第3話 スノーボーイ

 昨日の雪がまるで嘘のように融けている。朝方にかけて暖かい風が吹いた。融けた雪が凍りつくことも無く、今日は暖かかった。

 冬の天気は分からない。極寒の次の日はコートがいらない、なんてこともあるのだから。

 変死体が見つかったとの連絡を受け、刑事クダンダは部下のコバヤカワがいる現場へ向かった。


 現場はカフェの前の道にある小さな噴水だった。

 夏には小さな子供が涼みに来そうな深さの小さいものだ。今は冬なので、噴水は止められているようだ。少ししか水も溜まっていない。

 というか、冬ならば凍ってしまいそうなものだが、今日は少し暖かかったためか、融けているようだ。


「おいっす、ほらよ」


 ガタイのいい男が、細身の男に何かを投げて寄こした。

 昨日使ったままポケットに入っていたホッカイロだ。


「今! 使い終わったホッカイロをいただきました。こんなんなんぼあってもいいですからね」


「何に使うんだよ」


「中身の零れたそばがらの枕に継ぎ足そうかと」


「それはやめておけ。で、公園で変死体って言うから出張ってきたけど、パッと見事故じゃないか? 公園の噴水の中に突っ伏して居るように見えるが」


「そう、思いますよね。でも、事故死か殺人か、どっちか分からないんですよね」


「分からない?」


「色々聞いたり調べているんですけれど、はっきりしないんですよ」


「なるほどなぁ。なら、俺がこの事件の原因、はっきりさせるために、一緒に考えてやるよ。色々聞かせてみな!」


「ありがとうございます。実は鑑識のサエキさんが言うには、被害者は泥酔状態だったようです」


「そうだろ? なら事故で決まりだ! 大方、雪道で滑って、公園の噴水のへりのレンガに頭をぶつけたかなんかだろ」


「事故死、ですよねぇ」


「すぐ分かっただろ、こんなの」


「いやでも、分からないんですよ」


「何が分からないんだよ」


「実は、被害者の死因は溺死。肺には噴水の中の"雪解け水"が入っていました」


「溺死? 頭を打ったのでも、凍死でもないのか?」


「はい」


「……ほな事故死と違うかー。酔っ払った人が雪道、冬の朝倒れていたらもうそれは凍死か転んで頭打ったかの二択だからな」


「そうなんですか」

 先輩刑事が普段使わない関西弁を使ったことに違和感を覚えたが、話を先に進めることを優先することにした。


「そうだよ。ってか、先に死因を言えよ。溺死じゃ、そもそもその二択からして間違っているじゃないか」


「すみません」


「じゃあ事故死じゃないかもな。他に何か分かったこと無いのか?」


「はい。被害者の肺に入っていた水についてです」


「さっき噴水の中の"雪解け水"って言ったな。普通に噴水の水とは違うのか?」


「はい。冬期は水道管が凍るので、栓を止めているようなのです。それは管理会社に確認して裏取り済です。また、排水のパイプにはゴミが詰まっていて、噴水の中に積もった雪の雪解け水が勝手に溜まるようになっていたようです」


「給水されずに、排水のパイプも詰まってるんじゃあ、雪解け水が溜まっても不思議じゃないな」


「そうなんです」


「ならそれだ。ほらそこ、被害者の足跡が途切れているだろ。しかも滑っている。滑って転んだことは確かなようだ。連日の積雪で、噴水の中に積もった雪が融けた水が溜まっていて、それが原因で死んだんならやっぱり事故死だな。はい、事故死で決まり!」


「いやでも、分からないんですよね」


「何が分からないんだよ」


「先輩のヒゲミヤが言うには、これは殺人だと」


 ヒゲミヤとは、クダンダ刑事の同輩で、コバヤカワの上司にあたる、一言で言うと変人である。


「あいつの言うことは放っておけ。あいつは事故死も何もかも殺人事件にしたくて仕方がないエセミステリーオタクだからな。これは、酔って歩いてきた被害者が、転んでそのまま寝てしまい、噴水の中の雪解け水に顔を突っ込んで溺死。ほーら、これなら事故じゃないか。はい、解決!」


「それが違うんですよ。先輩のヒゲミヤが言うには」


「あいつの言うことは放っておけ」


「いや、クダンダさん。実は鑑識のサエキさんが言うには……」


「鑑識の麗しきヒロイン、鑑識のマドンナ。サエキさんが言うんなら耳を傾ける必要があるな。なになに?」


「噴水は直径2mの円、深さ15cm程の大きさです」


「あぁ、そのくらいの池として深さを考えれば、十分に溺死は可能じゃないか」


「それが、連日の積雪量と合わせて考えると、この噴水に2cmほどの雪解け水しか残らない計算なんだと」


「ははっ。それはサエキさんが間違っているよ。その点は俺がニュースで確認した。この地域は連日、積雪量20cm降っているはずだ。なら雪解け水が20cm、並々入っていてもおかしくは無いだろう? はい、事故!」


「それが先輩のヒゲミヤが言うには……」


「サエキさんは何て?」


 もうサエキさんが言ったことにしようとコバヤカワは心に決めた。


「……はい、新雪のふかふかの雪は、融けても体積の10分の1の量の水にしかなりません。20cm積もっていて、それが融けたとしても2cmの池にしかなりません。深さが15cmの噴水なので、雪が山々と積もっても20cm程だと思われます。水深2cmの池。それではさすがに事故としては厳しいのではないかと。殺人でもきついです」


 せめて水深10cmくらいは欲しいところだと思われる。

連日降っていたと言っても月曜から金曜までの5日間程だ。


 1日あたり20cmの積雪量。それが1日ごとに融けて積もってを繰り返せば、5日間で100cmになる。それが融ければ10cmの雪解け水となるから、計算は合っている……?


 いや、雪が融けたのは事件の前日。噴水の中には前日分の融けていない雪が積もっているので、新たに雪が降ってもタワーのようにうずたかく、器用に降り積もってはいかないだろう。


 20cmの積雪量だと雪解け水は2cm、か。

「池というよりもう、それは水たまりだな」


「はい、そうなんです」


「連日積雪20cmって言ったってなぁ。10cmの雪解け水を得るには、1mも積もってないといけないのか。深さ15cmの噴水に1mは積もりようがないな。さすがにそれは無理だな。溺死? 本当に?」


「はい」


「でも、被害者の肺に入っていた水は、雪解け水の成分だったんだろ? おそらく、親切な誰かが雪かきをして、雪かきの雪が噴水の中に入れこまれて、それが連日溜まっていって、融けて凍ってを繰り返して、そこそこの深さの雪解け水になったんだよ。それが原因で溺死したんだ。はい、もうこれは事故死に決まり!」


「なるほど。それなら矛盾は無いですよね」

 さすがはクダンダ刑事。ヒゲミヤ先輩の同期。検挙数はヒゲミヤよりも上。いや、ほぼどっこいどっこいだけれど。どんぐりの背比べ。


「雪解け水も凍ったら氷だ。それがまた融けても成分としては雪解け水にはかわりがないからな。ヒゲミヤは何でもかんでもトリックだの殺人だのに仕立てあげたいだけなんだよ。俺たち捜査一課の仕事を増やすな。次の現場に行くぞ」


 クダンダと呼ばれた刑事は言うが早いか、現場を後にした。


「それが、そういう訳にもいかないんですよ!」


 部下のコバヤカワは大声でクダンダ刑事を呼び止めようとしたが、刑事の足は止まらない。すでにパトカーに乗り込もうとしている。


「何が違うんだよ。もう事故死。誰がどう見ても事故死!」


「実は署に犯行声明文が届いてまして!」


 刑事は今まで歩いた道のりを早歩きで戻ってきた。


「それを早く言えよ! 俺が『事故死で決まり!』って叫んでいる時に何を考えていたんだよ」


「いや、申し訳ないなって」


「犯行声明文が届いているんなら事故死じゃないだろ! 殺人だ! いい加減にしろ! ならさっきから何を迷っているんだよ!」


「どうにもはっきりしなくって」


「さっきからヒゲミヤが殺人だって言っていたのは犯行声明文が原因だな。それを早く言えよ」


「すみません」


「それで、お前は何を悩んでいるんだ。一緒に考えてやるから」


「ありがとうございます。犯行声明文が届いたことで、殺人だとすると、被害者を殺す動機があるのは誰か。調べてみると、容疑者が一人浮上しました」


「ほう」


「被害者の家を捜索したところ、男はかつて幼児誘拐を実行して逃げおおせていたことが分かりました。その誘拐された子供の親が、この近所に住んでいたんです」


「話が早いな。そいつが犯人だ。逮捕状を取ろう」

それはさすがに早すぎた。物的証拠が必要だ。


「でもその人にはアリバイがあるんですよ」


「ならそいつは犯人じゃないな。アリバイがあるなら犯人じゃないだろう。普通に」


「でもヒゲミヤさんは逆のことを言っています。アリバイがある人が犯人だ、と」


「あいつは頭がおかしいんだよ」


「それは否定できませんが」


「そのアリバイってなんだよ。一応聞いといてやるか」


「ここのところ、その容疑者は、この前の道で、雪の降る日はカフェでお茶を飲んでいたようです。相席した他の客から話を聞きました。彼が噴水に雪かきの雪を放り込んだ証拠はありませんでした」


「アリバイって、噴水の中に雪解け水を用意したっていうアリバイのことか?」

 雪かきしてないからってアリバイになるのか。


「はい。噴水の前の道は、人通りが多いんです。学校や駅が近いので、平日は人の往来が多い。誰も雪かきせずに歩行者が踏み抜いて、道が確保されていたようです。クダンダさんの言っていた、雪かきの雪が噴水の中に放り込まれた説は、考えられません」


「考えられないって言ったって、現に雪解け水は入っていて、それが原因で被害者は死んでいるんだぜ」

 現場の噴水には10cm弱程度の雪解け水が溜まっているように見えた。


 たとえば夜なら犯行が可能だろう。そもそもこの被害者の死亡推定時刻は深夜となっている。深夜にアリバイが証明出来るものか。


「はい、実はその容疑者が、被害者を噴水に突き飛ばしたと証言しているんです」


「はい、殺人! 殺人事件に決まり! 犯人も分かっているんだから何も悩むことは無いだろう! いい加減にしろ!」


「そこでさっきの話に戻るんですよ。容疑者の男は、『因縁をつけられて胸ぐらを掴まれた時にとっさに抵抗をして、彼を噴水に突き飛ばしてしまいましたが、雪が積もっていたし、まさか死ぬなんて思っていなかった』と。」


 被害者が噴水のヘリに頭をぶつけての事故死なら文句の付けようもない殺人事件だが、噴水の雪解け水が原因なら、これは過失致死とすら言えるかどうかも怪しい。

 被害者の方から因縁を付けたのなら、正当防衛か過剰防衛となるかわからんが、正当防衛の範囲内な気もする。


「容疑者の男が『殺人をした』と立証するには、彼が噴水に雪解け水を最低でも10cm用意したことを証明しなくてはなりません。どう考えてもそれが難しいんです」


 犯行声明文を考えれば殺人。動機も充分だ。

 しかし、凶器を用意するのがここまで難しいとは。


「犯行声明文には何て書いてあったんだ?」


「『罪を償い、被害者に詫びろ。でなければ死が待っている』と書かれた手紙が被害者の自宅のゴミ箱から見つかりました。署に投函されていたものと同じ文面でした」


「限りなく容疑者の男が怪しいが、そこから犯行を裏付けるのは難しそうだな……。うーむ。殺人か正当防衛かで悩んでいたわけか」


「はい。考えれば考えるほど訳が分からなくなりまして」


「うーん。一筋縄にはいかないな。俺もどっちか分からない」


「先輩のヒゲミヤが言うには」


「あぁ。試しに聞いといてやるか」


「雪解け水を洗面器に用意しといて、泥酔した被害者をそれで溺死させた、殺人事件だ、と」


「そんなわけないだろ、もうええわ」




◆◆◆


作者「どうもありがとうございましたー」


問題編   完





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