episode:1-10 【雨の日喫茶】

「んぅ、こうやって見ながら書くのは久しぶりですけど、悪くないものですね」

「写実的な絵なら、実物を見ながらが多いんじゃないのか?」

「生物の絵を描くことが多いんですけど、動くんで思い出しながらになりますね」

「写真とかビデオを撮ったらいいだろ」

「現実に比べて画質が悪いので」


 そりゃそうだろ。

 一色が嬉々として絵を描いているのはいいが、結構困った状況になっていることに一色は気がついているのだろうか。


 俺たちが届き得る唯一の情報源である怪盗が話さなければ、どうやっても連作シンリュウの手がかりを得ることが出来ないのだが、怪盗は気楽そうに「もくひー」とばかり口にしている。


「あの、今気になったんだけどね」

「どうした、怪盗」

「いや、一色ちゃんの方向からだとスカートの中が見えちゃってて、描かれてるんじゃないかなぁって……。大丈夫だよね?」


 怪盗の言葉を聞いて、一色の後ろからキャンバスを覗き見る。

 相変わらずの手の早さで、もうほとんど全て書き終えていた。


「見えてるな、いちご柄」

「いや『見えてるな』じゃなくて止めてよっ! ダメでしょそれは!」

「相手は怪盗だしな……」

「怪盗にも人権はあるから!」

「んぅ……でも、せっかく生の人を描けるのに、見たままを描かないのはもったいないです」


 怪盗が今まで一色の絵を盗み続けたことを思うと、止める気にはなれない。

 一色は連作シンリュウ以外はあまり気にしていない様子ではあったが、それでも盗まれ続けて気分の良いものではないだろう。


 それに比べれば絵を描くのぐらい易しいものだ。

 一色は一作描き終えてから、ジッと怪盗を見つめる。


「……僕、ヌードって描いたことないんですよね。人に脱いでもらう機会なんてありませんし、自分のは恥ずかしいですから」

「えっ、冗談だよね?」

「…………」

「無言でこっちをジッと見るのはやめよ? 私たち友達でしょ?」


 一色はその言葉を噛みしめるようにゆっくりと頷く。


「僕たち友達ですよね」


 同じ言葉が怪盗を追い詰める。


「い、いや、ほら、友達でもね、ダメなことはあると思うんだ。それにほら、私って今手足ぐるぐる巻きにされてるじゃん? 服脱げないでしょ?」

「んぅ……たしかにスカートぐらいしか脱がされないですね」


 一色は怪盗のスカートに手をかけて、スカートのファスナーを下ろしながら眉をひそめる。


「脱がせられる部分だけでも脱がそうとするのはやめてっ!」

「あっ、ハサミ使えば大丈夫ですね」

「男の人もいるのにやめて!」


 げへへ、と言いながらハサミを手にして笑みを浮かべる一色を、軽く手で押さえる。


「落ち着け一色。今は尋問の最中だ。作品を取り戻したいんだろ?」

「ん、んぅ……でも、こんなチャンス滅多にありませんし」


 惜しそうにしている一色を退かし、いちご柄の下着を見せている怪盗に目を向ける。身体を捩って下着を隠そうとしているが、両手足が縛られているせいで、それも上手く出来ていない。


「それで、誰に売った?」

「だから、それは言えないんだって」

「一色」

「げへへへ」


 ハサミをチャキチャキと鳴らしながら一色は怪盗へと迫り、怪盗はそれを見て首をブンブンと横に振る。


「ストップ! ストップ! ダメだって、男の人いるのに!」

「んぅ……じゃあ、アキトさんは席を外してもらえますか?」

「逃げ出されたら困るだろ。服に何を仕込んでいるかも分からないんだしな。……怪盗、売った相手を話せば逃してやる。警察に突き出すこともしない」

「いや、でも……」


 一色がハサミを鳴らし、怪盗は怯えたように細い身をよじる。


「売った相手はお前も嫌っている金持ちだろ? 自分の身を呈してまで庇い立てする必要はないはずだ」


 怪盗はゆっくりと首を横に振る。


「違うよ。私が庇ってるのは売った相手じゃなくて、シキちゃんたちだよ」

「……どういう意味だ?」

「そのままの意味。売った相手を知ったら、その人から取り戻そうとするわけでしょ? それはシキちゃんが危険すぎるから、言えない」


 怪盗がどこまで信頼出来る相手かは分からないが、一色に対して『優しい』人間であることは間違いない。

 一色に対して甘かったからこうして捕まえることが出来ただけで、そうでなければもっと難しかっただろう。


 その怪盗が、一色のために言えない、と言うのはこれまでの言動と矛盾していないように思えた。


「危険かどうかは俺たちが判断する。俺も一色を危険な目に遭わせたくないのは同じだ」

「普通の人が判断出来る相手じゃないから、言えない」

「判断出来る相手じゃないってどういうことだ」


 怪盗は俺を馬鹿にするように、クスリ、と笑った。


「魔法使い。超能力者。妖術師。仙人。まぁ呼び方は何でもいいんだけどさ、そういうのが相手だからね」

「……龍やら異世界やらの次は、魔法使いか」


 頭を抱えた俺を見て、怪盗は続ける。


「信じられない?」

「今更だ。……下着を丸出しで訳知り顔されても、真面目な気分になれないな」

「スカートを取ったのそっちでしょ!」

「一色と一括りにするのはやめてくれ……」


 ごちゃごちゃと怪盗と話していると、一色は不思議そうに首を傾げた。


「んぅ……結局話すことになるんですから、それなら早く話した方がいいですよ?」

「私がワガママ言っているみたいなのやめて。でも、そうだね……」


 怪盗はゆっくりと口を開く。


「暦史書管理機構」

「……はあ?」


 怪盗は繰り返し言う。


「暦史書管理機構。これが答えられる限度。この言葉だけで答えに辿り着くなら、安全とは到底言えなくても、死なない可能性はある」

「……いや、よく分からないからちゃんと答えてくださいよ」

「これ以上は無理だよ。話せることは全部話したから解放して」


 怪盗の意思は固そうに見える。俺はひとまず怪盗から距離を取り、顎に手を置いて考える。


 嘘をついて誤魔化そうとしているにしては、吐き出した情報が少なすぎる。誤魔化すならもっと具体的で怪盗を解放せざるを得ない情報を言うべきだ。

 例えば『アメリカの資産家が絵を持っている』とでも言えば、長期間の留守で怪盗を監禁することが出来なくなるので、解放するしかなくなるだろう。


 簡単に誤魔化せるのに、あえて誤魔化せない情報だけなのは、それが事実だからか? それとも、俺がそう深読みすることを想定してだろうか。


 いや、一色の性格は知っていても俺のことはあまり知らない筈だ。そう深読みするところまでは読めないだろう。

 だとすると、事実か。


「……一色。怪盗は性格がいいんだな?」

「んぅ? はい、いい人ですよ?」


 一色がそう言うなら信じるしかないか。

 怪盗は敵ではない。そう決める。


「んぅ、ほらほら、ちゃんと話さないと切っちゃいますよ」

「ダメダメダメ! ストップ! ストップ!」


 ハサミの刃の片側を下着と腰の間に潜らせて、ハサミの刃で下着を軽く浮かせる。ハサミを閉じればすぐにでも切れそうになっていて、思わず怪盗に同情する。


「なら話してください」

「それは絶対ダメなの!」

「パンツがどうなってもいいんですか」

「パ、パンツと人命、どちらが大切なんか決まって……」


 一色が怪盗を脅していると、下着しか着けていない腰が冷えたのか、あるいは雨で濡れたからか、怪盗は大きな声でクシャミをする。


 その音でびくりを震えた一色の手から、シャキン、と音が鳴った。


「えっ……あっ……ご、ごめんなさい」

「き、き、きゃーっ!?!?」


 怪盗が羞恥のせいかバタバタと暴れ、ベッドから下着がパサリと落ちる。

 俺は頭を抱えて、ため息を吐きながら扉から廊下に出る。


「……もう一色がどうにかしてくれ」

「えっ、見捨てないでください! 僕がこういう状況をどうにか出来ると思うんですか!?」

「もう面倒くさいから逃がしてやれ。それ以上は、俺もお前も出来ないだろ」


 爪を剥ぐなどして尋問するのも考えはしたが、実際に出来るかというと無理だろう。怪盗から引き出せる情報はこれが限度だ。


 喫茶店のフロアだった場所に戻って、外を眺めながら冷めたコーヒーを啜る。

 少しすると、スカートを抑えている怪盗と一色がやってきて、怪盗が俺を睨み『覚えてなさい』と捨て台詞を吐いて外に出ていった。


「……いや、一色に言えよ」


 怪盗の後ろ姿を窓から見ながらそう呟いた。

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