高そうだ。
脱出までが遠い、というのはアナログもすぎるが、ハッキングされる可能性のある電子ロックや、ピッキングされる可能性がある鍵よりもよほど確実で強大な防犯になるのだろう。
「小手先の技じゃないのは強いな」
「そうだねー。扉とかなら解錠したり壊したり出来るけど、長い道は本当にどうしようもないんだよね」
「それで、どうする。泥棒仲間と相談しないと判断出来ないなら、少しぐらいは待つが」
「んー、いや、シキちゃんが心配だから手伝いはするかな」
怪盗は手を上げて身体を伸ばしてから、一色の肩をポンポンと叩く。
「まぁ、前に出る予定はないからそこは安心すればいい」
「逃げるのは得意だから気にしなくてもいいよー。次はシキちゃんも連れて逃げるように頑張るよ」
「結構なことだ。ああ、あと今日の荷物持ち頼む。俺は傷が開かないようにしないとダメだからな」
「……今の流れ、私に荷物持ちさせるためのだったの?」
「もののついでに頼んでいるだけだ」
「まぁいいけど。……何か、自分の絵を持ち運ぶのって気恥ずかしいね」
絵を持ち上げた怪盗は不満そうに俺を見てから、ツンと尖らせた唇を俺に向ける。
「私には『俺が持つ』って言ってくれないんだ?」
「……持とうか?」
「ん、言ってくれたら満足だから別にいいや」
面倒な奴だ。
怪盗は俺と一色の前を歩くように外へと出て行き、扉を開けて俺たちが出るのを待つ。
扉を閉めながら怪盗は言う。
「
「……なんだ突然」
「私の名前。よろしくね」
「……あー、もう通報出来ないからか。強かなことで。……時雨 秋人だ」
「えっ、あっ、岸井 一色です」
今更な名乗りのあと、怪盗は自己紹介を続ける。
「年齢は十八歳。特技は軽業。好きな食べ物はたくあん。正義とにゃんこを愛する美少女怪盗だよ」
「自分で美少女と言うのか……」
「否定は出来ないでしょ?」
「まぁ、それはな。俺は十九歳……ああ、いや、今日は何日だったか?」
「二十日ですよ」
「じゃあ二十歳だな」
最近は地下で寝て過ごしているせいで時間の感覚がおかしい。昼も夜もなく、起きる時間や食事の時間も適当だ。
「……あの、アキトさん。誕生日、秋じゃないんですか?」
「今月の十七日だな」
「……あの、もしかして何ですけど……。二十歳の誕生日、意識不明で過ごしていました?」
「そういうことになるな」
「……す、すみません。 その……僕のせいで」
それは別に謝られるほどのことでもないだろう。そう思っていると、怪盗は不思議そうに俺を見る。
「……あのさ、普通、スマホとかで誕生日おめでとうって連絡ぐらい来ない? 友達とか家族から。 それで気づくと思うんだけど」
「……あー、まぁ気がつかなかったな」
「あっ……ごめん」
憐れまれたような視線を向けられながら謝られる。謝られた方が辛いからやめてほしい。
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