第3話 珈琲は月の下で②

大迫小夏 -2-



 コーヒータイムになった。小夏は珈琲が苦手なため、紅茶をもらった。

「美白さんとはどこでお知り合いになられたんですか?」

 オフィス内に仕切られた簡易的な休憩室。ソファはとても上質で、腰の形にフィットし、いつまでも座っていたいと思わせるものだった。フットマッサージャーの試作品を試してほしいと言われ、丁重にお断りをしたのだが、何故か今はその機械に足をゆだねていた。ヒールで歩いた日々の疲れが、ほぐされていくのがわかった。恍惚の表情を浮かべてしまう。

「きもちよさそうですね」

 愉悦の声が小夏の口からこぼれ出ていた。

「……はっ。す、すみません、これ、やばいですね」

「いいでしょ、これ。これに、弊社のリクライニングチェアを抱き合わせて販売して、カフェにも卸そうかと思っているの。回転率は下がるけれど、そこは時間で料金を取れば採算とれるでしょ?」

「寝ちゃいますね。映画館にあったらいいかも」

「あ、そのアイデアいただき。映画は終わったら皆席立つし。客入りの少ない映画館の部屋を借りて、広々としたお昼寝スペースとして売り出すのも有りかも。ちょっと営業かけてみようかな~」

 コーヒータイムはアイデアの宝庫だ。夢や空想の類も、こうしてビジネスに結び付けることができる。行動力の化物がいる会社は強い。彼女たちがこの会社を支えているのだと実感できる。

 最初は女性だけの空間なんて、ぎすぎすしているのだと思ったが、ここはあくまでオフィス。さばさばとしている女性が多く、つまらない詮索をしてくる人はいなかった。

 小夏の言葉遣いも自然とラフになっていく。

 社長が浮気をしているとしたら、ここのオフィスの中の誰かだが、怪しい素振りは見えない。というよりは、みんな怪しいと言ったところか。

「で、小夏さんは、社長のどういうところが好きなんですか?」

「え?」

 と思ったらすごいタイミングで質問がきた。

「わざわざこんなところに単身乗り込んでくるなんて、あからさまにあやしいじゃないですか。しかも奥様がいないときなんて、ねぇ」

「ちょっと茜! そうやって無理に聞くと、返って何も話せなくなるじゃないの。えーと、こういう時社長はなんて言ってたかしら。ブラジルナッツ効果? チョコレート効果?」

「ブーメラン効果ですよ! 尾藤さん。「ブ」、しか合ってないじゃないですか」

「それに、『チョコレート効果』はお菓子です」

 北風と太陽みたいな話だろうか。それか、自分の行いは自分に返ってくる、みたいな話?

「悪いことは言わないから、社長はやめておいたほうがいいですよ、小夏さん」

「だから、違いますってば」

「社長って面食いだから、可愛い子見るとすぐに声掛けますよ。よくこの別荘に呼ぶんですよ。それで、部屋に呼び出すんです。『珈琲を淹れてくれないか』。『珈琲の淹れ方で性格判断ができるんだよ』、みたいなこと言い出したらもう、ビンゴです」

「奥様に言おうか、どうしようか。いうのは簡単なんですけれどね。もう、傍で働いている私たちからしたら日常茶飯事なんですけれど、社長はコミュニケーションだって言うし。私も強く言えないんですよねぇ」

 この中に浮気相手がいるかもしれない。簡単に信用して、美白から依頼されたとか、浮気の証拠をつかむために来ただなんて話をするわけにはいかなかった。

「あら怖い。満月の夜の狼男に襲われちゃったりして」冗談めかして話を逸らしてみた。

「小夏さん、可愛すぎて、私が手を出しちゃいそう」桐文字さんが頬に手を当てて目を閉じた。「ね、ちょっとだけでいいから、ハグしていい? 腰細すぎ!」

「桐文字さんカッコイイから……、迷っちゃいますね」

「お待たせ―!」

 九十九塚がオフィスに戻って来た。

「みんな、手伝って。荷物をテラスにあげるわよ!」

「えー、九十九塚さん。今良いところだったのにぃ」

「へぇ。桐文字さん。お肉いらないんだ?」

「さ、早くいきましょう皆さん! 仕事はオフとの、メリハリが大事なんですから!」

 瞬きの間に桐文字さんは部屋の外に飛び出した。後を追う。

 部屋を出ると、廊下の先の方にボストンバックやリュックサック、トートバッグやクーラーボックスなどがいくつも置いてあった。

「九十九塚さんがBBQの荷物をまとめていたんですか?」

「そう。そこの廊下の突き当たりが倉庫なの。必要なものはあらかじめまとめておいたんだけど、一応チェックしとかないとね」

 さっき居たオフィスを出て左手に玄関。その角を左手に曲がって、突き当たりが倉庫。倉庫と玄関のちょうど中間あたりに、屋上へ向かう階段とエレベーターがあった。

「テントや鉄板やら、運ぶものが多くて。みんなで運んじゃいましょ」

「社長は? 黒部くんは? こういうときに男手が必要なんじゃないですかぁ?」

 青山がふてくされた。「そういえば黒部くん、どこにいったんだろ?」

「倉庫にはいなかったんですか?」

「えぇ。珈琲豆の在庫が1袋減っていたから、社長室に補充しに行ったのは間違いないんでしょうけど」

「黒部くん探すのは後でいいでしょ。さっさと運びましょ」

 九十九塚、青山、尾藤、桐文字と小夏。計5人で荷物を運んだ。倉庫の前のテーブルに置いてあった、パンパンに膨らんだリュックサックも、背負うとそこまで重くはなかった。

「リュックサックにはね、重いものほど上の方に入れた方がいいの。重心との距離が近くなって、持ち運びやすくなるのよ」

「さっすが九十九塚さん! 私たちが荷物運びしやすいように、積み替えてくれたんですね!」

 桐文字が九十九塚をヨイショしていた。

「あなたが用意していたお肉は半分、倉庫の冷蔵庫に置いてきたけどね」

「買いすぎ」と尾藤。

「食いすぎ」と青山。

「言いすぎ!!」と桐文字。

「まぁ、なくなったらまた取りに戻ればいいでしょう?」

 備え付けのエレベーターは狭く、大人が三人入れば窮屈だった。荷物を含めて二人がやっと。何往復かして、荷物を屋上テラスに運び終えた。

 テラスの床の円形窓の上に置くと下のオフィスから夜空が見えないということで、窓を避けて、テラスの隅に荷物を置いた。

 屋上テラスは屋根がなく、先ほどオフィスから見えた夜空の中に、真ん丸の月が浮かんでいた。

 屋上テラスの床からは、社長室とオフィスがちらりと、あの例の円形の窓から覗き見える。社長が身振り手振りで誰かと会話しているのが見える。

「ずいぶんと風通しのいい、オフィスですね」

 屋上は風が気持ちよかった。さきほどは空の色と混ざり、透明に近かった月は明度をあげていく。月の輝きを際立たせるためにか、夜空はどんどん暗さを増していた。

 壁という壁はあるが、ちらほら穴があいているため、人の目に触れる機会が多い。誰かに見られていると思えば、行いもきちんとしたものになる。そういう意味でも風通しがいい。

 こんなオフィスで人の目をさけて逢引きとか難しくないだろうか?

「人の顔色を見る時間がもったいないって、社長はよく話すの。ビジネスは刻一刻とチャンスを逃しているって。いくらでも休んでいいし、サボってもいい。ただし、自分が最高に仕事ができる状態に管理しろってね。皆言いたいことは言うし、仕事とプライベートは別。相手が何を考えているかを考えるのは、その相手に任せろって」

「まぁ、あくまで仕事上のことよ。プライベートだったら、私だったら、社長みたいなアブラギッシュ&エネルギッシュなおじさまのナンパはノーサンキューだしー」

「だから、社長が可愛い女の子に話をかけることは、『社長が最高に仕事ができる状態にすること』を満たす要件になっているって、私たちにもわかっているから、尚更注意しにくいのよね~」

 それはただ単に社長にとって浮気を正当化しているだけに過ぎないのではないか、と小夏は思った。部外者だからだろうか?

「ほら、そういう腹を割った話は、お腹を満たしながら話すのがいいと思うんだよね!」

 桐文字が、リュックの中の荷物を取り出しながら言う。小分けになった小袋に、料理道具が綺麗に分けられていた。九十九塚の几帳面さが垣間見える。

「あ、そういえば桐文字さん。薪は買ってきた? 倉庫にもなかったけど」九十九塚がカバンに伸ばした手を止めて言った。

「え? 薪? 薪は黒部くん担当ですよね?」

「なーに言ってんの。良い肉は良い炭で焼くんだって、言い張ってたじゃない」

「あれ? そだっけ?」

 桐文字は手にした荷物をボトッと落とした。言葉にしなくても、顔が「ガーン」と語っていた。

「薪が無いならお肉は焼けないわね」

「お肉が焼けないならBBQは中止ね」

「はい、かいさーん! おつかれさまでしたー!」

「ちょ、ちょっと!! な、なんとかなりませんか……!」

 この別荘まではバスでやってきて、帰りはタクシーを手配していた。小夏には移動手段がない。薪が売っている大型のホームセンターはここから車で2~30分ほどかかる。

 車を持っているスタッフの誰かが買いに行くしかないだろう。

「しょうがないわね。私が車でひとっ走り、行ってくるわ。今日車で来てるの私だけだし。みんな、それまで待てる?」

「尾藤さま……! 女神……!!」

「桐文字さんは、代わりに私の仕事、やっといてくれる?」

「なんなりとお申し付けください!!」

「ごめんね、小夏さん。薪がないと何にもできないから、1時間くらいかな。下で時間を潰していてくれる?」

「わかりました」

 皆、ぞろぞろと下に降りる。

 小夏は一人残って、テラスの床に空いた窓越しに社長室を見た。

 パーティーで一度だけ会った社長。

 社員から、浮気をしていそうな言質は取った。あとは決定的な証拠。それももうすぐ。手に入るだろう。

 オンライン打ち合わせ中の社長と目が合った。手を振られたので、小夏も軽く会釈で応える。

 月の周りの光が、暗くなっていく夜の黒色との境目をぼやけさせていた。

 運んだ荷物をひとまずそのままにして、オフィスに戻った。



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