第2話 サンダルでダッシュ!

◆登場人物

 墨河(ぼくかわ)

 硯(すずり)

 筆入(ふでいり)

 半紙(なかがみ)



 久しぶりに友人たちとスーパー銭湯にやってきた。しばらく人と会うのを避けてきたから、羽を伸ばす意味でも、足を伸ばせる風呂に入ることができたのは有意義だった。

「お前、しばらく会わない間に痩せたんじゃないか?」

 先日会った時の硯のお腹はぽっこり出ていた。だが、さっき風呂で一糸纏わぬ姿を見たが、飛び出ていたお腹は凹み、うっすらと割れ目ができていた。

「あぁ、ストレッチと筋トレを少し始めたんだ。食事も少し見直した。目に見えて痩せていくのがわかって、楽しいぞ。お前らもやってみたらどうだ」

「最近やっとビールのうまさがわかってきたんだ。一日の仕事終わりの一杯は、やめられねぇよ」

 鏡の前で髭を剃りながら筆入が言う。

「でもな、腹が出ると、そうやって立ったまま靴下履くのも大変になるんだぜ、半紙」

 片足立ちでのろのろと靴下を履く僕を、硯は嗜めた。そうなれば僕はどうやって靴下を履けばいいのだろう。

「あのグータラな硯がこうなるなんてな。好きな女でもできたか? 話してみろよ……あっおい!」

 墨河が叫んだ。脱衣所で出すには大きすぎる声だった。さっき出ていった人の後には、僕たち4人が最後の客だったから、誰かに怒られるとかはないだろうけれど。

「どうした?」

「俺の財布がなくなってるんだよ。お前らのは無事か?」

「まじかよ。……ないぞ」

 筆入は髭を剃るのを途中で中断して荷物を確認した。僕も確認してみたが、持ってきていたはずの財布がなかった。

「さっき脱衣所を出た奴が怪しいぞ! おい、いくぞお前ら!」

 墨河が脱衣所を飛び出した。財布以外は大した貴重品もなかったので、僕たちは墨河を追いかけた。

 脱衣所を出たすぐのところで、泥棒を追いかけたはずの墨河が立ち往生していた。

「な、なんじゃこりゃあ……」

 脱衣所の前に脱いでいた僕たちの靴がなくなっていて、代わりに違う履き物が置いてあったのだ。

 サンダル、足つぼサンダル、スリッパに下駄。4つだけだった。

 誰かが間違えて僕たちの履き物を持っていってしまったのだろうか。

「どうする?」

「どうするもこうするもないだろ。裸足では走れない。でも追いかけないと!」

 硯は一番に廊下へ飛び出した。筆入と目があった。僕はうなずいた。筆入も後を追う。

「ちくしょう。行くっきゃねぇか! 財布を取られちゃさすがにまずい!」

 墨河も走り出した。僕は最後に余った履き物を履いて、後を追う。

「すごいな、硯。お前それ、痛くないのかよ!」

「全然! 俺は健康だからな!」

 俺だったら、絶対痛いわっ! という筆入の笑い声が前方で聞こえる。二人はあっという間に先へ行く。走りながらも冗談を言うくらいには、二人はまだまだ現役という感じだ。硯と筆入は元陸上部だ。帰宅部の僕と、映画部の墨河は追いつける気がしなかった。もう、どちらかが犯人を捕まえてくれればいいと思って、若干ペースダウンしているくらいだ。一応建前上、追いかけているだけに過ぎない。

「くそっ、めっちゃ走りづらいわ、これ!」

 筆入が走るたびに、カンカンと音が鳴っていた。

 深夜のスーパー銭湯。駐車場まで走って来た。駐車場は人がいなくて静かだった。硯と筆入の足音だけが遠くで聞こえた。

「イィいいいいいっ!!」

 筆入の叫び声の後に、誰かが倒れたような音が聞こえた。

「グレーチングに引っ掛かったか。危ねぇ危ねぇ。俺は先行くぜ〜」

 道路の側溝の鉄網部分、グレーチングに足を引っかけて転んだようだった。筆入は転んだ姿勢のまま動かない。駆け寄ろうかとも思ったが、僕も墨河同様、彼を追い越して、先に行くことにした。

「なんだ……これ……」

 広い駐車場を端から端まで走り回って、駐車場の奥で座りこむ硯を見つけた。

「脱衣所を出たところで人影を見たんだ。無我夢中でそいつを追いかけたら、こんなところに……」

 駐車場の自動販売機の脇に置いてあるゴミ箱のなかに僕たちの財布が乱雑に捨てられていた。中身を確認したが、きちんとお金も入っていた。

 それよりも不思議なのは、そのゴミ箱の中に、僕たちの靴も捨てられていたということだ。

「わりぃ、足痛くて休み休み、歩いてきたわ。ここにいたのか。おい、半紙、お前」

 僕の後ろから墨河が現れ、僕を指差した。

「え。何かついてる?」乱れた服を見やる。

「お前、せっかくあの履き物譲ってやったのに、脱いでるじゃねぇかよ」

 僕は笑った。

「なんだ、そんなことか。いや、ちょっと走って暑くなっちゃってね。でもほら、ここに僕たちの財布も靴も見つかったからいいじゃない。ねぇ、もしよかったら、汗かいちゃったし、また風呂に入り直さないか?」

 荷物を脱衣場に置いてきたままだったし、出る時に事情を説明しておいたから、もう一度銭湯に入ることは訳ないだろう。風呂に入る前よりも僕はびっしょりと汗をかいていた。

「あー、俺は足首が痛いね。これは長距離走るような履き物じゃないんだよ。こんなことならあいつより先に、ビーチサンダルを履いてくれば良かったぜ」墨河が愚痴をこぼす。

「そういえば、筆入は? 俺の後ろを走っていただろ?」

 硯が靴を履き直して言う。

「あぁ、あいつならさっきそこで派手に転んでたぜ」

 墨河の説明に僕もうなずいた。

「そういえば、遅いね。風呂に行くついでに、様子を見に行こうか」



 彼は、筆入は、倒れたままの姿勢で、道路に冷たく横たわっていた。急いで救急車を呼んだが、彼らが到着した頃には脈が止まっていた。

 転んで頭を打って、死んだ。額から見えないくらいの血が流れていた。

「こんな……ことって……」

 もう、お互いがお互いのことを尊重しあう、仲のいい4人で遊びに行くことはできなくなるのだろうか。

 グレーチングの中から冷たい風が吹いて、裸足の肌を撫でた。寒い。もう一度風呂で温まりたいだなんて冗談を言っていられる状況じゃなかった。




[完]

[推理編へつづく・この時点でもある程度の推測は可能です]

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