第406話・家庭教師と不肖な生徒(3)

小川のせせらぎ、柔らかな木漏れ日、ほのかに香る緑の匂い。

ここに居るだけで日頃の鬱積が晴れる様に感じた。

だが根本的には何も解決していない事も、この空間で寛ぐ少女は理解もしていた。


彼女の名はクラージュ・ファマトゥウス。

王弟モーレスの娘であり、次のレギーナ・イムペラートムを継ぐ唯一の女性だ。


この少女は12歳相応の幼さを持つが、大きくてパッチリとした目は可愛らしさより意志の強さを湛えていた。

そして父親譲りの瞳と長く美しい髪は淡い栗色、更に端正な顔立ちは両親が美形だった事の表れだろう。



羨望を受ける程の容姿と、今や王族となり揺ぎ無い人生が約束されたクラージュ。

そんな彼女に鬱積する物は何か?


それは何でも器用にこなすだけで、何も1番に成れない中途半端な自分に原因があった。

つまりその道に極まった天才には全く及ばず、自身の不甲斐なさと、それを理解してくれない周囲へ苛立ちを感じていたのだ。



『私は姫姉さまの跡を継がなければいけないのに・・・今のままでは駄目なのに・・・何故、周りは分かってくれないの!』



遣る瀬無い思いが心を覆い尽くし、落ち着かせる為に飲んでいたお茶の味さえもしなくなる。

自分の感情が昂ると制御を失ってしまう・・・まるで払拭できない怒りに支配される様に。


『駄目・・・これでは何時まで経っても私は成長出来ない・・・』

クラージュは大きく深呼吸をして、一旦何も考えない様にした。



この空間から受ける自然の影響だけを全身で感じて、無心になる・・・。

すると徐々に昂った感情が薄れて自身を取り戻していく。




「どうしたんだい? 今日はいつになく機嫌が悪そうだな」

背後から聞こえた声は、父モーレスのものだった。



不機嫌な表情を何とか抑え込み、クラージュは笑顔を父に向ける。

「お父様・・・不機嫌だなんて・・・。ただ今までの教師が私の求める水準に無いと言うか・・・それに皆、私を硝子細工の様に扱うのが日常になっていて納得がいかないのです」



「フフ・・・やっぱり不機嫌なのだろう? まぁ硝子細工と言うのは仕方あるまい・・・お前はこの王弟モーレスの娘で、詰まる所は姫なのだから」

そこまで言ってモーレスは溜息をつく。


そしてクラージュの頭を優しく撫でて続けた。

「だが・・・前者の方は、お前の言う水準を満たすかも知れんぞ?」



少し驚いた表情を浮かべるクラージュ。

しかし直ぐに諦めた様な顔をして、父モーレスへ告げた。

「毎回そんな事を言って、結局は大した事の無い方ばかり連れて来るのですから・・・」



しかし今回ばかりは様子が違う様で、

「さて・・・それはどうかな?」

そう告げてモーレスは横に身を引くと、何かを誘う様に片手を差し出した。



そうするとモーレスの少し後方の木陰から、1つの人影が姿を現す。



それは小柄な女性で、恐らく身長は150cm程しかないだろう。

だが目を見張る程の美しい顔立ち、見惚れる程の女性的な身体の線をしていた。

あらゆる殿方が放っては置かない容姿に思えたが、女のクラージュでさえ声を掛けるのを躊躇う美しさ・・・きっと並みの男性では二の足を踏む筈だ。



そんな事を呆然と思って居ると、先に女性が口を開く。

「初めまして、タトリクス・カーンと言います。家庭教師の依頼を受けてここに参りました」



彼女はそう言って軽くお辞儀するだけで、特にへりくだるような態度を見せない。

今まで出会った家庭教師達は皆、クラージュを王弟の娘として、姫として扱いご機嫌を取る者ばかりだったのに・・・。



何よりも、このタトリクス・カーンと名乗ったこの女性は、とても自然体で柔らかく優し気な雰囲気を湛えていたのだ。

取り繕ったのでは無く、在るがままの優し気な微笑み・・・これほど初対面の印象の良い人間が、果たして今まで居ただろうか?

そうクラージュに思わせる程に人当たりの良さを感じさせた。



小さく溜息をついた後にモーレスは、

「クラージュ・・・挨拶をなさい。無理を言ってお前の家庭教師として来て貰ったのだよ」

と優しい口調で窘めるように言った。



我に返ったクラージュは、慌てて椅子から立ち上がり父の言に従う。

「えっ!? あ・・・クラージュ・・・クラージュ・ファマトゥウスです」



「フフフ・・・美形で可愛らしい姫ではないですか。それにとても意志の強い目をしていますね」



タトリクスにそう言われて、クラージュは少し顔を赤くした。

その言い様に照れた訳では無く、タトリクスに劣る自分の容姿を何故か恥ずかしく感じたからだ。


だが負けん気と自己主張の強いクラージュは、

「貴女に比べれば私の容姿なんて大したことは無いわ・・・少しでも褒めておいて、私のご機嫌を取ろうと言う魂胆かしら?」

などと言って強がってしまう。



正直、初対面の相手にこの言い様は有り得ない。

父親のモーレスは、クラージュを窘めようと間に入ろうとしたが、何か考えがあるのか思い留まった。


そして何時なら自身の言動を注意される場面で、父が動かない事を怪訝い思うクラージュ。

『何か変だわ・・・御父様もだけど、このタトリクスと言う人・・・今までの家庭教師とは全然雰囲気が違う』



先ほど直視して呆然としたことを思い出し、慌ててクラージュは目線を逸らし彼女の胸元を見ることにした。

すると服の上からも分かる程に大きく扇情的な膨らみが目につく。


自分はまだ成人を迎えていない子供だ・・・比べようが無いのだが、女としての魅力がタトリクスに劣っている事は明白で項垂れそうになる。

また自分の持っている物とは似ているが、違う”何か”を彼女が備えている様で興味を惹かれた。

それは肌で感じる感覚的な物で、言葉として認識するには情報が足らないのだった。



「クラージュ姫の御機嫌取り・・・? どうして私がそんな事をしないといけないのですか?」

と優し気な口調で首を傾げるタトリクス。



予想外の返事にクラージュは戸惑ってしまう。

「え・・・そんな事?! 私はこの国の姫なのですよ。私の機嫌を損ねて良い事など何一つ無いと考えないのですか?」



まるで全く要領を得ていない様にタトリクスは尚も告げた。

「・・・? 例えば、どのように良い事が無いのですか?」



『この女は馬鹿なの?! 私の家庭教師として雇われておいて、この態度は可笑しいでしょっ!』

クラージュは大声で怒鳴りつけそうになったが、傍に父が居るので何とか堪えて冷静さを装った。

「何度も言うけど私はこの国の姫なの! 貴女みたいな平民が敬うべき存在なの、地位も立場も生まれも違うのよ!」



ハラハラした様子で2人を交互に見つめる父モーレス。

今にも2人の間に割って入りたい気持ちを抑え、冷や汗をかきながら状況を見守った。

『うわぁ・・・本当に大丈夫なのだろうか・・・。お願いだから娘をこれ以上刺激しないでおくれ・・・』



するとタトリクスは優し気な表情はそのままに、凍り付くかの如く冷たい口調で言った。

「敬うべきはその人物の人柄や功績であって、地位や立場は本来それに因って付属する物。クラージュ姫のそれは評価され得た地位や立場では無いでしょう?」



「なっ!!?」

クラージュは絶句してしまう・・・返す言葉がまるで無かったからだ。


そして確信した。

自分に似ているが、違う”何か”を知ったのだ。


この女性タトリクスは、度胸が並外れている・・・自信と誇りに裏打ちされた非常に強い胆力。

それに比較すればクラージュは、ただ自尊心が強いだけの跳ねっ返り娘である。

誇り地位、それに身分・・・全ては親の影響で得た物・・・砂の楼閣なのだった。


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