26.微笑
俺達はそのまま屋敷に帰った。時刻が夕方だったのもあり、そのまま何となく夕食になり、一見なんの問題もないように時間が過ぎていった。屋敷にいたヘルミナは俺とソルヤを一目見て眉をひそめたが、何も言わなかった。
そのまま何事も無く、日常めいた時間が過ぎて、翌日になってもいい。そんな考えもよぎったが、そうはいかない。
就寝する少し前の時間、俺とソルヤは二人で外にいた。
屋敷の庭はここを作った貴族の趣味らしく、広く見晴らしの良い造りになっていた。なんでも、その人は子供好きで外で遊べるようにそうしたらしい。
庭の一画に備え付けられたテーブルと椅子に座って、俺達は夜空を眺めていた。
天気は快晴、春から夏にうつりつつあるこの時期の夜は過ごしやすい。
テーブル上に置いた明かりの魔法具が照らすソルヤの顔は何とも言えないものだった。付き合いの長い俺も感情を読み取れない。
ただ、こういう時、滅多に怒らない彼女が怒っていることを俺は知っている。
正直、恐い。
だが、言わないわけにはいかない。
「あのさ……」
「言っておくけど。簡単には納得しませんからね」
「…………」
やっぱり怒っていた。
いっそ説得を諦めて勝手にいくか? いや、それは不味いな。大切な人相手に憂いを残すわけにはいかない。……いや、勝手なことだ。どうしてもソルヤは俺を心配することになる。それをどうにかする方法なんて、思いつかない。
とにかく、素直に話をするしかないな。
「俺が帰ってきたら。一緒に暮らさないか」
率直な言葉にソルヤの反応は。
「……………?」
今ひとつだった。いや、怪訝な顔だ。「今でも一緒に暮らしてるじゃない?」とでも思っているに違いない。察しの悪い奴め。
「だから、この場合の一緒というのは今みたいな形じゃなくてだな……」
「…………!?」
わかってくれたらしい。いきなり顔を真っ赤にして、物凄い速さで瞬きしたり、テーブル上の手をもじもじさせ始めた。
「えっと、それはつまり、どういうことかな、レイマ君」
「つまりは、結婚してほしいということだ。嫌じゃなければ」
「…………い、嫌じゃ無いよ」
ぽつりとそう言って、ソルヤは少しだけ黙り込んだ。
「それ、私を納得させるための方便に使ってる?」
たしかに、そう思われても仕方ない。
「学者としてそれなりに生活できるようになったら言うつもりだったんだ。こんなことになるとは思ってなかったしな」
「そうね。本当にそう……」
そういって、少し目を伏せた後。ソルヤは口を開く。目を潤ませながら。
「嬉しいけど。こういう時に言うのはずるいと思う」
「わかってる」
「どうしてもっと早く言ってくれなかったの? 母さんに急かされてたでしょ?」
「まだ学者になりたてだったから」
「そういって、的確な言い訳するの、良くないと思う」
「それは理不尽じゃないか?」
「こんなご時世じゃ、結婚式だとかそういうのだって日程組めないじゃない」
「平和になったら決めよう」
「ちゃんと帰ってくるの?」
「そのつもり……いや、帰ってくるよ」
「わかった。約束ね。ちゃんと準備しておくから」
「悪いな。心配かける」
「そう。悪いのよ。反省して……ちゃんと帰ってきてよね」
「帰ってくるぐらいじゃないと、全部終わってしまうよ」
俺が無事に帰ってソルヤと式を挙げることができれば、勝ちだ。この世界から魔王も魔物もいなくなって、平和な世界が待っている。
「でも、良かった。実は私、母さんから例の媚薬貰ってたのよね。正直、そろそろ使い時だと思ってたの……」
今日初めてとも思える笑顔を見せながら、目尻の涙をぬぐいつつ、ソルヤはとんでもないことを言い出した。
「そうか。やっぱり親子だな……」
あまりの驚きに、そう返すのが精一杯だった。
○○○
レイマとソルヤが微妙な告白をしている最中、プラエはヘルミナの自室にいた。
ヘルミナの部屋は雑多だ。そこかしこに資料が積まれ、本は一応棚に収まっているが、ろくに分類されていない。唯一、作業場である机の上だけが綺麗に整頓されていた。
時間を見てここに来ては、ヘルミナの記録を手伝うのがプラエの日課だった。
その甲斐あって、机の上の紙束には、プラエが現代に目覚めてからの出来事が詳細に記されていた。
二人は今、一仕事終えてのんびりお茶を楽しんでいるところだ。こっそりと菓子まで持ち込んで、好きなだけ雑談するのも定番だった。
「レイマはソルヤをどのように説得するつもりなのでしょうか?」
「やっぱり心配?」
黙々と焼き菓子を食べていたプラエが漏らした言葉に、ヘルミナが応じた。
「もちろん、気がかりです。正直、申し訳なさも感じています」
「まあ、大丈夫なんじゃない? 今頃、『この戦いが終わって平和になったら結婚しよう』とか言ってると思うよ」
「結婚……?」
「そう。レイマ義兄さんのことだから、ちょうどいい機会とばかりに言うわね。絶対」
義理とはいえ流石は妹。的確な推理を披露するヘルミナに対して、プラエは難しい顔をしていた。
「どうかしたの?」
「いえ、前の時代に教わったのですが、そういった、戦いを前にして結婚を申し込むというのは非常に良くないと……」
「あー、そういうのあるよね。まあ、何とかなるでしょ」
「そんな気軽なもので……」
「だって、プラエが一緒でしょ。意地でもレイマ義兄さんを帰すでしょ、そんなこと考えてたら」
「……ええ、そうですね。そうなると、何としてもレイマを無事に返さなければなりません」
ヘルミナに対して、自信たっぷりに応じるプラエ。
「ゼファーラ神の使いとして、甚だ未熟な身ではありますが、貴方の兄を無事に帰すことをここに誓います」
生真面目にそう宣言するプラエを見て、ヘルミナは一度驚いた顔をしたあと、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「なにかおかしなところでも?」
「プラエに感情がないってのさ、嘘でしょ?」
「………これは長年の経験の蓄積から、感情があるように振る舞っているだけです」
「そう。そういうことにしとこうね。プラエ、ちゃんと貴方も帰ってきてね。まだまだ一杯聞きたいこともあるし、貴方と遊びたいんだから」
気軽な言葉に反して、その目は真剣だった。
「はい。全力を尽くします」
精一杯の答えを、プラエは返したのだった。
○○○
「では、これより七日間。この場を全力で守護することを約束しよう」
翌日、ディルクラムの前で、国の偉い人達を背後に従えて、陛下は俺とプラエにそう宣言した。
後ろに控える騎士団長、ドワーフ戦士長、エルフの長老が目に入った。少し離れた場所にソルヤとヘルミナがいる。
「八日目の朝に、必ず助けに来ます」
「ああ、待っているぞ」
陛下との短いやり取り。俺が寝ている間に事情を聞いた陛下は既に動いていた。
要塞など各所では、これから七日間の決戦をするための作業が始まっている。
この始まりの街も、戦えない者は王都に避難する手はずになっている。
ソルヤとヘルミナにも避難をお願いした。俺だけ無事に帰ってくるなんてことはないようにするためだ。
俺はディルクラムを操縦するための法衣を着込み。プラエもいつも通りの無表情で隣に立っている。
「では、行きましょう。レイマ」
「ああ、宜しく頼む」
プラエが短い呪文を唱えると、ボロボロのディルクラムの胸部が開く。
次に目が覚めた時には、この場にいる人のどれくらいが残っているだろうか。
そんな事柄が頭の片隅に浮かび上がったが、どうにか消した。
「レイマ! ちょっと待って!」
「ソルヤ?」
乗り込もうとしたところで、ソルヤがやってきた。いつもの地味な服装をした彼女の手には、見覚えのある短い杖が握られていた。
「忘れ物。これ、持っていって」
先生の。父さんの形見の杖だ。大切な物だから、屋敷に保管していたんだけど、持って来たのか。
「いいのか?」
「いいのよ。だって、これは父さんがレイマにあげた物だし。それに、父さんと母さんがレイマを守ってくれると思うから」
「……そうだな」
そう答え、杖を受け取る。思えば、最初にディルクラムに乗った時もこの杖を持っていた。お守りとしての効果は期待できそうだ。
「プラエ、これ、持っていていいか?」
「ディルクラムの操縦者は優秀な魔法使いです。杖は持つべきでしょう」
穏やかな微笑を浮かべて、プラエもそう言ってくれた。
「それじゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃい。レイマ」
ソルヤと多くの人々に見送られながら、俺とプラエは操縦席に入った。
操縦席が閉じる前、こちらをじっと見つめるソルヤの目には涙が浮かんでいた。
「なんだか。ずっとソルヤを泣かしてるな」
「全てが終われば、笑顔の生活が戻ります。……ところで、結婚は申し込んだのですか?」
「ばっ……なんでそれを?」
「なるほど。ヘルミナの推測通りですね。流石です。その様子だと、上手くいったようですね」
操縦席に座って言うプラエは、少し嬉しそうに見えた。
「ああ、上手くいった。全部終わったら式を挙げる。プラエも出席してくれ」
「結婚式に招待されたのは初めてです。戦後の楽しみが増えました」
彼女らしくない、弾むような口調と共に、操縦席の各所に明かりが灯った。
いつもほど鮮明じゃないが、周囲の様子も見える。
「それでは、始めます。グラン・マグス接続。ディルクラム及び操縦者の再構成を開始……」
転移魔法の時のように周囲が青白い光に包まれていく。
いや、感覚的には少し違う。暖かく柔らかい。
眠気に全身が包まれていく。
「皆、必ず戻ってくるから……」
どうにかそう呟いたところで、俺の意識は消失した。
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