第2話 珈琲は月の下で①

 ◆登場人物


 香嶋裕大(こうじま・ゆうだい)・・・・ぎざタウン社長

 呑鳴美白(のみなき・みしろ)・・・・社長夫人


 九十九塚佳織(つくもつか・かおり)・・・・スタッフ

 尾藤萌果(びとう・もか)・・・・スタッフ

 黒部星夜(くろぶ・せいや)・・・・スタッフ

 青山茜(あおやま・あかね)・・・・スタッフ

 桐文字気泡(きりもんじ・えあろ)・・・・スタッフ

 大迫小夏(おおさこ・こなつ)・・・・モデル


――――――――――――――――――――――


 大迫小夏 -1-


 小夏は緊張して顔が強ばっていないか、手鏡で確認した。

 多少固いが、人見知りだということにしておけば問題ない。

 一応タレント活動もしている身としては、今日のミッションは「女優」になったときの予行練習だと思えば、罪悪感は薄れてくるかもしれない。

 緊張の原因。それは、都内に数十店舗を展開しているアーバンマルチショップであるGIZATOWNの社長、香嶋裕大氏の別荘に招待されているから、と言うだけではない。彼に気に入られて、テレビCMに抜擢されないかな、なんて夢を見ている訳でもない。

 彼の浮気の証拠を掴む。という任務を社長夫人、美白から依頼されているからだった。

 美白は小夏の事務所の先輩の友人だった。

 GIZATOWNのレセプションパーティーで美白と小夏の共通の友人の紹介により、オフィス兼別荘、『縁の海(ムーンエッジ)』に招待されることになった。という。星空を見ながらBBQパーティー。奥様の目を離れた場所で社長が小夏に手を出して来たらアウト……、録音して証拠を持ち帰るオシゴトだった。

 愛妻家で知られる社長、そういう人こそ裏がある。何より、社長夫人である美白の女のカンが告げていた。弱みを握るのは早い方がいい、とも。

 オシャレな別荘で月が見てみたい! と言っただけで、すぐに会う機会が用意されるなんて。

 小夏は自分の可愛さに自信があった。必ず、美白に良い報告を持ち帰ることができると確信していた。

「もし浮気していなかったとしても、私としちゃうかもしれないじゃない?」

 社長を陥れている罪悪感を薄れさせるために、言い張ることにした。自分は悪くない。もし悪いとしたら、奥様がいるのに手を出す旦那の方だ。そうに決まっている。

 玄関に着くと、センサーライトがついた。カメラから声が聞こえる。

「いらっしゃい。大迫小夏さん、ですよね?」

「はい。すみません、仕事で遅くなってしまって」

「いいえ。お仕事おつかれさまでした。どうぞお入りください」

 ぎー、かちゃり。と音が鳴って、カギが開いた。おずおずと鉄の扉を開ける。玄関には誰もいなかった。遠隔で開くカギのようだ。

 玄関から見るとL字型の廊下だ。前方と右手に廊下の続きが見える。

 前方の廊下のドアから、こっちこっちとまねく手が見えた。

 屋内は土足のまま入れるようだった。服に合うミュールを選んできて正解だった。そのまま導かれるままに扉を開けた。

 その途端、向こう側から誰かが飛び出してきて、小夏にぶつかった。

「きゃっ」

「あっ、……すみません」

 小夏の方を見もせずに、廊下の奥に走っていった。


「大丈夫? いらっしゃい」

 部屋の中から短髪で、カジュアルな臙脂色のジャケットのカッコいい女性が現れた。

「ようこそ。私は桐文字。ごめんね。まだBBQは準備途中なの。ここで待っててね」

「あ、はい」

 オフィスは広い。ソーシャルディスタンスなのか、広いオフィスには机が6つしかない。

「ここはオフィス兼別荘だから、ぎっちぎちに働こうって感じじゃないんだ。ほら、見て。すごいでしょ?」

 彼女が上を指さした。天井を見上げると、そこには暗くなり始めた空が映っていた。否、映っているというより、そのままの空が見えた。

「えっ、うそ。すごい……」

 天井に大きな窓が空いていて、そこから夜空が一望できるのだ。

 天井に直径1メートル大ほどの丸い窓が数個、まばらにあって、その円の中から空が垣間見えるという様子だ。

「屋上がテラスなんだけどさ、天井の一部を強化ガラスにして、ここからでも星空を眺められるようにしたんだ。社長の趣味で」

 まるで、天井に大きな穴が空いているようだった。

 天井だけでなく、空から天井、天井から床までの直線上にも穴が空いている。床に円形のガラスが張られ、下の土まで見えた。壁のあちらこちらにも丸い穴が空いていた。

「あの、これは……?」

「それは、『隕石の通り道』って、社長は呼んでいます」

 背中を向けていた椅子が回転して、栗色の長い髪の女性が微笑んだ。髪が揺れ、良い香りがこちらまで漂ってきた。彼女の微笑みに、小夏は少しドキッとした。

「はじめまして。私は九十九塚です。社長の月のうんちくを聞きすぎて、耳にタコができた社員の一人。この小さな穴、月からの隕石が通った道なんですって」

「月からの隕石が落ちてきたら、こんな小さな穴じゃ済まないって、ねぇ?」

 肩までの赤い髪が特徴的な女性が頬杖をついて悪態をついた。

「あ、私は青山茜。よろしくね。小夏ちゃん」

「オフィスっていうか、インスタ映えするスポットですね」

「そうねぇ。今日は満月だから。悪い狼男が出てきちゃうかも」

 九十九塚が何かをたくらむような悪い顔をして笑った。両手を開いて、おばけのようにわさわさと動かす。

「ハロウィン、もうすぐですもんね」

「えぇ。トリックオアトリート! お菓子をくれなきゃ、いたずらしちゃうぞ!……なーんて」

「私はお肉ください。特上でいいですよ」

 桐文字が満面の笑みで言った。「桐文字にお肉渡さないと、いたずらが怖いわね」

「今日のBBQはキリちゃんがお肉担当だから、大丈夫でしょ」青山は頬杖を崩さずに言った。

「で、そういえば黒部はどこに行ったの?」

「さっき、社長室の珈琲豆、ちゃんと補充したかって確認したら、慌てて出て行ったわよ」

「入口でぶつかっちゃってごめんなさいね。黒部って慌てると周りが見えないの。後できちんと注意しておきますので」

「いいえ、お気になさらず。……でもいいんでしょうか。こんな素敵な場所での、社内BBQパーティーに部外者の私がお呼ばれしてしまって」

「いいのいいの。奥様が体調不良で休みだから心細いかもだけど、ゆっくりしていってね」

 美白は仮病で今日休むという。「私がいない方が、彼が羽根を伸ばせるでしょう」と。

 小夏はそれに少々困惑していた。ただでさえ見知らぬ土地に初めて会う人々の中。美白という見知った人がいない中、愛想笑いを続けるのは苦痛でしかない。

 せめて、女性ではなく男性がいた方が場をコントロールできるのに。男性の考えは分かりやすいから。

「香嶋社長は今、どちらにいらっしゃるんですか? ご挨拶に伺いたいのですが」

 女性三人が目と目で合図を送りあう。九十九塚が口を開く。

「今社長はクライアントとオンライン会議をしているんです。申し訳ありませんが、もう少しお待ちいただけますか?」

「あ、そうなんですね。お仕事中にすみません」

 小夏は胸をなでおろした。任務は少しの間お預けのようだ。

 入り口のドアが開いて、ポニーテールの小柄な女性が入って来た。

「あ、九十九塚さん、ちょっと」

「あぁ、アレね。今行く」

 九十九塚と入れ違いにやってきた小柄な女性は、眼鏡を直した。小夏と目が合う。

「あら、いらしてたんですね。挨拶が遅れて申し訳ありません。私、尾藤と申します」

 ふと、このオフィスには女性が多いと思った。今のところ全員女性としか話していない。浮気相手の容疑者が、4人。

「大迫小夏です。お招きいただきありがとうございます。なんだか、こちらのオフィスは女性の方が多いんですね」

「えぇ、この会社の前身は古着屋でした。本店支店と合わせれば、現在は男女比がそこまで気にならないほどになりましたが、このオフィスはたまたま女性が多いですね。男性は……今は席を外していますが、黒部くんと社長だけです」

 見知った仲ならいざ知らず。

 見知らぬ人の中で女性だけというのは、とても窮屈に感じられた。

「さ、遠くまでこられてお疲れでしょうから。珈琲はいかがですか?」





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