物理的に甲子園の魔物を殺しに行く

春海水亭

第1話 栄冠は君に輝く

甲子園の魔物が夜久高校よるひさこうこう野球部を27/28だいたいみなごろしにしてから約一年が経過した。

交通事故で甲子園に出場できなかった九九二八九くぎはく 極強ごくきょう

夜久高校野球部の1/28さいごのひとりになってから約一年と言い換えることも出来る。


「2万8251……2万8252……2万8253……ッ!」

深夜2時、立ち並ぶ街灯と月の光が照らす公園。

野球ユニフォームを着た極強がひたすらに金属バットを振るっている。

野球部が物理的ぶっに壊滅ころされるの憂き目にあい

共に練習する部員なかまも、練習メニューを押し付けてくる監督もいない。

野球部は再生不可能となり、極強は来るはずのないボールに対して

黙々とバットを振るい続けている。


(クソッ!)

心のなかで極強は悪態をつく。

極強は確かに見たのだ。

病院のテレビで夜久高校野球部を嬉々として殺戮する甲子園の魔物の姿を。

それは比喩として呼ばれるような魔物ではない、

はっきりと血と肉と悪意を持った存在だった。

だが、その魔物の姿は極強以外の誰にも見えてはいなかった。


「極強君……甲子園の魔物は実在しないんだよ」

「いや、いたんだよ!アイツはたしかに皆をぶっ殺しやがったんだ!!」

「彼らが死んだのはかつて存在した邪悪暗殺神ダークネスアサシン高校が甲子園に仕込んだ不発罠……

 証拠も出ている。

 確かに辛いのはわかる、裁かれるべき明確な敵が欲しいのもわかる。

 君も現実を受け止めなさい……死んだ皆のためにも……」

「いるんだよ……甲子園の魔物は……!

 アイツニヤニヤ笑ってやがったんだよ……!!」


素振り中は何も考えずにバットを振り続けなければならない、と極強は思っている。

だが、素振りに没頭すれば没頭するほどに、

浮かぶものは実在するはずのないものを実在すると訴える自分の姿が思い出された。

何日も何日も仲間を殺した真の敵の存在を訴え続けた。

だが、その度に返ってくるものは哀れみと優しさだけだった。

甲子園の魔物が存在するという物理的証拠は今でも一切出ていない。


「2万8655……2万8656……2万8657……ッ!!」

甲子園の魔物は幻覚だった。

今ならば、諦めて受け入れることが出来るのかもしれない。

己を心配する大人や学友のために、極強は何度も言ってきた。

「ああ、やっぱり俺の勘違いだ。甲子園の魔物は実在しないんだ」

その度に自身の心がすり減るのを理解しながらも、

心の奥底では、甲子園の魔物が笑って虐殺する姿を思い浮かべながらも、

それでも、何度も何度も極強は言ってきた。


だが、潮時というものがあるのならば、今このタイミング以外に無いだろう。

時は止まらない、来年からは受験生になる。

学校が終われば図書館やインターネットで甲子園の魔物調査。

野球もないのに夜は素振りを続け、存在しない敵に対して牙を研ぎ続ける。

赤点を取らないだけの成績を維持するのがやっとな生活である、

いい加減に将来のことを考え、無意味なことはやめるべきだろう。


「2万9997……2万9998……2万9999……ッ!」

理性では自分のやっていることが何もかもが無意味だとはわかっている。

それでも、何も出来なかった自分が何かをせずにはいられない。

だから、極強は決めていた。

今日の素振り3万回が終わったら、無理矢理にでも甲子園の魔物のことは忘れる。

実際に忘れることは出来ないだろう、だが忘れたフリをして、

普通の高校生らしき存在になってみせる。

何も出来ずに停滞するよりはマシということぐらいは極強にもわかっているのだ。


「さ……」

そして、とうとう極強が最後の素振りを行おうとしたその時である。

「きゃああああああ!!!」

公園に隣接する森林、

街灯も月光も通らぬ真の闇の中から届いた絹を裂くような女の悲鳴を極強は聞いた。

一体何事ワッツハップンか、そう考えるより先に極強の身体は動いていた。


極強にはあらゆる球を見極める最強の選球眼がある。

当然、最強の選球眼は光の届かぬ闇に対しても発揮される。

まるで暗視ゴーグルをつけているかのように、

すいすいと極強は悲鳴のもとに向かった。


極強が辿り着いた先にいた者は、気絶したOLと思われるスーツの女性。

そして、OLを庇うように立っているのは、

黒を基調としたゴシックロリータ風のワンピースを纏った少女だった。

そのワンピースには至るところに鋭い爪に引き裂かれたかのような裂傷があり、

ワンピースだけではなく、少女の白い肌も傷つき、血をダラダラと流している。

風も吹かないのに金の長髪がなびく。

悔しげに口は固く結び、しかし強い目線で相手を睨みつけていた。


睨みつけられた対象とは誰か。

それはまさしく魔物としかいえない存在だった。

体躯は人間ほど、二足歩行で腕は二本。頭も胴体も一つ。

それだけは人間と共通している。

それ以外はまるで人間と違う。

全身に刺青のように公園の遊具が刻み込まれている、

だが、それらはただの模様ではなく、

滑り台やシーソー、ブランコの先端部分などは体の内部から突出していた。

質量を無視しているかのように、

遊具そのものがその肉体に埋め込まれているのである。

そして、頭部。

ジャングルジムやスプリングがプレスされ、

無理やりに一つの球に加工されたようなものがひょいと乗っている。

とても有機的な連結をしているようには思えない、

かといって、首から頭部が離れないように加工されているとも思えない。

乗っているとしか思えないようであるのに、

不思議と首から落ちること無く頭はそこにある。


「甘いなぁ、魔物狩りの少女よ、

 そこの女を見捨ててしまえば簡単に勝てるというものを」

口に当たる部分が開閉し、声がした。

それはまるで虫を無理やり喋らせたかのような無機質な声だった。


「だが、私……公園の魔物にとっては幸運なことだった。

 感謝しよう、魔物狩りの少女よ。

 君を喰らい、そこの女を喰らい、そして……ふふ、どうしてやろうかな」

「……ッ!」

何かを言い返そうとして、しかし少女には何の言葉も思い浮かばないようだった。

ただ、金の瞳で公園の魔物を睨め上げることだけで精一杯の様子である。


「おいおいおい……まじかよ……」

「おや……」

その様子を見て、思わず極強は叫び声を上げる。

全く理解できぬ状況である、

コスプレの変態に襲われているというにはあまりにもその姿が真に迫りすぎている。


「月の綺麗なこの夜に、ツキの無いお客様がまた一人……」

月光も届かぬ真の闇の中、公園の魔物は優雅に一礼をすると極強を見た。

「野球の練習かな、ご苦労なことだね……もうそんなことはしなくていいよ」

そう言って、金属と金属を擦り合わせるような音でふふと笑った。


「やめて!」

新たなる犠牲者の存在に、少女は丸く目を見開き、叫んだ。

だが、その叫びを公園の魔物は聞き届けたりはしない。

「そのバットで抵抗してみるかね、ふふ……

 バットはボールを打つためのものだ、武器なんかじゃあない。

 野球の神がいるならば彼に恥じないように無抵抗で食われるんだね」

勢いよく公園の魔物は極強に向けて、駆けた。

それと同時に、少女もまた走り出した。

脚からは血を流している、

ろくに動きが取れぬように徹底的に脚を攻撃されたのだろう。

ほとんど泣き出しそうな顔で、それでも少女は走り出した。


「ぎゃあああああああああああ!!!!!!」


公園の魔物とは一体何なのか、極強にはわからない。

唯一、わかるのはそのスピードは人間を遥かに超越していること。

そして――時速160kmで投げられたボールよりは遅いということだ。


自身の前に迫った公園の魔物を、

極強はほとんど無意識に自身のバットで打ち返していた。

公園の魔物が悲鳴を上げる。

「30000……ッ!」

当たりは浅い、ゴロですらない。

もしも、夜久高校野球部監督が生きていたならば、無言で首を振り、

夜久高校野球部員ならば、彼をこそ全力で煽り倒したであろう。


だが、これは野球ではない。

野球ではないので、痛みに動きを止めた公園の魔物を二度打っても構わない。


「バットはボールを打つためのものであって……武器じゃない、

 お前の言うとおりだ……だが」


30001と極強は心の中でカウントを行う。

今日の30000回で引退の予定だったが、

結局30001回目に到達してしまった。


「バットが球を打つかお前を打つかは時と場合によるんだよ!!!」


惜しくも交通事故で甲子園出場が阻まれた、九九二八九 極強。

その打率は10割ゆりかごから墓場まで――直球、変化球、危険球、敬遠球、魔球。

全てのボールは彼にとっては絶好球である。


打率10割の野球能力者は、人外存在である公園の魔物を打ち抜き――消滅たいじょうさせた。


「なんだよ!!やっぱ実在するじゃねーか魔物!!」

自分にしか見えないはずの魔物は、やはり血と肉と悪意を持って実在していた。

そして、当然実在しているのだから、殺すことも出来る。


唖然とした表情を浮かべる少女に、極強は言った。

「とりあえず、色々やらないとな……」

気絶したOLの女性であったり、脚を怪我した少女であったり、

放っておくわけにはいかない、ただし逃がす気もない。


この少女は何かを知っている。

極強は確信している。


「まぁ、そのアレだ……落ち着いたら、話を聞かせてくれないかな。

 俺、こういうのぶち殺したいんだよ」


とうとう来た絶好球。

極強に見逃しは無い。

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