第403話・イリークとバルレ(2)
イリークは居住まいを正すと、辛うじて聞こえる程度の声で話し出した。
恐らくバルレが自身を語り難いのと同じで、他人には余り聞かせたくない内容なのだろう。
「現レギーナ・イムペラートム・・・王妃様ですが、アンビティオー様と御結婚され女王になられます。つまり後宮に入られましたので、最高軍司令を退く事になりました。今は副指令である将軍が代行を務めていますが、軍事国家を謳っている建前上あまり良い状況ではありません」
レギーナ・イムペラートム──姫将軍とも呼ばれ、その強さと美しさを旗印に軍を統率する象徴的役職。
また国民から国王以上に崇拝の対象とされており、セルウスレーグヌムには無くてはならない存在なのだった。
つまりレギーナ・イムペラートムは、国の政治的思想や指針を円滑に国民へ浸透させる宣伝塔で、今後それが不在で有り続ける事に不安があるのだろう。
「ひょっとして、次の
バルレが小声で返すと、イリークは頷き続けた。
「はい・・・一応候補はあるのですが、まだ12歳で成人もしておらず今直ぐにとは行きません。それにレギーナ・イムペラートムとしての”適正”が有るかどうか・・・若干の不安要素も・・・」
「それは色々と難題ですね。それで私の武力・・・身の上の話ですが、どう関係があるのですか?」
姫将軍に関しての事情は理解した・・・しかし自分とは何も脈絡が無いように思えバルレは首を傾げる。
するとイリークは意味深な表情で告げた。
「”一応候補はある”と言いましたよね・・・要するに身内に居ないなら外部から招けば良いと言う話になったのですよ」
「そうなのですか・・・」
まだ要領を得ず、首を傾げたまま相槌を打つバルレ。
今一な反応に少しジリジリとしてしまうイリークだが、気持ちを静めつつ説明を続けた。
「身内候補が成人するまで親しい国から人材を借り代行する・・・例えばリヒトゲーニウスのケラヴノス様なら美しさと武力も申し分ありません。ですが流石に自分都合な案ですから、現実的ではないでしょうね。そこで在野からの登用も考えているのです」
ここまで聞いて漸く勘づいたのか、困った顔をバルレは浮かべた。
「・・・・・」
「気付かれたようですね・・・身元がハッキリしていて罪人で無ければ、セルウスレーグヌムはあらゆる分野で実力主義を通します。私の目には貴女が十分に、レギーナ・イムペラートムの資格を備えていると映ったのです」
イリークのこの言葉を思案する様に、バルレは少し斜めに俯いた。
そして口元に片手を当て、独り言のように呟く。
「もしや、王弟殿下が
慌てた様子で否定するイリーク。
「いえ! これは成り行きでして・・・偶然、私の目に貴女が留まり、武人として値踏みしてしまったというか・・・申し訳ありません。ただ今思うに、指南役の私を賓客相手とは言え案内役にしたのです。元より王弟殿下は貴女に目を付けていたのかもしれませんね」
恐らく今頃は王弟がタトリクスを口説き、主従共々に自陣へ加えようとしているに違いない。
『なら家庭教師の件は口実なのかしら?』
そのバルレの疑問を察したイリークは、それに言及した。
「モーレス様がタトリクス殿に依頼した内容は事実です。実際、御息女には問題が色々ありまして・・・唯一のレギーナ・イムペラートム候補だと言うのに・・・。ですから成人まで、それに相応しく成れるよう教育したいのでしょう」
深く溜息をつき、「なるほど・・・」とバルレは一言口にする。
その佇まいは諦めきった感が強く、タトリクスが説得されてしまえば仕方ないと言っているに等しかった。
「つきましては貴女の素性を聞いておかねば為りません。一応モーレス様が独自にお二人を調査した筈ですが、念のために小官へお聞かせ願えませんか?」
とイリークが追い打ちをかける。
「主の事は許可が有りませんので語れませんが、私の事だけでしたらお話し致しましょう。それで構いませんか?」
バルレの言葉に周囲を見渡した後、イリークは頷いた。
出来るだけ他者に聞かれないようテラスの隅を選んだが、万が一を考えて人が居ないか確認したのだろう。
幸い昼食の時間が過ぎ、テラスに人影は全く見当たらない。
「私は前法王政権時、カーン家の私兵軍指揮を任されていました」
端的な言葉を発し口をつぐんだバルレに、イリークは驚いてしまった。
「え・・・それだけですか?」
逆にキョトンとしてバルレは訊き返す。
「え・・・他に何か必要でしたか?」
「あ、いえ・・・何と言うか・・・どうして私兵軍の指揮官になったのかとか、小官が否応なしに気付く程の武力をどうして得たのかとか・・・色々あるでしょう?」
と困ったようにイリークは告げた。
すると「あ~、確かに・・・」などと言って黙り込んでしまう。
バルレは何を語るべきか順序や水準を思案しているのだろう。
焦れそうになりつつも辛抱強く待っていると、彼女は徐に口を開いた。
「私は元々孤児だったのです。共産制の感が強い魔導院ですが、身元が不明確な孤児と言うのは完全に失くすことが出来なかったのでしょう。そんな私を拾ってくれたのがカーン家だったのです」
偶々、
そしてその秘められた才能が考慮されたのは聞く迄も無い。
目端が利き、従順で美しく、更に護衛としての武才も申し分ない・・・正にカーン家は宝に等しい原石を拾ったことになる。
そんなバルレの幼少時に思いを馳せ、イリークは何故このセルウスレーグヌムに生を受けてくれなかったのか残念でならなかった。
そうすれば今こうして、レギーナ・イムペラートムの件で苦労する事も無かったと思えるのだ。
『”もしも”を思案して後悔しても、にべもない事か・・・』
そう自身の中で自嘲すると、イリークは気持ちを切り替えバルレの話を促す。
「では、そこまでの武力を得た経緯を是非聞いておきたいのですが・・・、勿論、苦労して修行に励んだ結果だとは思いますが、切っ掛けがあったのでは?」
するとバルレは思いもよらない事を言った。
「貴方の御父様ですよ。先の南方戦争以前、剣匠ズィーナミ様が魔導院に立ち寄られた事が有ったのです。その時、カーン家の客人として迎い入れられ暫く滞在したのですが・・・」
「まさか父に師事していた時期があったと・・・?」
驚きながらイリークが問い返すと、彼女は静かに頷くのだった。
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