episode:2-9 【恋にのぼせて龍と成る】

 岸井一色を口説き落とせ。

 魔法使いなんて存在が口にする言葉とは思いがたいが、確かにそう聞こえた。


 空耳を疑うが、セーラがもう一度口を開いたことでその疑いが晴れてしまう。


「シキちゃんをメロメロにさせてほしいの」

「……いや、意味が分からない」


 同じ体勢で寝続けていたせいか、若干痛む身体の節々をほぐすように寝返りを打ってセーラに顔を向ける。

 黒髪黒目ではあるが、名前の通り日本人とは違うのだろう顔付き。少しおちゃらけた雰囲気を持っているが、歩いているだけで人目を引きそうな美人だ。


「アッキーさ、『全部が好き』と『全部が嫌い』って反対だと思う?」

「……何の話だ」

「シキちゃんの話かな。この世の全てが好きって言ってたからさ」

「……反対とは言い難いな。結局、人間の持つリソースは限られているんだから、全部均一に好くのも全部均一に嫌うのも、個別に割り振られる興味の量は同じぐらいになりそうだ」


 セーラは頷く。


「私もそう思う。数字を割り振るみたいに、興味を割り振る。シキちゃんはシュイロンにだけ特別に数字を割り振っているから、シュイロンの絵が魅力的に描ける」

「……モチーフがいいだけじゃないか」

「そうかもね。でも、シキちゃんがシュイロンにだけ特別な感情を抱いているのも事実で、シュイロンの絵が特別に美しく描けているのも事実」

「疑似相関関係だろ」


 一色を巻き込ませたくないから適当なことを口にする。

 セーラは俺の心情を見通したように、クスリと笑う。


「好きな子が、他のやつに惚れてるって認めたくない?」

「っ……龍とか、人ですらない奴に嫉妬なんかするかよ」

「好きな子ってのは否定しないんだ」

「……ガキじゃないんだから、好意を知られても恥ずかしいとは思わねえよ」

「ヤキモチ妬いてるのは恥ずかしがってるじゃん」

「妬いてない」


 やれやれ、と、セーラはわざとらしい呆れたフリをして、俺の唇に指先を当てる。


「龍人を倒して、解決すると思う?」

「……思わない。一色の絵と魔法使いがいれば簡単に作れるんだからな。単純に倒しただけなら、イタチごっこになるだけだ。黒幕の目的が分からないから、途中で止めるかもしれないが」

「そうだね。黒幕を倒すか、絵を奪うかしないとその場しのぎにしかならない。龍人自体も被害者だから、増やしたくはないしね」

「可能性の低い一色を使うより、黒幕を狙うべきだな」

「試せることは全部試すべきだよ。失敗してもアッキーが失恋して泣いちゃうだけだし」

「誰が泣くか」

「そのときはセーラお姉さんが慰めてあげるから、お願いするよ」


 セーラの手が頭に伸びてきて、乱雑に撫でられる。

 その手を払って、小さくため息を吐き出した。


「……絵のために、というのは、騙しているようで気が進まないな」

「じゃあ、別の人にお願いしよっかなー」

「いや、あんなチンチクリンを真顔で口説ける奴はいないだろ」

「小さい方が好きって人もいると思うよ?」

「変人だし、歩行することすら下手で、頭も悪いやつだぞ」

「素直に俺がするっていいなよ」

「……俺がする。が、それ以外の対策にも参加させてもらうぞ」


 痛む身体を無理矢理起こす。 セーラは驚いて俺を倒そうとするが、麻酔も抜けてきたこともあって起きることが出来る。


「えー、大丈夫? 痛くない?」

「大した機器もないここに寝かせているということは、動くぐらいなら問題ないぐらいには回復しているんだろ」


 点滴を引き抜いて、固まっている筋肉を少しずつほぐしていく。


「うわぁ、間違ってはないけど、脳筋思考だ、こわ」

「何か飲み物と肉をくれ。あと、服も頼む」

「頭いいと思ってたのに、完全に筋肉側だよ。この人……」


 ベッドから起き上がり、身体を動かす。寝ていた時間が長すぎるからか、それとも怪我のせいか全身が痛むが、傷が開くような様子はない。


 魔法というのは大したものらしい。胴体と腕の、二つも致命傷があったというのに、問題なく動くことが出来る。

 麻酔の抜けていない頭は上手く働かないが、身体を起こしたことで少しスッキリとしてきた。


「この組織の案内と、魔法について教えてくれ。すぐに覚える」

「急にやる気出してきたね」

「やらなくて済むならゴネるが、無理なら全力を尽くす。当然だろ」

「合理的で何より。そういうのは好きだよ」


 セーラはそう言いながらベッドから立ち上がり、別の部屋に行って服を持って戻ってくる。

 俺は手早く服を着替え、何故か一緒に置かれていた白衣を羽織る。


「じゃあ、案内するよ助手くん」

「なんだそれ」

「加入ってなると、何かしらの役職があった方が都合がいいからね。当面は私の助手として動いてもらうよ」

「……まぁ構わないが」


 それで、セーラと同じ白衣か。

 部屋から出ると、コンクリートで覆われた円形のトンネルのような場所に出る。


 地上に規模の大きい施設がないことから、地下に施設があるのだろうと予測はしていたが、それでも少しは驚く。


「……円形のトンネルか。かなり規模が大きいんだな」


 綺麗な円形のトンネルはそれ用の巨大な機械で掘ったからだろう。そのような機械を使う採算を考えると、かなり長く掘ってあることが分かる。


「まー、そうだね。改築とか頻繁にしてるからどれぐらいの規模があるのかは分からないけど、徒歩での移動がしんどいぐらいには大きいよ」


 トンネルの側面には扉がいくつも並んでいて、手書きで『研究室』と書かれていたりと若干の生活感が滲んでいた。


「えーっと、まぁ話しながら歩こうか。あまり離れないようにね、広い上に似たような風景ばっかりだから、慣れてないとすぐ迷子になるよ」

「……東京の地下によくこんな施設を作れたな」

「んー、そもそもいつからあるのか分からないぐらい前からあるみたいだよ。この道は最近のものだけどね」

「……なら、東京だけじゃないのか」


 二百年前程度なら容易に記録が残っているだろう。それ以上前となれば、東京は首都ではないので、ここにだけ地下組織がある理由もない。

 おそらく、こういった場所が各地にあるのだろうことが分かる。


「そうだね。どこにでもある……とまでは言えないけど、そこそこ色んなところにあるよ。じゃあ、軽くこの組織について説明していくね」


 セーラはえほん、と咳をしてから、眼鏡を掛け直す。


「うーん、どこから説明しようかな。……そうだなぁ、異能力者の人間がいるのは知ってるよね。アキトくんは」

「ああ、今のところ龍とヨミヨミさんの二人しか見ていないが」

「じゃあ、異能力者の動物は?」

「いや……ないな。 ……待て、おかしいぞ」


 思わず脚を止める。


 龍人は理性を保っていなかったが、魔法を使っていた。つまり、魔法は素養さえあるのならば動物にだって扱えるはずだ。

 そうなると今までの歴史で動物が魔法を使っていることを確認していないのは不自然で、魔法なんて強力な力を持った生物は繁栄してもいそうなものだ。


 だったら、人間にしか素養がないということになるが……人間の歴史なんて、酷く短いもので、寿命が長いことで世代のサイクルが遅いため、大幅に進化する時間なんてないはずだ。


 動物にはなく、人間にしかないが、人間が発生してからそれを獲得するだけの時間もない。


「……突然、魔法使いが降って湧いた。なんて話に聞こえるが」

「生命の誕生って、不思議だよね。有機物がたまたま自己増殖するような形になったって、可能性が低すぎると思うんだよ。私は」

「……何の話をしている」


 セーラは世界を見下すように、うすらとした笑みを浮かべながらゆっくりと唇を動かす。


「ID論。神の話だよ」

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