第5話 珈琲は月の下で④

 尾藤萌果 -1-


「ただいまー。なんとか1時間以内に戻れたわね」

 尾藤萌果は薪を数箱、出かける前に倉庫から持参した台車に載せて、オフィスに顔を出した。

「あ、お疲れ様でーす」青山の声が休憩室の方から聞こえた。

「尾藤さんの車の音聞こえたので、待機してました!」

「音うるさいですよね。調子悪いんですか?」

「そういうカスタムなの! 悪かったわね、うるさくて」

 青山はずけずけと言う性格で、悪意は無いのは知っていた。しかし、辺りに住宅が少ないとはいえ、趣味の車で来たのは良くなかったかな?

「私が運びますよ! もうお腹ぺこぺこ!」桐文字が倉庫の方から歩いてきた。

「桐文字さんは、社長呼んできて。いいわね?」

「うぇーん。嫌だよう。打ち合わせ終わってるだろうから絶対嫌味言われるよう」

 青山が桐文字の肩を叩いて慰める。

「仕方ないわね。私が一緒に行って、社長に加勢してあげるから」

「2対1!!」

「そういえば、小夏さんは?」

 オフィスの中に彼女の姿は見えなかった。

「尾藤さんおかえりなさい。小夏さんは……、社長室に行ってから戻ってきてないですね」

 九十九塚がオフィスに入ってきて、大迫小夏以外の女性全員がオフィスの中に集まっていた。

 小一時間を社長室で過ごすとも思えないし、テラスにでも登っているのかもしれない。天井の『隕石の通り道』を覗いてみたが、真ん丸の月が見える以外は、誰もいないように見えた。

「そろそろ助け出してあげないと危ないんじゃ?」桐文字が冗談めかして言う。

「小夏さんは、社長の好きそうな子だものね。ほら、キリちゃん。早く」

「あいあいさ~」


 一分と待たずに彼女は戻って来た。

「社長室、カギがかかっているみたいですよ。ノックしても返事が無いです」

「え?」

 そもそも、社長室にカギがかかっていること自体が珍しい。香嶋社長は来るもの拒まず。来客中でも開いているくらいだ。

「でも、ドアの外からでも、中の音楽が聞こえるから、いると思うんですよね」

 社長は珈琲を飲みながらジャズを聴くと癒されるのだと以前から話していた。

「小夏さんと二人きりでカギをかけてるってこと? うわー。やってますな、これは」青山が腕を組んでうんうんと頷く。

「こらこら。ノックをしても応答がないってのはおかしいでしょう? 音楽掛けながら居留守をするとも思えないし…」

「九十九塚さん! カギ持って行って開けちゃいましょう! 私のお肉が待ってるんです!!」

「私『たち』の、お肉だけどね……」青山が笑う。

 お腹を空かせた桐文字は何をするかわからない。本当に怖いのは、何もしない人間ではない。何をしでかすかわからない人間だ。

「うーん、これからBBQやるって伝えてあるし、変なことは起きてないでしょ。ちょっと、様子見てみましょうか」

「はい!」

「九十九塚さん、カギを取ってもらえる?」

「分かりました」

 九十九塚は壁に掛かったキーケースを開けて、カギを取り出した。

 尾藤を先頭に、桐文字、青山、九十九塚が社長室のドアの前に集まる。

「もう。黒部くんはどこで何をやっているのよ」

 青山がその場にいない黒部に悪態をついた。

「買い忘れてた花火でも買いに行っているんじゃないんですか?」

「でも、私が買い物から帰ってきた時、駐車場に彼の自転車は置いてあったわよ?」

「じゃあもう帰ってるってこと? さっさと準備手伝いに来なさいよね」

 社長室のドアノブを回してみるが、開かない。

「本当にカギがしまっているみたいね。でも、音楽がかかったまま。うーん。開けるわよ」

 カギを開けた。ドアを開けると、ジャズの音はより一層大きく聞こえた。

 中に入ると、香嶋社長が倒れていた。

「しゃ、社長!!」

 桐文字が慌てて近寄る。彼女が呼んでも身体を揺すっても返事はなかった。脈はなく、顔は青白い。目と口は大きく開かれ、口からは茶色い液体が零れていた。首元を両手で抑え、苦悶の表情で固まったまま動かなかった。

「し、死んでるの……?」

「うそ……、まじ……?」

 近くにコーヒーカップが落ちていた。

「まさか、珈琲に毒が?」

 九十九塚がキッチンカウンターに置いてあった珈琲豆の缶を持ち上げようとしたが、うまく持ち上げられず、落としてしまった。床に珈琲缶が転がっていく。

「あっ!」

「大丈夫? こぼれてない?」

「うん。カバーがしっかり留まってたから、ほら!」

 青山が珈琲豆の缶をがしゃがしゃがっしゃと振って見せた。

「そんな大げさに振らなくてもわかったから。その缶に毒が入ってるかもしれないんだから、あまり触らない方がいいわ」

「え! 毒!?」

 青山は珈琲缶をキッチンカウンターの上に置いた。

「社長はコーヒーをブラックで飲むから、コーヒーに毒を入れたのか、そもそも珈琲豆自体に毒が入っていたのかって感じかしらね」尾藤はこれから行わなければならないことを頭の中で整理した。

 仕事のこともそうだが、まずは警察に連絡しなければならない。

 この別荘に第三者が侵入している可能性も、ゼロではなかった。

 深呼吸をした。死体から目を逸らしたかった。天井を見上げると、天窓から満月がこちらを見下ろしていた。

 その満月に先程見たばかりの社長の苦しむ顔が投影され、思わず目を瞑る。目を瞑っても消えなかった。思わずキッチンにあった布巾を遺体の顔に被せた。布巾は端が茶色く染まった。

 本当に、どうしてこんなことになってしまったのだろう。

「珈琲を淹れたのは誰かしら。社長自身か、小夏さんかもしれない」

「珈琲豆は今日、黒部くんに補充してもらったけど……、まさか黒部くんが毒を?」

 皆矢継ぎ早に喋った。現実感がない。妙にハイになっているのかもしれない。

 しっかりしなければ。カギがかかっていたからといって、ここが安全な場所だとも限らない。

「わからないわ。ひとまず、外部の第三者がここにいるとも限らないから、念の為九十九塚さんと桐文字さん、私と青山さんとで二人組になって行動しましょう」

 今ここには女性しかいない。一人で行動するのは危険だ。

「二手に分かれて、黒部くんと小夏さんを探します。それと、警察に電話をお願い! 判断を仰ぎましょう!」

 これから待っている社長不在の業務の引継ぎ。それすらどうでもよかった。自殺は考えられない。

 誰かが社長に毒を盛ったのだ。

 一体、誰が? 何のために?



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