第6話 現実(2)


刑事 ヒゲミヤ -1-


 10月13日。ムーンロッジ『縁の海』にて。

 警始庁捜査一課が現着したのは昨夜21時頃だった。



 昨夜この別荘『縁の海』にて殺人事件が起こった。

「緑の海? 全然緑色じゃないな。海もないし」

「先輩。漢字が違います。『ふち』の海です」

「んん?」

 最近老眼かしらんが、字が読みづらくなっている。まだ三十代後半である。老眼鏡などかけたくないので、目のピントを必死で合わせる。シパシパ。

「あぁ、そうだな。お前を試したんだ」

「僕こう見えても漢字検定5級なんで、簡単ですよ」

「5級?」

 聞いたことないな。そんなレベルの自慢を。

「『縁の海』は、月にある『海』のうちのひとつみたいです。被害者は月がとても好きだったようで、現場の倉庫の中にも、月関連のグッズがわんさかありましたよ」

「世の中には色々なオタクがいるんだな。それはそうとコバヤカワ。知らなかったのか? 月には海なんてないんだぞ」

「先輩……、いや、なんでもないです」

 コバヤカワは俺に哀れみを帯びた笑みを浮かべて、先に別荘に入る。

 早速現場を見よう。

「別荘はセキュリティはきちんとしていたようで、社員以外は入れず、外部の人間を入れる時は中の人がカギを解除しないと入れません。外部の人間の犯行とは思えないですね」

「だな。たまたま毒物を持っていた第三者が、たまたま開いていた別荘に入り込んで、たまたま珈琲を飲んでいた被害者に毒を飲ませて殺すとはさすがの俺でも考えつかん」

「諦めないでくださいよ! 先輩なら、きっと考えつくことができます!!」

「お、おう」

 部下のコバヤカワの熱意は、時々、いや、大抵あさっての方向にぶっ飛んでいる。

 玄関を開けて、まっすぐ突き当たりに見えるのが被害者の部屋か。

「遺体発見時はカギが掛かっていたようですが、内部のツマミからは被害者の指紋が見つかっています。どうやら被害者が自らカギを掛けたようです」

「は? なら自殺か?」

「いえ、毒物が遅効性の毒でした。毒入りの珈琲を飲んでから15分ほど自由に動けていた可能性があります。被害者は、カギをかけて、人に見られたくないことをしていた。その後絶命したようです」

「人に見られたくないこと?」

「奥さんが言うには、不倫に関わることなのではないかと」

「密室で不倫に関わることって言ったら……、アレだろ?」

 ん? とすると、現場に他に誰かがいたのだろうか?

「遺体発見時に部屋の中に、発見者たちの他に誰かいたのか?」

「いえ、居ませんでした」

「ならアレじゃないだろ。一人じゃできんことだし」

「先輩、アレってなんですか?」

 アレっていえば、アレだよ!

「それと、遺体発見現場には被害者の妻、呑鳴 美白が盗聴器を仕掛けていました」

「な、なんだって!」

 今どきの夫婦は盗聴器を仕掛けるのか。恐ろしいな。

「ならそこに犯人との会話が録音されているんじゃないか?」

「被害者の断末魔が録音されていましたが、死ぬ15分前に大迫小夏と会話しているようでした。それを聞いたら、『縁の海』の由来も分かりますよ」

 その情報は別にいらないな。

「で、鑑識は調べ終わったんだろう? 毒は何に含まれていたんだ? 珈琲か?」

「いえ。カップに入っていた珈琲にも含まれていましたが、珈琲缶の中に毒が含まれていました」

「ほう! なら、事件当日に珈琲豆を補充したとされる、『黒部星夜』が犯人で間違いないな!」

 事件は解決した。すがすがしい。

「いえ、より正確に言うと、粉末の珈琲のみに致死量の毒が仕込まれていました」

 ふん。なら、その毒入りの珈琲豆を挽いて、それを飲ませたんだろう。QED。

「違うんですよ。粉末の珈琲には毒が含まれていたんですが、補充されていた珈琲豆には毒は一切含まれていませんでした。缶の底の方に毒入り粉末の珈琲が缶の2割程度入っていて、、その上に覆い被さるように毒の入っていない珈琲豆が満タンに入っていました。おそらく、黒部氏が補充したのは、被害者への毒コーヒーが作られた後、なのではないかと」

 それだとおかしい事になる。被害者が飲んだ毒入りのコーヒーは誰が淹れたんだ?

「大迫小夏がコーヒーを淹れたと証言している。毒入りコーヒーを淹れた後、それを隠すように普通の珈琲豆を缶に入れたんじゃないか?」

「隠すなら毒入りコーヒー粉末自体を処分するか、珈琲豆の缶ごと処分しないと意味ないのでは無いですか?」

 くっ。正論のツッコミを入れられると困る。こちらはそもそもおかしい事態に、道理のあった説明を無理やり当てはめているのだ。

 毒入りコーヒーが、珈琲缶の底の方に沈んでいるのがおかしい。豆を詰め替えたタイミングもおかしい。コーヒーの粉末が缶の上部にあれば、コーヒーを淹れた大迫小夏が犯人だ。と、すんなり理解出来る。それなのに実際は粉末が缶の底に沈み、豆の珈琲が缶の上部およそ7割を占める。

 既に満杯に入った珈琲缶の中を、豆と粉と順番を入れ替えるのは、缶に何らかの細工をしないと簡単には出来ないだろう。缶の側面に、変な持ち方をした指紋は付いていなかった。被害者の香嶋、黒部、大迫、九十九塚、青山の指紋が付いていたが、至って普通の指紋だった。

 不思議な魔法で、粉と豆との順番を入れ替えたのだとすれば、その魔法を唱えた奴が犯人だ。

 普通に考えれば、被害者の死の直前にコーヒーを淹れたと証言をしている、大迫小夏が犯人だろう。

 現場の珈琲缶の状態を信じれば、黒部が珈琲豆を補充する前に毒入りコーヒーは淹れられた訳だから、黒部が豆を補充しに行った時点で別荘にやってきた大迫小夏には犯行は不可能だ。となると逆に怪しいのは、黒部星夜だ。

 このどちらかに犯人がいると見て良いだろう。

 二者択一。

 しかし、俺は既にこの中から、犯人を一人に絞っていた。

 それは、あることに起因するのだが……。


「大迫小夏が真犯人だ。取調室で、俺の推理ショーを披露しようじゃないか」

 犯人を追いつめる山場だ。俺はニヤリと笑った。


 警察は、犯人の行方を追う。

 刑事が犯人の肩に手を置くのも、あとわずか。





[問題編、終]

[推理編につづく]







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