episode:2-6 【恋にのぼせて龍と成る】

「──ッ!? ゴボッ、ゲホッ。……いてえ」


 喉奥から液体が逆流して、口を通して大量に吐き出す。

 目が覚めたと気がつくより前に気管へ侵入してきたそれを咳き込んで吐き出す。


 異常な塩気に海で溺れたのかと思ったが、そういうことでもないらしく、病室に似た部屋で寝かされていることに気がついた。


「あ……キト、さん? アキトさんっ! アキトさんっ!」

「……一色? ああ、死ななかったのか」


 運が良かったのか。いや、あんな化け物に遭遇して運が良いも何もないか。

 ボロボロと泣き崩れている一色の頭を撫でようとするが、考えてみると右手は骨折していて、左手は中指を中心に腕の半ばまで綺麗に斬られていた。


 撫でる手もないだろう。そう思っていたが、左手も右手も動く感覚がある。持ち上げて見れば、包帯が巻

かれていたものの、折れていたり斬られていたはずの指が動く。


 何故かを考えるより前に一色の頭に手が伸びる。ボサボサな髪だが、癖っ毛でもなく、柔らかく細い髪質だ。少し手で梳くだけで、綺麗に整えることが出来るぐらいだ。


 泣きじゃくる少女を腕の中に抱えていると、部屋の中にもうひとり人の姿があることに気がつく。

 目を向けると、気楽な部屋着の上に白衣をきた女性が、気だるそうに垂れ下がった眼鏡をクイッと持ち上げて、気を使うようにゆっくりと形の良い唇を動かす。


「やあ、時雨秋人くん。おはよう」

「……おはよう」

「聞きたいことが色々あるのは分かるけど、私の口はひとつしかないから、時雨秋人くんが一番知りたがっていることから話すね」


 彼女はニコリと微笑み、丁寧に言う。


「岸井一色ちゃんには、一切の怪我がないよ」


 俺は目を開く。確かに一番知りたいことではあったが、それを見ず知らずの人に当てられるとは思っていなかったからだ。


「……よかった」

「それで、私は出て行った方がいいかな?」


 泣き腫らしている一色に目を向けて、首を横に振る。


「……いや、いてくれ。ふたりきりになったら叱られそうだ」

「じゃあ、叱られる時間を作るために、五分ぐらいかけて飲み物か何か用意するよ。ビールでいい?」

「……水でいい」


 ヘラヘラと笑みを崩さない女性は部屋の外に出て行き、俺の服を掴んだ一色に目を向ける。

 普段は半目気味の目は、赤く充血して俺を睨んでいた。


「……アキトさん。生きてて、よかったです」

「あ、ああ。ありがとう」

「……死ぬんじゃないかと、思いました」

「……ああ」

「何で一緒に逃げてくれなかったんですか」


 言葉に詰まる。もう助からないと思ったから、数秒を稼ぐために死に向かっていったなど、俺を心配して泣いてくれている少女に向かって言えるはずがない。


 一色は再び、ボロボロと大粒の涙を零した。


「ばか、ばかぁ……」

「悪い」

「許しませんもん。絶対、許さないです」

「分かってる。……一色には怪我がないんだな?」

「何で自分のことじゃなくて僕のことを聞くんですか。反省してないです、ぜんぜん」


 涙を流したままの一色が、入院着のような服をぐっと掴む。


「もうこんなことしないって約束してください」

「……ああ、分かった」


 一人で逃しても結局戻ってきてしまうなら、そうする意味はない。特に頷かない意味はないかと思い頷くと、安心したように一色は充血した目で俺を見ながら頷き返す。


「アキトさんの怪我は、多少治してもらっています」

「いや……それより前の質問に答えてくれよ」

「却下です。……左手、見てください」


 包帯に巻かれた左手を持ち上げる。

 記憶では中指を二つに割るように腕の半ばまで斬られていたはずだが、動く感触がある。


「布で擦れたりしないように巻いてるだけだそうなので、外しても大丈夫です」


 恐る恐る包帯を取ると、中指の先から手のひら、手首、腕、そして膝までにかけて、生々しい傷痕が残っていた。手の甲を見れば、そちらにも同じように跡があり……表面だけ斬られたから無事だったというわけではないことを知る。


 まさか人間の身体が、腕を縦に真っ二つにされても直ぐに治るほど回復能力が高いはずもない。


「どうなっているんだ。これは」

「魔法。だそうです。人体を操って、無理矢理、組織同士をくっつけて治療したそうです」

「目が覚めて早々、頭がおかしくなりそうな話だな」

「……普通の医療では、腕が使い物にならないどころか、そのまま死んでいたそうです。魔法による治療もギリギリだったと」

「まぁ……そうだろうな」

「まだ治りきっていないこととか、血が足りていないこと、それに加えて魔法特有の後遺症があるらしいので、しばらくはここに寝泊まりするように、とのことです」


 ここにと言われても、ここがどこか分からない。

 病室かと思えば、得体の知れない実験器具のようなものが並んでいて、ダンスやらクローゼットがあったりして、壁や天井には謎の焦げ跡がある。

 研究室と病室を混ぜて若干の生活感、それに加えて謎の要素を足した、総合すると何が何だか分からない謎の部屋だ。


「……暦史書管理機構か?」

「はい。全部、アキトさんの考え通りでした」

「……化け物の存在はほとんど考慮してなかったけどな。それで一色の怪我は……」

「アキトさんの右手はほとんど普通の治療しかしてないそうなので、一月ぐらいは動かさないようにってことです。何でも……魔法による治療は体に悪いから、可能な限りしない方がいいらしいです」

「……それで、お前は」

「胴体の方の傷は酷すぎたから、魔法によって治したそうです。……ごめんなさい。巻き込んで」


 ボロボロとまた泣き始めた一色は、ゆっくりと俺から身体を離していく。その手を掴んで、俺の方に抱き寄せる。


「構わない。お前のせいだとは思っていない。お前のせいだとしても、構わない」


 グスグスと泣いている一色の背を撫でていると、扉が開いて先ほどの女性が入ってくる。


「あ、早かった? 点滴付けてるんだからあんまりバタバタしちゃダメだよ?」

「……いや、ちょうど良かった」


 離れていってしまいそうで思わず抱きしめてしまったが、一色とは交際しているわけでも何でもなく、ただの友人でしかない。


 女性は意味深に笑いながら、ベッドの横に置かれていた机にコトリと水の入ったコップを置いて、俺と一色を交互に見る。


「私はセーラ・シュタイン。美少女研究者だよ」

「ああ、治療してくれた魔法使いか?」

「いや違うよ。治療したのは鈴鳴さんって名前のおじさんだね。私は今回の件について、非常に興味があるから君と一色ちゃんを預かってるだけ」

「……あの化け物か?」

「そうと言えばそうだし、そうじゃないと言えば嘘になるね」

「意味深に聞こえるが普通にその通りってことだよな、それ」

「そうと言えばそうだし、そうじゃないと言えば嘘になるね」


 ループしている……?


「おっと、まぁ私のことはセーラちゃんか、漆黒の双翼†kiruto†と呼んでくれたらいいよ」

「ゲームのアカウント名かよ」


 セーラと名乗った女性はゆっくりとベッドの縁に腰掛けて、アンダーリムの眼鏡をくいっとあげ直す。


「何の話から聞きたい?」

「……いや、いい」


 少し意外そうな表情をしたセーラに俺は続けて言う。


「元々は一色の絵を取り返すためにここまできたが、ギブアップだ。死にかけて流石に懲りた」


 一色の俺の服を掴む力が強くなる。

 セーラは眼鏡の奥から見透かしたような黒い目を俺に向けて、首を横に振る。


「嘘だね」

「……いや、嘘も何もあるはずがないだろ。絵のために死ににいく奴はそう多くないと思うが」

「シキにゃんは続けるみたいだよ。絵の捜索」


 一色の手が、俺の服からゆっくりと離れた。

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