第四章『サヨナラ、小さな罪』
問題編
第1話 ようこそ、小さな罪
鉄扉を開く。開くということは、開店しているということだ。
たまに閉まっているときもある。店主も四六時中、店にいるというわけではないのだろう。
商品開発とか、いろいろあるだろうし。
エアーカーテンと除菌アルコールなどの簡単な設備を抜けて、体温を計って基準を満たした人のみが先に進める。
全ての人に平等に死が降りかかっているのだから、僕らはこの禍に対して思うことは特になかった。殺人鬼が街を歩いているのと何ら変わらない。死はいつも通りすぐ傍にいて、頼りない生のロープの上を渡っているに過ぎない。
いつものように螺旋階段を下りていくと、見慣れない男がカウンターの前の席にノートPCを開いて座っていた。
店に入る前の店内の在席カウンターは「3」を表していた。店内にいる人間の数を表している。店主である『最強』と、僕。もう一人は誰だろうか。
「おぅ、『怠惰』。いらっしゃい」
「あ……、こんにちは」謎の青年が、消え入りそうな声で話しかけてきた。
茶色の、耳までかかるくらいの髪の、眼鏡をかけた男。声はおどおどしていて、自信の無さがにじみ出ていた。こういう、気弱なプレイヤーはここには少ない。
しかし、見たことのないプレイヤーだった。
「今日はまだ『溺愛』は来てないな」
「あぁ、GPSを追っているって分かったから、そっちの携帯は念のためデータ消して、すれ違った誰かのバッグに入れてきた。今日一日はまけると思う」
僕はもう一つのスマホを見せる。
「『溺愛』対策は万全みたいだな」上半分の顔を隠した店主は、口元だけで苦笑いを表現した。
「で、これ、だれ?」
「新入りだよ」
「あ、あの。『グリード』って呼んでください」
「グリード……、『強欲』?」
僕自身が『怠惰』の名を冠しているから、七つの大罪の名前くらいは頭に入っていた。気弱な青年の名前が『
「七つの大罪友達が増えて良かったな」
「いらんわ」
七人の仲間を集めて、冒険に出たりはしない。
「で、新入りということは? 納品したの?」
トリックルームのゲームに参加するためには、最低一つ、事件を「納品」しなければならない。手を汚さずに血塗られたゲームに参加することはできない。これはどのプレイヤーにも平等に課せられる最低限のノルマだ。
当然、僕もそうだ。
探偵役になるためには、一度殺人犯にならなければならない。
きちんと警察から逃げ切った、いっぱしの殺人犯に。
「それなんだがなぁ。納品をする前に、彼は悩んでいるんだよ。この作品が、本当に面白い作品なのかどうか」
「え?」
産みの苦しみってやつだろうか。確かに、書き手の中には、そういう類の苦しみがあるのは聞いたことがある。
自分の作品が本当に面白いのか。人に見せるほどの物なのか。書く手が止まり、今まで書いていたものが全て、色あせて見える。こんなものを見せるくらいなら、消して、もう一度作り直した方がいい、みたいな。
「でも、もう人を殺しちゃったんでしょ?」
「まぁ、はい。でも……」
「より良い作品を納品したいと思う、作者の鑑じゃないか。こいつは大物になるぜ」
店主は相変わらずにやにやと、何が面白いのか笑っている。
「納品することに何かリスクがあるわけじゃない。何なら既に人を殺している時点で大きなリスクを負っていて、警察に捕まっていない時点でそのリスクは回避している。とりあえず納品しておけばいいんじゃないの?」
「はぁ。ですよね。……うーん」
ま、ここに納品するのは、他の誰かに試し読みしてもらうわけにはいかない、ある意味一発勝負なところがある。それに、最初の作品であるなら、少しでも体裁を整えたい気持ちもわからなくはない。が、だ。
こういう迷いは、人を殺す前にしておくべきだと思うのだが。
やっぱ無し、今の無し。で、セーフになるものではない。下手をすれば警察に捕まって、プレイヤーになる前に人生がおじゃんだ。
「あ、あの。『怠惰』さん。すみませんが、僕の作品、読んでみてもらえませんか?」
「は?」
眼鏡の奥に見える彼の眼は、本気だった。
「納品前の作品を読む行為を、俺は止める権利を持たない。好きにしな。しかし、読んだ時点で、それを納品することになっても『怠惰』は事件の関係者となるから、「ゲームに挑戦」することはできない」
店主がルールを説明した。
あくまでも店の「ルール」に則れば、そうなるだろう。
僕はゲームに挑戦するのは一か月に一つと決めているので、まぁ、中途半端な謎に挑戦するくらいなら、試し読みをしてあげてもいいっちゃあ良いが。
「読んでくれないなら、消します」
「読むって!」
十分、彼もプレイヤーとしての素質があるように思える。『強欲』の片鱗を感じた。彼にも何か、自信のない自分を消し去ってしまえるほどの強いこだわりがあるのだろう。
譲れない何か。
他者を殺してまで表現したい何かが。
それが、表現者としての自分なのだから。その気持ちのままに、納品してしまえばいいものを。
「ただし、一つ条件がある。僕がこの物語を解いたなら、それをそのまま「納品」すること。僕は、それに対して正当なレビューをする。事件関係者だが、そこまでは面倒を見る。問題が解けるということは、悪問ではない、という証明になるだろうから」
「は、はい。ありがとう、ございます」
『強欲』はノートPCの画面を見せた。
「んじゃま、極上の謎、と言えるかどうか。いただきます」
問題は、全部で三篇の物語があるようだ。
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