00:15〜

第13話 『愛と呼べない夜を壊して』

「つまらない」

 彼は、『怠惰』は、そう吐き捨てた。


 手首に巻いていた、肌と同じ色のバンドがしゅるしゅると床に落ちていく。すると縛り付けられていた紐と手首との隙間ができた。器用に『怠惰』は十字架から脱出した。


「なっ……!」

 一瞬の隙に『肉薄』を、椅子から床に引きずり下ろし、組み伏せる。

『肉薄』と名乗っていた御垣は、驚きのあまり声が出せないでいた。


「Sさま……!」


「死ぬなよ『溺愛』。こんなつまらない死に方、この僕が許さない」


 形勢逆転と言ったところか。『肉薄』のアドバンテージは、『怠惰』を拘束し、生殺与奪の権利を握っていたことにあった。それが今や逆転し、『肉薄』は何もすることが出来ない。


 何も選択することができない。


「どうして拘束から抜け出せる!? 私の計画は完璧だったはずだ!」

「完璧? どこが?」


 そう声を発したのは、廊下の奥から現れた『正義』だった。

「俺たちはお前の書いた文字通り、『筋書き』通りに行動してやってただけだぜ。お前の描いた物語通りに『怠惰』はスーツを着て、戦えと言われりゃ戦ったさ」


 手には鉄製の愛刀、お手製の鉄竹刀を携えて『正義』は笑う。


「だけど、どうして俺たちが本気で戦わなきゃならない? 俺は言ったぜ。『溺愛』の命なんてどぉーーでもいいって。俺が欲しいのは『誰何』を殺した九十九塚の情報だ。『怠惰』を殺したらそれが手に入らない時点で戦うメリットがない。俺と『怠惰』を疲弊させて、何かよからぬ事を考えているだなんて、俺だって、誰だって気付くことだぜ」


「だから、色々と準備してここに来た、僕がスケープゴートに名乗り出たって訳だ」

 首根っこを押さえつけているため、『肉薄』は何もできない。足をじたばたさせることもできない。反論を叫ぶことしかできなかった。


「お前が準備してきたことなんて、『愛と呼べない夜』には書いていなかっただろう! これでは問題が成り立たないじゃないか!」


「いいや、大丈夫。ルール上、君が僕を殺すためのトリックやギミックはきちんと書かれていなければならないが、僕が君に殺されないためのトリックとギミックは、書かれなければならないだなんてルールはないんだぜ」


 トリックルームから持参したスーツ、サンダル、指輪。その他数点のアイテムは、『肉薄』の用意した問題とは関係がない。『怠惰』を使って『溺愛』を自殺させるために使われたアイテムでないのなら、明記する必要なんてない。


 そう。出題者が『肉薄』なら。


『正義』はことのついでに、確認した。

「俺たちの行動が小説で予知されてるってやつはなんだったんだよ。全部で5話の小説が投稿されてたんだろ?」


 あの時点では、俺たちはまだ留置所にすら着いていなかった。その時点で5話目まで投稿されていたのはどういうことなんだよ。と、『正義』は聞いた。


『愛と呼べない夜』の3話と4話には『正義』と『怠惰』の戦いが記されていた。まだTRICK ROOMの店内にいた二人の戦いを予知することなんて、通常は考えられない。


「違うね。全部で5話の小説が、トリックルームの中にいたあの時点では125投稿されていただけだ。タイトルに『1/5』と書いてあれば、その物語が全部で5話なのは誰が見たって明らかだ。だから『強欲』はこう言ったんだ。


>「新作が出題されました。『愛と呼べない夜』。出題者は、『肉薄』。全部で1、2……、5話まであるみたいです」(第2話 トリックルーム より)



「あの時点では不確定要素の少ない最初の2話分と、最後の5話だけが投稿されていたんだよ」


『怠惰』は最初にだけ読んでいた。

 さわり、とは最初の方をさらっとさらうことでは無い。本来の意味は、要点という意味だ。『怠惰』はあの一瞬でタブレットに投稿されていた1、2、5話を読んでおいた。順番通りに読まなければならないというルールは無い。

 最初の時点で5話を読んでいたから、ある程度の予測は可能だったと言うわけだ。


「なんだよ、そんなことか。それなら2話で俺とお前が、問題の中と逆の方向に進んでいたとしても、仕方ないわな」


「まじめな『強欲』みたいなやつは最初から1話ずつ読む。読み進めていくと現実の時間が経過するだろう? 作者はその間に起こったことを文章化して投稿するだけだ。見てみろよ。実際に起きた時刻と、小説の投稿時間に10分ほどズレがあるだろう? リアルタイムか、未来予知なら時間の前に投稿されていなければおかしい。3話と4話だけは、実際の時間よりも遅れて投稿されているのがその証拠だ」


 予知なんて、誰にもできるはずがない。

 ただ、予測なら誰にでも出来ることだ。

 と、『怠惰』は笑った。


「『溺愛』を殺すためにこの僕を呼び出して、僕を囮にするのは誰だって思いつく。ネクタイを使いたいがために僕にスーツを強制することもまた、簡単な推測だ」


 ネクタイを片手で緩め、床に放り投げた。

「だが、自殺を強要することはトリックとは言えない!」


「講釈どうも。有難くて耳が痛いよ」

『肉薄』は、口だけしか動かすことが出来ない。言葉だけの反抗を繰り返した。

「それが、君の最期の言葉にならないことを祈ろう」


「なんだと……、痛っ」

『肉薄』は両手を背中に回され、為す術もない。


「な、なにをした! 耳が……、熱い!」

「お前の耳を少しちぎってやったのさ。文字通り、耳が痛いだろう?」

「駄洒落が痛いな」と『正義』。

「うるさいな」と『怠惰』。


「あぁ、じんじんと熱くて、痛い。だが! 死ぬ程度じゃない」


「ふふ。ポタリ、ポタリと音が聞こえるだろう? 血の垂れる音が、さ」

「聞こえるからなんだって言うんだ!」


「人間が失血死するのって、どのくらい血がなくなってからだと思う?」


「は?」


「通説によると、体重の1/3とか、1/2とか、そのくらいらしいんだ。ちょっと試してみたくない? 自分で試したら死んじゃうからさ。ちょっと実験台になってくれないかなって」


 ポタリ、ポタリと、滴る音が。静かな床に落ちる音が、無慈悲に鳴り響く。

 真紅の色をした命が落ちる音が、聞こえるようだ。


「君の体型からして、体重は45キロ程度。身体の13分の1が血液の量だから、大体計算すると、君の身体には3,375mlの血液が含まれていることになる。半分だと、1,688mlくらいか。へぇ、あの1.5リットルのジュースくらいしか無いんだね」


「1秒に1ml滴り落ちるとして、1分で60ml、1,688ml落ち切るには、大体28分程度だな」


「そういうこと。1/3なら18分で終わっちゃうけど。ちょっと実験に付き合ってよ、ねぇ」

「ふ、ふ、ふざけるな!! どうして私が……!」

「ほら、怒ると頭に血が上っちゃうよ? なーんてね」


『肉薄』は腕を押さえつけられながらも暴れたが、『怠惰』と『正義』を戦わせて疲弊させ、暗闇の中背後からスタンガンで襲う程度の強さなんて、彼らとは比べものにならない。『肉薄』は泣き言を言う他なかった。


「30分以上息をしていられたら、実験失敗。ここからどいてあげるよ。えぇと、なんだっけ。『『肉薄』さんの疑念はもっともです。よって私はここで宣言します。当問題内で、私『怠惰』は一切、あなたの生命を脅かすことは致しません。これはTRICK ROOMの参加者プレイヤーとして、問題の遂行を執り行う身としてきっぱり、誓わせて頂きます』だっけ? 約束は守るよ。君が生きて居られれば、だけどね」


『怠惰』の命を脅かした張本人の『肉薄』にとって、その口約束の精度はゼロに等しかった。




 ◇


 約30分後。

『肉薄』は事切れていた。血に濡れた頬を冷たい床に付け、二度と動かない。


「今何分? 何分頃に死んだかな。ぼーっとしていて、気づかなかった」


「ごめんね、Sさま。私も疲れて寝ちゃってたわ」

 鉄格子に背を預けて、『溺愛』は伸びをした。


「あぁ、終わったか」

 鉄格子の向こうで『正義』は起き上がった。


「まだ0時過ぎか。どうする? 『正義』。ここからちょっと距離あるけど、九十九塚、殺しに行く元気はあるかい?」


「ようやっとだぜ。早く寄越しな」

『正義』は『怠惰』からのメモをひったくるようにして奪い取り、出口に走っていった。

 タクシーを使うだろうか。いや、多分彼は走っていくに違いない。この時間だと電車はもう走っていない。

 あの重い鉄竹刀を持って長時間走るなんて、復讐じゃなかったら続かないモチベーションだ。


 きっとここから走っていったら2時間はかかるんじゃなかろうか。知らないけれど。


『怠惰』は彼女の元に歩み寄った。

 0時を過ぎ、見事、彼女の命を守ったのだ。


「『溺愛』。お前は十分強いんだ。僕のために命を賭けるくらいなら、僕のために死ぬな。僕のために戦え」



「うん!」



『溺愛』の笑顔は、涙で汚れてとても綺麗とは言えなかったが、その顔を見て『怠惰』は満足したのだった。






『愛と呼べない夜を壊して』




出題者『怠惰』

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