29.白龍

 それが来たのは、五日目の夜明けが訪れる少し前だった。

 空はまだ暗いものの、東の方にもうすぐ太陽が現れる。そんな時間。

 大物を撃退したとはいえ、魔王軍の散発的な攻撃が続く中、最初に気づいたのは要塞最上部にいた見張りだった。


「……なんだ、ありゃあ?」


 遠眼鏡を目にした男は、思わず呟いた。戦いが始まってからあまり眠れていない、疲れで目がおかしくなったのかと思ったのだ。


「おい、どうしたんだ?」


 となりで彼の報告を待っている伝令役が聞いてくる。


「やたらでかいドラゴンがこちらに向かってきてる。アーク・ドラゴンの倍。六十ミルくらいの大きさか?」

「おいおい、そりゃ、見間違いじゃ?」


 見張りも最初はそう思った。しかし、何度遠眼鏡を覗いても、それはいる。

 黒い鱗、巨大な体躯。アーク・ドラゴンよりも純粋に大きいだけで無く、鎧でも着ているような分厚い体つきをしているドラゴンだ。

 それと、最初は驚きすぎて見逃したが、更に背後に沢山のドラゴンを従えている。ちょっと数えるのが嫌になるくらい。まるで黒い雲のようにドラゴンが群れをなしている。

 

 自分は知らないが、これは危険な存在だ。


 そう判断した見張りは、伝令役に言う。


「伝令を頼む。六十ミルを超える大型のドラゴンが接近中。更に大量のドラゴンも接近中」

「わかった」


 そう答えるなり、伝令は立ち上がって駆けだした。この程度の情報なら記憶だけで十分だ。

 これが見間違いだろうが何だろうが、対応しないわけにはいかない。

 もう五日目。守護神騎が帰ってくるまであと少し。人類は上手く戦えている。

 後は司令部が上手くやってくれる。


「頼むぜ。あとちょっとなんだ……」


 祈りに似た言葉を呟き、見張りは遠眼鏡を手に、自分の職務へと戻った。


○○○

 

「全長六十ミルのドラゴンだそうだ。どうみる?」


 司令部にて、伝令からの報告を聞いたドワーフ戦士長は目の前の人物に問いかけた。

 

「恐らくですが。ロードと呼ばれる存在でしょう。昔から、存在だけは予見されていましたから」


 落ちついた声音で答えたのは戦支度を済ませたエルフの長老だった。

 見張りでも判断のつかない大型ドラゴンの存在を聞いてすぐに呼ばれたのが彼女だった。

 エルフの長老は強力な魔法の使い手であり、指揮官であり、知恵者だ。

 その彼女をしても、推定で話すしかない存在が、この要塞に近づいて来ている。


「ゴブリン・ロード。オーガ・ロード。魔物達にも王とされる強力な個体が確認されています。故に、ドラゴンにもそういった存在がいるだろうという理屈ですが……」

「つまり、いよいよあちらさんも本気になってきたということだのう。対策はあるかの?」


 追加の報告で、ドラゴン・ロードに付き従うように大量のドラゴンの姿が確認された。

 ディルクラムが消えてから五日目。戦いが始まって三日目。こちらの戦力も備蓄も確実に減ってきている。


「一つだけ。対応できる策があります。……私が出ましょう」


 少しの思案のあと出た長老の言葉は戦士長の予想通りだった。


「……すまないのう」


 一言、そういうと長老は笑みを浮かべて答える。


「いいえ。これこそが、私の望んでいた瞬間ですから」


 そう言うと、長老は部屋から退出すべく、歩き出した。


「すぐに出ます。出来るだけ遠くで迎撃すれば時も稼げるでしょうから」

「こちらも出来るだけの準備は整えておくとするよ。最も偉大なエルフの長老よ」


 一度だけ振り返り、長老は優雅に一礼した。


「お先に行ってきます。勇敢なるドワーフの戦士長。長生きしてください」


 その一言を残し、長老は司令部から姿を消した。


○○○

 

「さて…………」


 要塞の最上部。見張り台で、エルフの長老は一人、遠くを見つめていた。

 眼下では魔王軍との先頭が続いている。今は激しくないが、断続的で、確実にこちらを消耗させてくる嫌な戦い方だ。

 

 これくらいなら、まだ大丈夫。


 そう考え、再び視線を前に向ける。

 うっすらと雲が膜のように張った空の向こう、長老の目でも見ることはできないが、そこにこれまでで最悪の敵がいる。この要塞の見張りは優秀で、魔法具である遠眼鏡の性能もまた間違いが無い。


 ドラゴン・ロードとドラゴンの群れ。目に見える範囲で戦った時にはもう、この要塞は墜とされる時だろう。

 こちらに近づく前に、叩き潰さなければならない。


「……プラエ。今度は私が貴方を守る時です」


 戦装束の中から、一つの装身具を取り出す。

 中央に青い宝玉の収まったそれは、強力な魔法具であり、彼女にとってかけがえの無い物だ。


 これは千年前。最後の戦いの前、プラエからお守りにと貰った魔法具である。

 当時これに込められた魔法によって、エルフの長老は神剣の大地へと辿り着くことが出来た。


 そして、神剣の大地での千年の時間をもって、かつて友人から預かったこの魔法具はより強力な魔法を宿すことになった。


「無数の魔法具を生み出したエルフですら、たった一つしか作り出せなかった奇跡の魔法具。今こそ使う時です」


 静かな、確かな決意と共に、長老は魔法具を高く掲げた。


「さあ! その力を解放する時です!」


 瞬間、青い輝きが魔法具から溢れ出した。

 光はそのまま球体となり。エルフの長老を包み込む。

 現場を見たことのあるものであれば、ディルクラムの光の繭を思い出したであろうそれは、徐々に高く浮かび上がり、大きくなって、ある瞬間に弾けた。


 昼であっても、戦場の者達が動きを止めるほどの輝きと共に、それは現れた。


 

 それは、巨大な爪と牙を持っていた。

 それは、空駆ける翼を持っていた。

 それは、四十ミルを超える巨体を持っていた。

 それは、白い鱗を持っていた。

 それは、気高き意志と決意を示す、瞳を持っていた。


 白いドラゴンが、要塞上空に現れた。


「オォォォオオォォオォォ!!」


 戦場全体を揺らすほどの咆吼が、その白い巨体から発せられた。

 戦場が一瞬だけ止まる。

 人類にはその姿に勇気を。

 魔物達には驚きと恐怖を。

 その圧倒的な存在感を示すこのドラゴンこそが、人類側の切り札だ。


「…………」


 ドラゴンは眼下の戦場から遙か先に目を向けた。

 

 行かねば……。


 その身を巨体へと変じた長老は、自らの役割を忘れていなかった。

 白いドラゴンへと変化するこの魔法具は、来る戦いの時、ディルクラムと共に決戦の場へ赴くのを目的として作られた。


 ……それがまさか、守護神騎を護るために使うことになるとは思いませんでしたね。


 かつて護ってくれた存在を護るために戦う。その事実が、長老の心をかつてなく高揚させていた。

 これから先に待つものがどれほどの強敵だろうと、恐れを感じない。

 この時のために、自分はいたのだから。


 ……後は頼みます。


 声は発さず、思いだけの残して、白いドラゴンは翼をはためかせ、要塞上空から出撃した。


○○○


 白いドラゴンは早い。魔王軍の黒いドラゴンより細身で、頑丈さと引き替えに速度と小回りに重点を置いているからだ。

 とはいえ、それでも四十ミルの巨体だ。内包した莫大な魔力もあって、アーク・ドラゴン程度には負ける気はしなかった。


 要塞から飛び立ち、高速で飛行して数時間。

 妨害するもののいなかった空の彼方、それが見えた。


 ……あれがドラゴン・ロード。確かに大きいですね。


 自身よりも二回りは大きい黒いドラゴンだ。あれが要塞に到達したらただではすまない。

 いや、それ以上に問題なのは、お供のように周囲に群がるドラゴンの群れだ。

 その数は千をゆうに超えていた。


 戦いが続き、疲弊している要塞に、あれを止める手段はない。


 ……ならば、ここで勝負です!


 長老の意志に、ドラゴンの身体が答える。

 体内の魔力が爆発的に高まり、口に向かって昇ってくる。

 息吹(ブレス)だ。ドラゴンのそれは、魔力をともなう強力なある種の魔法だ。

 それを強力な魔法使いである長老が使うことで、より効率よく、強力に運用できる。


 ……次が撃てるかわからない。この一撃で、できる限りを!


 叫びの代わりに、体内の魔力が爆発的に高まっていく。

 強く、もっと強くという思いにドラゴンの身体が答えてくれる。


 ……エルフの力! 思い知りなさい!」


 その心と共に、力は解放された。

 白いドラゴンの口から発されたのは炎ではなく、光だった。

 純粋な殺意と破壊力を乗せた、長大な光の剣のような息吹(ブレス)が、ドラゴン・ロードを中心とした群れに襲いかかる。


 ……もっと! もっと!


 長老は息吹(ブレス)を止めない。ここで出来るだけ数を減らす必要がある。

 力を振り絞り、息吹(ブレス)を続ける白いドラゴン。

 黒いドラゴンの群れはそれを受けて、次々に打ち落とされていく。

 この瞬間、アーク・ドラゴンより少し大きい程度の白いドラゴンが、群れの侵攻を押しとどめていた。


 しかし、それも長くは続かない。

 息吹(ブレス)を吐くのに集中する白いドラゴンに接近するものがあった。


 ……ドラゴン・ロード! 速いっ!


 六十ミルを超える最大のドラゴン。ロードと呼ばれる個体が、鈍重そうな外見からは想像もできない速度で突っ込んできた。


「…………グゥッ!!」


 巨体の突撃に気づき。息吹(ブレス)を止めた長老は、すんでのところで回避した。

 ドラゴン・ロードの体当たり。

 直撃を避けたが、近くを通っただけで、その衝撃波で白いドラゴンの巨体が吹き飛び、空中で木の葉のように揺れた。


 …………なんて力っ。


 体勢を整え。黒い巨体を見据える。

 ドラゴン・ロードはゆっくりと滞空し、悠然とこちらを見下ろしていた。

 これから始末する獲物を見定めている。そう思えた。


 ……お前だけは行かせない。


 心を引き締め。長老はドラゴン・ロードへ狙いを定める。

 周囲には追いついてきたその他のドラゴンもいるが、この際気にしてはいられない。

 ロードが要塞に近づき、息吹(ブレス)を吐いただけで、戦いの趨勢が決まってしまう。

 それだけは防がねばならない。


 ……方法は一つ!


 長老の意志に答えるように、甲高い咆吼をあげて、白いドラゴンが突撃していく。

 ドラゴン・ロードはそれを正面から迎え撃った。

 始まったのは原始的な力比べだ。

 白いドラゴンが正面から爪と牙で襲いかかり、黒いドラゴン・ロードはその巨体で攻撃を受ける。


 それは一見、あまりにも無謀な攻撃だった。

 この場合、大きさの差がそのまま力の差だ。

 白いドラゴンの爪も牙も黒い鱗を突き破り、傷つけることはできたが、それまでだった。

 残念ながら、その身を引き裂き、砕くには至らない。

 むしろ、ドラゴン・ロードの近接射程内に自ら突撃したことを意味する。


 黒い爪と牙が、白いドラゴンを容赦なく襲う。

 頑強なはずの翼と鱗があっさりと貫かれ、美しかった巨体が見る間に赤く染まっていく。

 全身に走る激痛に耐えながら、エルフの長老は見た。

 ドラゴン・ロードが余裕の表情をしているのを。


 ……かかりましたね。


 油断している。

 これこそが、彼女の狙いだった。

 

 もはや言葉を発することができないかわりに、心の声で言う。


 エルフの呪いを受けるがいい!


 次の瞬間、傷だらけになった白いドラゴンの全身が蠢いた。

 全身から現れたのは樹木だ。

 蔦や枝といったものが、みるみるドラゴン・ロードを覆っていく。

 黒い巨体は抗い、身を覆う樹木を引きちぎるが、それ以上に白い巨体から生まれる方が多かった。


 エルフは森と共にある種族だ。その生命をかけた魔法を使うなら、森に関係するものがもっとも効果を発揮する。

 長老が放ったのは、まさに呪い。相手を樹木に捉え、自らの血肉にする奥義である。

 莫大な魔力と共に放たれた命がけの攻撃は、ドラゴン・ロードであっても逃れきれなかった。

 空中で巨大な樹木と化した黒と白のドラゴンは、そのまま大地に向かって落下していく。


 もはや巨木と化した肉体が、地面に激突する。

 衝撃を受けても、揺らがない。周囲に旋回しているドラゴン達が息吹(ブレス)を吐いてくるが、呪いの樹木はあっという間に再生し、近くにいるドラゴンを取り込み、魔力を吸い出す。

 ここで命果てるまで、彼女は戦い続けるつもりだった。

 何より、ドラゴン・ロードだけは、確実に仕留めてみせる。

 

 ……今度は私が貴方を置いていく番のようですね。プラエ。


 魔法のためにどうにか意識を保ちながら、長老は最も古い友人にそんなことを思った。

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