トトロの森の迷い道
三ツ葉
トトロの森の迷い道
大人になった今でも、よく母からは「お前は小さな頃、トトロに育ててもらったんだよ」と言われることがある。
と言うのも、幼少の私が泣きじゃくったりぐずついたりしていると、母は決まってビデオテープで録画したアニメ映画『となりのトトロ』を見せていたからだ。
他の番組ではなかなか泣き止まない私も、不思議なことにトトロを見ている間はおとなしくしていたという。「家事に集中したい時はトトロに助けられた」とは母の談だ。
成長した後に何度か見る機会はあったので、映画の内容自体は後から補完されているが、ブラウン菅の箱型テレビに粗い画質で映し出されるトトロや、人形が踊るカステラのCMはぼんやりと記憶している。
好きなジブリ作品を三つ挙げよとお題を出されたら、おそらくほとんどのファンがそうであるように『千と千尋の神隠し』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』を選ぶ私であるが、それとは別に『となりのトトロ』は自分の中で深く根を下ろした映画になっている。
だからだろうか。
所用で埼玉県所沢市の西武球場近くを訪れた時に、駅前の案内板で『トトロの森』という場所が近くにあることを知り自然とそちらに足が向いた。
その名前を聞いてパッと頭に思い浮かんだのは、トトロが巨大な木の上でオカリナを吹いているシーンだった。あのようなうっそうとした森が今も郊外都市に残されているのだろうか。
なだらかな傾斜が続く道を歩いて行くと、住宅地に囲まれて広がっている森が現れた。グーグルマップによると、あの森が『トトロの森』であることに間違いはない。離れた場所から眺めると海にポツンと浮かぶ孤島のようにも見える。
道路の上に架かる鉄橋を歩いて森の中へ踏み込んでいく。森の入り口が暗いためか、得体の知れない生き物の腹の中に入っていくかのような恐さもあった。
ところがいざ入ってしまえば、森は木漏れ日が差し込み優しい光に溢れていた。深呼吸をすると、先ほどまでいた場所とは別世界に思えるほど空気が澄んでいるのを感じた。
さくさく、と土を踏みながら気分良く森の道を歩いていく。
道の両側には雑木林が広がり、次々と木の種類が変わっていくのが面白い。また、見つかるのは木々ばかりではなかった。
小さな段々畑
木の橋がかかった小池
鳥居に蜘蛛の巣がかかった古い神社
犬のような形をした木の枝
歩けば歩くだけ、そこに新しい発見がある。子供時代に夏休みに帰省した田舎で、探検をしている気分になった。
ふと、道の脇に人一人がどうにか通れるような、細いけもの道を見つけた。そちらに進んで行くと、緑のトンネルを潜っているかのようだ。『となりのトトロ』でメイが中トトロと小トトロを追いかけて、茂みの中をかき分けていくシーンを思い出した。
私にもトトロが見えないかな、と子供のように考えながら歩いていると不思議なことが自分の身に起こった。
だんだん、周りの木々が大きくなっていくのだ。
木が急激に成長しているわけではない。私の背が低く、小さくなっている。
地面がやけに近く感じる。さっきまで目に入ることもなかった草陰の虫や、木の幹を這うカタツムリが見えるようになった。
木の葉がざわざわと風に揺れる音が大きく聞こえてくる。森が騒がしくなった。
私はこの光景を知っている?
初めて訪れるはずの場所なのに、なぜだか懐かしさがこみ上げてきた。そう、ちょうど私がこの小さな背丈であった時に、どこかで見たような——
キンコンカンコーンと付近の学校からチャイムが聞こえ、ハッと我に返る。
気がつけば、私は無駄に成長してしまった高い背丈に戻っていた。ざわついていた森も静かになった。
一体、今の感覚はなんだったのだろうか。私はどこに迷い込んでしまったのだろうか。
来た道を辿り、また元の場所に戻ってきた。けもの道に入ってからなんだか短い夢を見ていたかのようだ。
私は不思議な感覚を抱えたまま、森の散策を再開するのだった。
さて、一瞬だけでも子供に戻ることができた恩恵か、私はこの日トトロと出会うことになる。
誰かが作ってそこに置いたのだろう。記念碑の上に、丸どんぐりに顔や模様を描いた可愛らしいトトロがちょこんと乗っていたのだ。
小トトロよりさらに小さいので、小々トトロとでも呼ぼうか。実家に帰ったら「ほんとにトトロいたもん!」と親に報告しようとほくそ笑み、『トトロの森』を後にした。
後日。
実家に帰った私は食卓の席で、『トトロの森』が実在しそこで不思議な体験をしたと両親に自信満々に話した。すると呆れたような口調で「お前は変わらないね」との答えが返ってきた。
「覚えていないかもしれないけれど、お前が小さい頃に所沢のトトロの森に連れて行ったことがあるんだよ。その時もお前は言ってたよ。『トトロいたもん』って」
私はその話に面食らった。
自分がかつて『トトロの森』に行っていたなんて初耳であったし、その記憶も全くなかったからだ。
森の中で感じた不思議な感覚は、幼少期に見た光景が何かの拍子に頭の中で蘇ったからなのかもしれない。
では、私が当時見たと報告したのは今日と同じくどんぐりで作ったトトロだったのだろうか? それとも小さな私は、あの森で本当に何かと出会ったのだろうか?
頑張って思い出そうとするが、霞みがかった記憶に手を伸ばしてもするりと指の間を抜けてしまう。
自分が何も知らないまま幼少期と同じ場所を歩いた偶然がなんだかおかしく、同時にほんの少しだけ寂しくなった。
もうすっかり、大人になってしまったんだな、と。
トトロの森の迷い道 三ツ葉 @ken0520
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます