episode:2-8 【恋にのぼせて龍と成る】
一色は小さな身体を縮こませながらも、その言葉を撤回することはなかった。
「あ……約束の絵は描くんで大丈夫ですよ? その、自画像」
「……アイツがお前に期待しているのは、シュイロンの絵を越えた絵を描くことだ。価値観が上塗りされたのを、また上塗りして元に戻すことだ」
「……はい」
「出来るのか? 出来ないだろ。【連作シンリュウ】を越える絵を描くことが出来ないから、お前は絵を取り返そうとしていたんだろ」
一色は否定することもなく頷く。だが、撤回はしない。
「出来ません。出来ませんが、やろうと思います」
「……お前の絵は、写実性が売りだろ。モチーフが重要だ。人間の絵を描いて、シュイロンの絵を越えるなんて出来ないだろ」
「出来ません。自分でも無理だと分かっています」
「……しばらく絵が描けないよう、指の骨を折るぞ」
「そうしないことぐらい、馬鹿な僕にでも分かります」
俺は一色から顔を背ける。
「好きにしろ。自分から死ににいく奴を、相手にしていられるか」
「……ごめんなさい」
「俺は寝るから、さっさと帰れ。何をするにしても準備はいるだろ」
「でも、アキトさんを放っていくのは……」
「一色がいても何も出来ないだろ。人が近くにいると寝れないんだよ」
一色は寂しそうに目を伏せてから、ゆっくりと立ち上がる。
「また、すぐ戻ってきます」
ぺこりと頭を下げて一色は外に出ていく。
改めて諦めさせる言葉を考えるが、強く決意した相手を説得する言葉なんてあるはずがない。
ため息を吐いてから、誰もいない部屋の中で呟くように言う。
「……怪盗。いるか」
一瞬の静寂のあと、部屋の天井に付いていた換気扇が外れ、換気扇の穴から梯子が床へと伸びてきてミニスカートの女が降りてくる。
「よく気がついたね」
「お前は性格がいいからな。危険な目に遭っている一色を助けるために近くにいてもおかしくないと思っていただけだ」
「あの龍が出たとき、アキトを見捨てたけどね。怒ってないの?」
「一撃目は庇いに来るほどの時間もなかった。その後は俺が助からないと思ったんだろ。俺も同じ判断だった」
あんな化け物相手に立ち向かわなかったことを責めるつもりはないと伝えると、怪盗は気まずそうに頰をかく。
「それに、あの魔法使い……ヨミヨミだったか。アレを呼んだのはお前じゃないのか?」
「まぁ、そうだけど」
「おかげで命拾いした。……ありがとう」
「私のせいだって責めないの?」
「いや……俺たちがあれだけのことをして無理矢理聞き出したのに責めるわけにもいかないだろ」
怪盗は頰を赤くして俺を睨む。
「確かに……ああ、それで何の話だっけ?」
「一色を送っていってくれ」
「過保護だね。まぁ元々そうする予定だったから別にいいよ」
「助かる」
怪盗は再び換気扇の奥へと入っていく。ここの職員だと思っていたが、もしかして勝手に忍び込んだだけなのだろうか。
これで今日の道中は問題ないだろう。
麻酔のせいでぼうっとする頭を休ませるように目を閉じる。
そういえば、大学休んでしまったな。まぁ、いいか。
意識が遠のいていくのを感じながら、ゆっくりと息を吐き出す。
◇◆◇◆◇◆◇
カツリ、と扉に手がかかる音が聞こえて目を覚ます。
寝起きの頭を動かしてそちらに目をやれば、白衣に眼鏡の女性、セーラ・シュタインが欠伸をしながら入ってきていた。
「あ、起きてた?」
「今起きたところだ。……今何時だ?」
「五時だよ。朝のね」
「何曜日だ?」
「水曜日だよ。二日間寝てた感じ」
大学の友人に連絡をした方がいいか。いや、それよりも一色に連絡を……電話番号もアドレスも知らない。というか、そもそも一色は情報機器を持っていなさそうだ。
「何か用か?」
「ああ、うん。アッキーが寝てる間に、シキさんが龍化した人……龍人とでも言ったものかな。その龍人の模型を作ってくれたから合ってるかどうか確認してほしくてね」
「……それぐらいなら構わないが」
セーラはぱたぱたと歩いて部屋の外に出たかと思うと、すぐに台車を押しながら入ってきた。
台車の上に乗っかっている龍人を見て、頭では本物ではないと分かりつつも、以前に見たものと寸分も変わらないそれに、思わず体が身構えてしまう。
「どう? 一色ちゃんは、絵以外はあんまり自信ないって言ってたけど」
「……その通りの生き物だった」
刃状の前腕と野太い胴体に、それを支える強靭な後ろ脚、そして俺を吹き飛ばした脚よりも太く長い尻尾。
その全てが鱗に覆われている。
「……今見ると、益々異様な姿をしているな。どう見積もっても体重が200kgは超えている」
「うーん、確かにおかしいね。お相撲さんだったのかな」
「……魔法は質量保存の法則を破れないのか?」
「あー、まぁ難しいかな。少なくとも、理性がなくなってるような状況だと無理」
「元が相撲取りだったか……。少し気になったんだが、尻尾を除くと、骨格自体は人間とほとんど変わっていないな」
立ち姿は人間が前傾姿勢になって尻尾でバランスを取っているような形だ。
後脚も人間のものと似ていて、獣のような逆関節でも爬虫類のような形でもない。
「あー、言われてみるとそんな感じがしなくもないね」
「魔法というのはどれぐらいの無茶が効くのかは分からないが、元の姿に近い方が楽なものなのか?」
「そうだね。……このどでかい尻尾をなくして、腕の剣を取り外して、爬虫類っぽいマスクを取って、鱗と皮を剥がせば……70kgぐらいの人になるね」
「……なるほど、着ぐるみか」
着ぐるみというには尻尾が動いたり、中の人の力よりも遥かに巨大な力を持っているが。
「変身するのよりかは楽な形だろうね。問題は着ぐるみの材料だけど……尻尾で叩かれたり、剣で斬られたりした感想はある?」
「……そんなに具体的に感じるものではないが、少なくともコンクリートやアスファルトのようなものではなかったな。剣は分からない」
「こんな馬鹿でかい生き物がずっと街中にいるってはずもないし、近場で変身したんだろうけど……固いものじゃなくて100kg以上集めれるもの」
セーラは答えを出したのだろう。納得したように頷いて、俺の寝ているベッドの縁に座る。
椅子があるのだからそっちに座れよと思う。
「水だね。水を操って身に纏っている」
「……見た目がおかしいだろ。水には到底見えない」
「それは中の人間の体を使って表面を覆っているんだろうね。人の皮で出来た水風船の中に人が入っているみたいな感じかな」
「……周りに大量の塩水が落ちていたな」
「多分、浸透圧の関係だろうね。皮膚の中に水があったらたくさん吸収しちゃうだろうから、塩が必要だったんだと思う」
「変なところで魔法っぽくないな」
「そりゃ、何でもかんでも魔法で解決するより、普通の方法も合わせた方が出力が高くなるからね」
そういうものか。理解出来るような、納得出来ないような感覚。
セーラはうんうんと頷いて、俺に言う。
「こうやって敵を知ったら、対応出来るとは思わない?」
「勧誘か? ……少し考えさせてくれ」
「シキちゃんをほっておけるの?」
俺はその問いに答えられない。放っておけば死んでしまいそうな少女を思い出せば、守ってやらないとならないと思うが……そんな簡単に、異世界やら魔法やらの中に飛び込めるはずもない。
「結局、やることになるんだから、さっさと頷いた方がいいと思うよ?」
「……龍人は一体だけなのか?」
「多分、たくさんいるね」
セーラは誤魔化そうともせずに言う。
……今のところ、彼女は嘘をついておらず、自分が不利になる情報も隠していない。……誠実な対応だ。
「……俺は、何をすればいい」
「あっ、入ってくれるんだ」
わざとらしい驚いたような表情を浮かべてから、ピンっと、白い指を立てて、勿体ぶったようにゆっくりと口を開く。
「そうだね。君の仕事は『シキちゃんを口説き落として交際する』ことかな」
「……は?」
俺の声が間抜けに、部屋の中に響いた。
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