第4話 まとめ

4.1~3の結果、意味がないのになんでこの風説は有名になったのか?


 ここまで見てきて、義経の水夫射殺作戦は、まず現実的に実行が困難であるし、断行したとしても無意味であるという結論にたどり着いたと思う。

 自分で言うのもなんだけれど、特に大した専門知識が要る考察ではないので、誰でも少し考えれば似たような結果になると思う。


 それなのになぜ、「水夫撃ち」の虚構は、歴史好きでも史実だと信じてしまうほど広まったのか。


 ひとつには、戦前から日本史上の最大の人気者である義経に対するアンチ意識があると思う。

 長く続いた判官贔屓への、カウンター的心理だ。


 もうひとつには、単純に、人気者の意外な落ち度で楽しみたいという欲求もあると思う。

 時折書籍などで現れる、「○○は実は卑怯者だった!」とか「誰も知らなかった意外な真実!」みたいなアレである。


 実際、義経を卑怯だという人は多いのだけど、その根拠のほとんどが風説(今回の水夫射撃とか)か、イメージ(一騎打ちのルールとか)か、創作まがいのエピソード(一の谷の逆落としとか)だったりする。


 あとは、単純に、歴史の偽トリビアって自信満々に言い切られると、けっこう信ぴょう性が出ちゃうんですよね。


■■■


 史料がすべてではないし、もちろん、記されていないことの方が多い。

 でも、歴史上の人物だろうと今生きている人だろうと、やっていないことをやったことにはすべきではないと思う。

 そして、おかしいなと思ったら、少しだけ考察して欲しい。

 会ったこともない他人を、虚構を信じて卑怯者呼ばわりするより、ずっとその方がいいと思う。


 なおバレバレだと思いますが、この文章は、義経大好きな筆者が書いております。

 個人的な感情による細大の偏りがあるかもしれませんが、そこは何卒、ご容赦いただけましたら幸甚であります。


 お付き合いいただき、まことにありがとうございました。


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源義経が水夫・船頭を射たという卑怯戦法は虚構ですが、もし射たらどうなっただろうかの考察 @ekunari

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