第402話・イリークとバルレ(1)
アポイナの広大な王宮には、貿易相手国の建築様式を模した庭園と建物が建ち並ぶ。
その中にはリヒトゲーニウスの物も存在し、それ程大きくは無い屋敷と良く手入れされた庭が訪れた者を迎える。
しかしリヒト様式は豪奢で華美な所がある所為で、リヒトゲーニウス出身で無い者は少し疎ましく思うだろう。
ひょっとすればそれを見越して、当時宰相だったアンビティオーはリヒト様式を”忠実”に再現したのかも知れない。
この屋敷の来客用の空間は屋内の他に、庭へ繋がる大きなテラスが用意されていた。
それなりに広いのはリヒトゲーニウスが、セルウスレーグヌムの最大貿易相手国の為である。
要するにリヒトゲーニウスの商人として王宮に訪れる者が多いからであった。
そして今日も貿易の申請手続きなどで訪れていた商人が、この屋敷やテラスで旅の疲れを癒し、慣れ親しんだ食事で英気を養っていた。
そのテラスで麗人と呼ぶに相応しい妙齢の女性と、近衛騎士団のサーコートを身に着けた男性が同じ席についている。
女性の容姿は肩の位置程まで伸ばした艶やかな黒髪と、吸い込まれそうな黒の瞳が印象的だ。
また身に着けている衣服は、膝が隠れる程度の黒いスカートに黒のタイツ、上は純白のブラウスで飾り過ぎずとても清楚に見えた。
更にはその品の良い優し気な表情が、どこか高貴な令嬢を思わせる程だ。
だが彼女は魔導院の没落したカーン家の付き人であり、今や只の一般人でしかない人物・・・名をバルレと言った。
彼女の向かいの席に座る騎士は、これと言って個性のある様相はしていないが、純朴で誠実そうな40歳程の男性──近衛騎士団の指南役イリーク・リニスだ。
2人は昼食を楽しみつつ会話・・・と言うか今の所、殆どイリークが一人で喋っている状態だ。
それをバルレが楽しそうに聞いている構図であった。
「イリーク様は、あの名高い剣匠ズィーナミ・リニス様の御子息だったのですね。近衛騎士団の指南役なのも頷けます」
と感心したようにバルレは言った。
するとイリークは少し照れて、謙遜しながら答えた。
「親の七光りと言われぬ様に随分と努力しましたがね・・・。それでもまだまだ父の名声は超えれそうに有りませんよ」
剣匠ズィーナミ・・・セルウスレーグヌムに貢献した南方でも名高い剣の達人。
先の南方戦争で武勇を列国に知らしめた人物であるが、その年齢が当時190歳前後だったと言うのだから驚きだ。
現在は隠居を理由に流浪の旅に出たとかで行方が分からないらしい。
もう200歳を過ぎている筈なのだが、何とも元気なご老体である。
「確か剣術の立ち合いに於いては武神と互角だったとか・・・。倍以上ある年齢差でそれは凄いですよね。それだけでも十分な武勇の名声と言えます」
バルレの言葉に頷くイリークは、苦笑いを浮かべて言った。
「ですね・・・父を超えようとするなら、最低でも武神・クシフォス大公と互角に立ち合えねばなりません。偉大過ぎる先人を持つと苦労させられます」
そして純粋に他意が無い視線をバルレへ向け続ける。
「それに世界は広い・・・貴女のように無名でありながら、相当な実力者もいるのですから。もし差し障り無いのでしたら、何故それ程の力を備えたのか聴きたいものです」
少し思案した後、バルレは訊き返す言い様をした。
「先程、振る舞いや日常的な動きから、私の実力を見極めたと仰っていましたよね・・・。武術を嗜んでいると何故分かったのか、今でも不思議なのですが・・・」
「う~む・・・そうですね。強いて言うなら似ていた・・・ですかね」
端的過ぎるイリークの答えにバルレは首を傾げる。
「似ている・・・?」
「はい。剣匠である父の動き・・・もっと詳しく言うなら、その最後の弟子であった
と自身の中で感じた事を、悪戦苦闘しながらイリークは言葉に表した。
「いえ、何となく仰りたい事は伝わりましたので、自身を卑下しないで下さい」
そう言ってバルレは少し考える素振りをして呟いた。
「似ている・・・私が王妃様に・・・?」
「まぁ武を極めた者は、自然と行き着く先は似通った物になると父が言っておりました。ですから女性特有の”強さ”と言うのでしょうか、そう言った物が似ていたのかも知れませんね」
イリークはバルレの呟きに遠回しな言い方で返す。
この国では身分に対して非常に敏感な体質を持っている。
奴隷然り、一般的な男女の格差も然りである。
要するにセルウスレーグヌムは完全な実力主義国家で、犯罪者で無い限り身分や性差で職業的な差別を受ける事が殆ど無いのであった。
それは建国の始祖から受け継がれる国の指針で、それが関係していてイリークは遠回しな言い方になってしまったのだろう。
つまりイリークが言いたいのは肉体的に男性に劣る女性が、武力的な強さを獲得する為に身に着けた”共通の所作”、また”雰囲気”が有ると言っているのだ。
もしこれを遠回しに言わなければ、男に比べて身体が脆弱な女が・・・と差別的な言い様になってしまう。
この言い様は国の指針で”差別”に当たり、口に出す事が憚られる以上に御法度なのだった。
「なるほど・・・それで看破されてしまったのですね」
漸く納得出来たのか、少し苦笑いを浮かべてバルレは言った。
「ここだけの話で構いません、他言も致しません。どうして貴女のような美しい女性が武力を得なければ成らなかったのか、お聞かせ願えませんか?」
と真剣な面持ちで告げるイリーク。
その様子からは、とても興味本位のようには思えなかった。
「身の上は余り話せませんが、武術を嗜む理由程度ならお話し致しましょう。ですが・・・何故、私にそこまで興味を持たれるのですか?」
正直、個人の込み入った事情など他人に話す事では無い。
それを敢えて聴きたいと言うのには何か理由があるのだろうが、ならばその理由をイリークは告げるべきなのだ。
「あ・・・これは失念しておりました。そうですね・・・先ずは私が語るべきですね」
そう申し訳なさそうに言い深呼吸するよに溜息をつくと、居住まいを正してイリークは話し出すのであった。
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