第3話
「どれくらい前かは忘れてしまったが、あれは確か快晴の空気の澄んだ日のことだった。俺は姫様の親衛隊の隊長でな。姫様と共に敵軍から逃亡をしていた。すでに我が国は壊滅。親しき国に移るより他無かった。俺はどれほどの重さがあるかもわからなくなるような甲冑に身を包んで、ひと薙ぎで命の消えていってしまいそうな姫様の手を引いていたんだ。実はこの姫様は、俺の幼なじみだった。……ひっそりと姫様への気持ちを抱いていた俺は、不謹慎にも、恋の情熱を逃亡の間隙に感じていた。姫様も悪戯っぽく笑うんだからタチが悪いったらない。俺は嬉嬉として逃げたよ。楽しかった。あんなに甲冑を軽いと思ったことは無い。逃げて、隠れて、やり過ごして、時には立ち向かって。夢のような日々だった。気づいたら俺の他の護衛はもう死んでしまっていた。それも気にならなかった。俺はどこまでも姫様とともに居る。生き延びてやると、それだけを考えていた」
男は清々しいまでの笑みで金色の空を見上げた。その目の中には今語った青い空が見えるかのようだ。
しかし、程なくして男は項を垂れて自分の体から突き出た針を見やった。そして再び語り始める。
「……しかしまあ、そう上手く行くわけもない。国を目前にして、ついに囲まれてしまった。そこには味方だと思ってた国のやつらも混じっていた。流石の俺も絶望というものを感じたよ。何しろ、裏切りなんて夢物語だと思っていたからな。我が国は良い国であったはずだからだ……。しかし同時に怒りを感じた。なぜ我が国に反する。貴様らも世話になったはずだろう、と。だがやつらは耳を貸さなかった。狙いは姫様に違いなかった。俺は、無我夢中で戦ったよ。若草の綺麗な、ひとつの大木の生えた小高い丘の戦いだった。諦めて敵と共にピクニックでもしたいような、快晴と景色。視界の奥には栄えた街が広がっていた。だがそこには届かない。ピクニックも叶わない。ただ斬って、斬って、斬って、斬って。敵はどこからも湧いてくる。若草は赤く染った。場違いにも、戦いの間に姫様には赤い薔薇が似合うだろうと考えていた。その想像は間違っていなかった。俺の真横を石が素通りした時、嫌な予感がしてな。すぐに目の前のやつを切り伏せて振り返ったよ。姫様は頭に投石を受けて、木に寄りかかるようにして座って死んでいた。……穏やかな、死に姿だった。頭には薔薇の花飾りのように、血が弾けていた。綺麗だと、思ったよ。綺麗で、愛しくて。そして決めた。――こいつらだけは殺してやると」
男は瞳の奥を激情に染めた。あろうことか、手近な針を握り込み、考えられないような力でへし折ってしまったのだ。
俺はその時、人間の本当の力を見た気がして思わず身震いした。
しかし男は力なくその針を落として、瞼を閉じて口を開く。
「……まあ、ここにいることが結果だ。姫様を殺しても、やつらはまだ俺に襲いかかってきた。だが怒り狂ってた俺はそれをむしろ好ましく思ったよ。復讐の目標が自分から殺されにきやがる。飛んで火に入る夏の虫。愚かだと思った。戦い続けた。守るものもないのに。殺し続けた。ただ己のプライドのために。しかしまぁ、最後はあっけねぇもんだ。ひとつのミスで死んじまった。意図せず姫様の隣で死ねたのは僥倖だった。最後に、愛した者の隣で死ねたのだ。……だから、俺は今ここにいることに後悔はない。だから、俺は罪を受け入れる」
男は頭をもたげて、そして重力に従って頭を下ろす。ちょうど真下にあった針が男の頭蓋を貫くがそれも意に介せずに。鬼の角のように右の額から針が飛び出る。
「そうだ。正にいまこの位置に姫様に薔薇の花飾りがついていればよいなと思ってたのだ」
「そんな具体的なことをしなくてもいいだろう、痛々しい……」
「そろそろ気でも違ってきたのかも知れんな」
針の山の中でリラックスするように笑みを浮かべる。
「少し眠ろうか」
「よくそんな所で寝る気になるな」
「姫を守る騎士たるもの、何処でも体力を回復できるようにしておかねばなるまい。……まあ家畜の糞の中で眠るよりかは何倍もマシなのでな」
む、それは俺には耐えられそうにない。嗅覚が鋭いのでな。想像しただけで卒倒してしまいそうだ。
俺はまだ話したい好奇心を抑えて男に「お休み」と声をかけようとしたが、しかしひとつの気配を感じた。
「いいや、寝ている暇はないぞ」
「ん? どういうことだ」
俺は顎で空を示す。周りの怪鳥ではない美しい白い鳥がこっちへ向かってきていた。
「閻魔がお呼びだ」
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